2005年08月01日

プライベートビーチが消えても

河原のほうからおいしそうな匂いが漂ってくる。栗林を抜けた向こう、川沿いに建つバーベキューハウスは連日、大にぎわいである。

10年前に越してきたときには、バーベキューハウスなどというものはなかった。正確にいうならば、いまにも崩れ落ちそうな古めかしい屋根の下に、座るのはためらわれるようなオンボロの椅子がころがっている、それらしき施設はあるにはあったけれど、ここに訪ねてくる物好きな客は一年のうちでも数えるぐらいしかいなかったと思う。

あるとき、立派な背広を着た男が挨拶に来た。「楽しみにしていてくださいね」と満面の笑みを浮かべた男は、バーベキューハウスが新しく建て直されるのだと話した。背広の男は県の職員で、その後ろで、施工業者の責任者という作業服の男がぺこりと頭を下げた。

バーベキューハウスは、埼玉県並びに農林水産省の助成を受けて建設された。護岸工事を施し、アスファルトを敷き、焼き場をこさえ、こじゃれた木造りの屋根をのせる。こんな辺鄙な場所に立派な器だけ用意したって宝の持ち腐れさ、税金の無駄使いさ、と鼻で笑っていたのだけれども、生まれ変わったバーベキューハウスにはたくさんの観光客がやって来た。特別な宣伝をしているわけでもないのに、年を追うごとに確実に客は増え続けている。

いまの時期には、毎日毎日、何台もの車がやってくる。河原への一本道は、細い砂利道。砂利を蹴散らし、ほこりをまきあげて、大きなアウトドアの車が駆け抜けていく。民家の脇をかすめる道なのだから、もう少しゆっくり走る気遣いがないものかと思う。河原からは子どもたちの歓声が聞こえてくる。一気飲みをあおる酔っぱらいの大合唱もある。

バーベキューハウスができるまで、この河原を「プライベートビーチ」と呼んでいた。ときおり地元の子どもたちが泳いでいるだけの、静かな河原だった。夏になると夫とふたり、ビーチチェアをかついで川に入り、足を水につけながらビールを飲んだ。そのままぐーぐー寝てしまうのもよし、気が向けば釣り糸を垂らしてウグイを狙った。夕方になると、カワセミがふっと目の前をかすめていった。いまはもう、わたしたちの夏を癒してくれるプライベートビーチは消えてしまった。

4年前、新聞のコラムでこのバーベキューハウスを取り上げた。立派な背広の男に向かって、「私たちが楽しみにしていると、本気で思っているの?」と聞きたかったと書いた。「静かな山あいの林の中で暮らす住民が、観光施設の建設を楽しみにしていると本気で思っているのか」と聞いてみたかった。しかし、わたしは聞かなかった。男の笑顔は愛想笑いなどではないことに気がついたからだ。ひとかけらの疑いも持たずに自信満々に語っている男を見て、呆然としたのだ。

月日を重ね、この土地に親しむにつれ、わたしは別のことを考えるようになった。プライベートビーチを失って、さびしくはあるけれど、憎む気持ちにもなれないのだ。

バーベキューハウスは栗園の経営下にあり、経営者は「マロンリジチョウ」というあだ名を持つ、同じ自治会のおじさんである。マロンリジは、自治会ゴルフ同好会にて、わたしが師と仰いでいる人でもある。また、栗園は、地元における第二の人生の受け入れ先にもなっているようで、マロンリジ本人も大手企業を退職した後、ここの経営を担っている。せっせと肉を運び、鉄板を洗い、秋には栗の実を集め、残ったイガを焼き、などと働いているのは、ついこの間まで郵便局の窓口に座っていたおじさんやら、定年退職になった近所のおじさん、みんな見知った顔なのだ。

生き生きと接客に走り回っている姿は、見ていても楽しいものだ。暑い盛りの日に、朝から草刈りに励み、ようよう終わった夕方には車座になってつまみを片手にビールなどを飲んでいる。そばを通り過ぎようものなら、いちこちゃんも飲んでいけ、酌をすればなんぼでもタダで飲ましてやっからよ、などと声をかけられる。

プライベートビーチは失ったけれど、形を変えて人を潤し、人に輝きを与えている。汗とほこりにまみれて笑っているおじさんたちの顔を見るたびに、それはそれですばらしいことなんだな、と思えるのだった。


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■最近のイノウエ
●地獄の釜のふた
この文章を書き終えたあと、でれっと昼寝をしていたら、サイレンの音に起こされた。国道は観光客の車で大渋滞、またどこかで事故でもあったのだろう。通りすぎるはずのサイレンがぴたりとやむ。ということは、うちの近くだ。

バーベキューハウスに、消防車1、救急車1、パトカー2台が到着。なにごとぞなにごとぞ。 そうこうしている間に、ワゴン車のパトカーも来る。ついで白バイも1台。どうなってるんだ、まいびーち。

と、裏の情報屋おばさんが、道路で叫んでいるのが聞こえてくる。小学生が川で流されたもよう。ぶじに、助けられたそうだ。

子どものころ、お盆に友だちとプールに行く約束をしていて、母に叱られた。「お盆には、地獄の釜のふたが開くんだよ。だから、海にも川にもプールにも行ってはいけません」。子ども心におそろしゅうて、あわててプールをとりやめた。マイビーチでも、ひそかに釜のふたが開いたか。


●4年前のコラムは
バーベキューハウスについて書いたコラムは、わたしのホームページの「エッセイ」コーナーでも読むことができます。

http://www.5515.jp

2002/02/15 「埼玉について考える」 のなかにあります。


●うまい酒
7月、ニッカウヰスキー余市蒸留所にて「シングルカスク余市10年」を飲む。余市蒸留所限定の樽出し原酒だ。アルコール度数は63%。顔を近づける前から、小さなグラスのまわりには強烈な香りがこぼれている。甘くて、華やかで、豪華な匂いに、飲みくだす前からほろ酔いになる。ひとくち舐めて、舌がびりびりと熱くなりかけたところでもうひとつのグラスから水を飲む。強烈なアルコールは水を含むとあっという間にとろけるような甘みに変わる。小瓶を売っていたので、おみやげに買う。さあ、いつ空けようか。

●アイ・ラブ・ゴルフ
去年は、気温36度の暑さでもコースをまわるだけの根性、ゴルフへの愛とでもいうべきものがあった。今年はすでに7月の時点から暑さがこたえ、首に冷えピタシートを貼ってコースにのぞむ。愛は変わらぬつもりだが、さすがにカラダにこたえてきたので、レッスンのみに通っていたが、先週はレッスンの帰り道で熱中症のような症状を起こし、倒れこんだ。イカンね。来週はお泊まりで軽井沢。涼しいところで、思う存分にプレーいたしませう。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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