2005年06月08日

認知症の義母

~きれいな新緑に昔の輝き見せる
 新聞や雑誌に「認知症(痴呆症)」「ボケ防止」という文字を見つけると、食らいつくように記事を読む。その言葉だけが赤い太文字で書かれているように目に飛び込んでくる。一気に読み終えた後には、決まって虚しい気持ちに襲われた。

 パソコン教室、小旅行、折り紙、パズル、リズム体操・・・。脳を活性化し、人との触れあいを増やすことで痴呆症は防げます。「嘘だよ」。だれにともなく、つぶやいてしまう。

 隣の家には義母、つまり夫の母親が住んでいる。市の職員を退職した後は、近くの病院で介護助手として働いていた。日本百名山を制覇するのだといって、休日には大きなリュックを背負って山登りに出かけた。水彩画やスキー、興味のあるものは何でも挑戦し、太極拳と折り紙は人に教えるほどにまで極めていた。元気で明るく、思う存分に毎日を楽しんでいる義母は憧れの存在になった。老いてもなおこんなに素晴らしい人生が待っているのなら、歳を取るのも悪くないなと素直に思えた。

 そんな義母でさえ、認知症からは逃れられなかった。ほんの数分前に話したことも忘れてしまう。唐突に怒りだして泣いたかと思えば、焦点の定まらないぼんやりとした目で遠くを眺めている。認知症という病気は残酷だ。あれほどまでに元気で、生き生きと輝いていた人間をゆっくりと、そして確実に別人へと変えていく。

「新緑の時季が一番すばらしいのよ」。元気だったころ、初夏の森を歩きながら、義母はそう言った。まぶしいほどに萌える木々を顔に映して、目を輝かせながらそう言った。


 いま、山は新しい芽吹きに包まれている。迫り来るように鮮やかな緑、緑、緑。「お母さん、新緑がきれいだね」と声をかける。

 「え?」と振り仰いだ義母の顔に火が灯る。表情の消えた、うつろな目に、小さな輝きが戻る。「ほんとうに、なんてみごとなんだろうねえ」。それは、ほんのひととき、すぐにも消えてしまうものなのだけれど。


(東京新聞埼玉版・2005年6月8日掲載)

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