2005年01月21日

行天宮で置き去り(2):台湾の旅

(1)からのつづき

通りを見渡してみても、見知った顔はひとつとしてない。ガイドと他のメンバーはまるで消えてしまったかのようである。

どうやら、わたしたちは行天宮に置き去りにされたらしい。

夫とふたり、しばし呆然とする。「やられちゃったね」「どうなっているんだろうね」

それにしてもおかしい。バスに乗ると、ガイドは毎回必ずメンバーの人数を数える。確認してから発車する。わたしたちを置き去りにして、バスを走らせているとは思えない。みんなはどこに行ったのか。


●占い横丁

日程表を見る。行天宮のつぎは占い横丁。あっ。ここでわたしは思い出した。来る前に読みあさったガイドブックの1ページ。占い横丁は、行天宮から歩いてすぐの場所にあるはずだ。

ガイドはすでにそちらに移動してしまったのだ。わたしたちを置いて。

線香を配っている青い法衣のおばさんをつかまえ、占い横丁はどこにあるんでしょうか、占いヨコチョーですと日本語で聞いてみる。おばさんは「わかりました」というようににっこり笑ってあたりをぐるりと見回し、ひとりのおばさんのところにわたしたちを連れて行った。

「どうなさいました?」上品な顔立ちのおばさんは、そういって微笑みかける。年輩の方のなかには、流ちょうな日本語を話せる人がたくさんいるのだ。

「占い横丁にはどう行けばいいんでしょうか」と夫。「占い横丁ですか。占いなら、ここでやってみてはどうでしょう」そう言ったかと思うと、おばさんはすすすと前のほうに歩いていき、三日月の形の木片を手にとった。

「この赤い木片をふたつ床に投げます。こうして表と裏がでれば、神様から意見を聞くお許しが出たという意味です。表と表がそろったときには」ていねいな日本語で、おばさんは説明を始めた。

人のいい夫は、ふんふん、と愛想よく相づちを打っている。遮ることができないのだ。できればわたしも木片占いの説明を詳しく聞きたいが、いまはそんな時間はない。とにかく占い横丁に行かねばならぬのだ。

「時間とーりにキナサイ!はやくキナサイ!」というガイドの声が耳に残っている。わたしは気が小さいところがあるので、取るに足らない些細なことでも、見も知らぬ人から怒られると傷つく。怒られる、ということにビクついている。早く合流しなければ。

「すみません、わたしたちは占い横丁に行きたいんです!」わたしは夫とおばさんの間に割って入った。焦る気持ちで、語尾がすこしきつい。夫もちょっと驚いている。

「そうですか、どうしても占い横丁がよろしいんですね。わかりました。それではこちらへどうぞ」おばさんは気を悪くしたふうでもなく、すこし残念そうに笑ってから、廟の外へと向かった。

「占い横丁は地下道にあります。そこを降りて行くとすぐです」手で指した先は地下への階段。交差点を見渡すと、通りの四つ角に地下への入り口があった。交差点の下で、地下道はつながっているのだろう。

入り口には、物売りの女が立っていた。花やお餅、お供えものが入った籠を持ち、行天宮に来る人たちに声をかける。階段を下りると、ひとり、ふたりと通路に座る女が見えてくる。ここがマニラやインドネシアのどこかだったら、地下道には足を踏み入れないだろうな、と思った。

通路の片側は占い屋だ。二畳ほどの仕切られたスペースに、四柱推命、手相、風水とそれぞれの占い法を書いた派手な看板を掲げた店がずらずらと並んでいる。しばらく歩いていくと階段があり、数段のぼった先で別の通路に突き当たった。見知った顔に出会い、「あっ!」と声が出た。

ここにも占い屋が軒を連ね、人が大勢いるせいか、さっきの所よりも活気に満ちているように見えた。ツアーの何人かは占いをしてもらっているようである。ガイドはわたしたちがいなかったことなど気にもせず、「あ、お茶があるのでひとつずつ持っていって」とのんきに笑う。

「占い、しませんか。待っているから、ヤッテミタラ?」とガイド。いいえ、興味ありませんから。「台湾のウラナイ、とっても当たる。よく当たることでユウメイよ」よく当たるのならなおさらお断りだ。占い師と向かい合っている人たちを見ると、よくも平然と自分の未来について聞けるものだなぁと感心する。

