2006年02月01日

動物を飼う

~どんな理由でも最後まで責任を

 散歩の途中で子猫に出合った。墓地につながる坂道の真ん中で、みーみーと鳴いている。妙なこともあるものだ。野良猫の「総元締め」と思われていたメス猫は、近所の女性たちがお金を出しあって避妊手術を受けさせた。子猫たちも里親に引き取られていった。野良猫は一掃されたはずなのだ。

 か細い声で鳴きながら、子猫は小さな体をすり寄せては甘えてくる。あきらかに、飼い主に捨てられた猫だった。両目から目ヤニがあふれ、左の目はつぶれている。ごぼごぼっと音を立てては鼻水を噴き出す。鼻がきかなくなり、餌を見分ける能力を失った猫は死ぬしかない。長くはないだろうなと思いながら、子猫を置き去りにして家に帰った。この寒空で死ぬのは運命だ。

 うちには野良出身の猫がいる。寒い冬を前に鼻水をたらし、餌をとる術(すべ)を持たないその猫は死ぬはずだった。野良として生まれた以上、それが自然の摂理だ。強い者だけが生き残る、そうして野生は生き抜ける血だけをつないでいく。死ぬべき命をひろいあげてしまった安易さに、神の掟に背いたような、何かを乱してしまったような罪悪感が残った。

 けれど、目ヤニ猫を見かけた夜遅く、懐中電灯を片手に探しに出た。飼い主が腹立たしくてならなかった。動物を飼ったら、命をまっとうさせてやる責任がある。そして、最期まで見届ける覚悟もいる。どんな理由かは知らないが、真冬の寒空に病気の子猫を放り出すのは、その首をひねって殺すのと同じくらい、残酷なことだ。人間の傲慢で捨てられ、いま死に行くかもしれない命は、やはり人間の手で救ってやらなくてはならないような気がした。

 病院からもらった薬を飲ませてやると、つぶれていた目は開くようになった。白濁は完治しないかもしれないと医者は言う。鼻タレ目ヤニの子猫は、みーみーと鳴き、無邪気にまとわりついてくる。その白濁した小さな瞳を見つめ、「呪っておやり」と私は囁く。真冬の寒空に、病気のお前を捨てた飼い主を、呪っておやりなさいね、とささやいてみるのだ。


(東京新聞埼玉版・2006年2月1日掲載)

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