2005年04月27日

待ち望んだ舗装路

~快適生活には必要な工事も
 靴のかかとに泥を付けていたのを、笑われたことがある。アスファルトの道路が整備された東京に住む友人には、靴に泥の付く環境がいかにも田舎くさく感じたのだろう。

 家の前の道路は砂利道だ。国道から折れた道は何軒かの民家の前を通り、栗園を抜け、河原にあるバーベキュー施設に出る。車が通るたびに砂塵が舞い上がり、砂利が蹴散らされる。雨が降れば泥まみれのぬかるんだ道になる。この国のどこかでは、莫大な予算を投じていくつもの立派な道路が作られているそうだ。もう道路など作るなというけれど、あちこちにできたくぼみを、市から配給される砂利を使って自分たちの手で補修しながら、生活道路として使っている地域があることも知ってほしいと思う。ずいぶん時間がかかったけれど、いよいよこの道も舗装されることになった。

 予算の関係で工事は二期に分けられ、まずは栗園から河原に抜ける道から始まった。朝からチェーンソーの音が響き渡り、パワーシャベルがうなり声を上げる。道路にかかる木を切り倒し、よけいな枝をすぱすぱと切る。土を掘り起こしているのは、浄化槽の排水を流す側溝を造るからだ。山のように積まれた真っ黒な土を見て、胸がどきりとした。

 あっという間に第一期の工事が終わった。すぐに次の作業も始まるのだろう。舗装された道、排水を流せる側溝、あれほど待ち望んでいたはずなのに、栗林の道に立つとなんだか妙に切なくなった。

 自然破壊などと言うつもりはない。私の家だって、緑に覆われた土を堀り、先住の虫や生き物を追い出して建てたのだ。少し見通しの良くなった林を歩きながら、人の生活が快適になるというのは、木を切り、土を掘り起こすことなのだと実感する。より快適に、便利に暮らすためにはチェーンソーで木を倒し、パワーショベルを震わせて地面を削らなくてはならない。そして、道ができた後には切ない思いも忘れ、快適さに満足しながら生きていくのだろう。たくさんの実を落としてくれた木があったことなど、あっけなく忘れ去ってしまって。


(東京新聞埼玉版・2005年4月27日掲載)

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