何年か前に、一度だけお金を払って占いというものをしてもらったことがある。この先4年間は何もいいことがないと言われ、夫はわたしのことを愛してないでしょうと言われ、大切な愛情やお金を失い続ける人生ですねと言われて、高額な占い料を支払った。

あれ以来、その言葉が呪いのようにわたしの生活にまとわりついている。4年間という期限付きの呪いからは解放されたが、大切な愛情やお金を失い続けるという言葉が頭から離れない。ひとつに、その直後、予言どおりに大切な友人が去って行った。理由はどうであれ、大切な愛情を失ったのはたしかだ。この先、ずっとそういう人生なのかと思うと、どうにもむなしくなるときがある。


●ふたたび行天宮にて

3泊4日の旅、思う存分に食べ、あちこちに出かけ、台北の街を楽しんだ。最終日の朝、わたしはふたたび行天宮に足を運んだ。「どうしてまた行天宮なの?」と夫は不思議そうに聞いたけれど、うまく説明できない。もう一度、あの煙のなかに身を置きたい、そうとしかいいようがなかった。

まずはお線香を配っているおばさんのところに行く。線香に手をのばしたとき、友だちの林(りん)さんがあわててそれを遮る。

「だめ、いちこさんはだめです」「え、どうして?」う~んとちょっと言い淀んでから、「だって、お月のものが来ているでしょう?だからお線香は持ってはいけないんです」という。

運悪く、前日からお月のものが来てしまっていた。夕ご飯を食べた後に薬局に連れて行ってもらい、必要なものを買っているところを林さんに見られたのだった。「楽しい旅行なのに、それは大変っ」とずいぶんわたしの体調を心配してくれた。

「ひえ~、せっかく来たのに~」「残念だけど、だめです。神様もあれは除けたいんです。もし線香を持ってお願いしても、いまは何も聞き入れてもらえません」

そういえば、むかし母だけが初詣に行かない正月があった。理由をたずねると、「いまはお月のものが来ているの。ご不浄の体で、神社のなかに入っちゃいけないのよ」とこっそり教えてくれた。ごふじょう、という響きが、若いわたしにはいかにも汚れた、いまわしいもののように聞こえた。「ねぇねぇ、廟のなかに入ってもよかったの?わたし、ご不浄だよ」すがるような思いで林さんに聞くと、「入るのはだいじょうぶデス」と言うのでほっとした。きょうのパイパイは夫に託そう。

林さんがお線香の数を教えてくれる。パイパイするときのお線香は奇数に決まっており、香炉ひとつにつき1本か3本。行天宮は、前と後ろにそれぞれ香炉があるので、香炉2つ?1本か3本、つまりお線香の数は2本か6本というわけだ。

「まずは後ろのほうからお参りします。名前、住所、誕生日を言ってから、お願いごとをしてください」

ふげー、この間来たときは名前と住所しか言わなかった。誕生日、なんて知らなかったよ。わたしの願いは届かなかったかも、もう一度パイパイしたいが、わたしはご不浄だ。くやしい。

この日、廟の中は前とは様子がちがっていた。境内の横にある教室では、窓やドアを開け放ち、年輩のおじいさんがマイクを持って講義をしている。青い法衣のおばさんたちもきょうは教室の中だ。

中に入りきれなかった人たちは、お供えもののテーブルにある長いすに座っている。だれもが教室のほうを向いて、じっとその声に耳を傾けている。木片が転がる音もしない。もくもくとした香煙で満たされた廟には、柱にかけてあるスピーカーから流れてくるおじいさんの声が響き渡るだけである。

わたしも長いすに腰掛けて、しばらくおじいさんの声を聴いていた。もちろん何を言っているかわからない。でも、この空間に身を置くことがなんともいえず心地よく、立ち去りがたいのだ。

占い横丁を教えてくれたおばさんはいるだろうか、と青い法衣を目で追いかける。おばさんと別れてから、わたしはなにかを間違えた、という思いにとらわれていた。どこかで、なにかを間違えている。

親切にしてくれたおばさんに、冷たい態度を取ったせいだろうか。占い横丁に行きたいんです!と言い放ったあとに、どうしてきちんと説明しなかったのだろう。本当はゆっくりおばさんの話をお聞きしたいのです、でもツアーの人たちが待っているので早く行かなくてはなりません。ちゃんとそう言えていたら、こんな気持ちにはならなかったのだろうか。

いや、そうじゃない。もっと大切なことを忘れている。なにか、心のなかでひっかかっている。そうだ、わたしはたぶん、大切な「流れ」を止めたんだ。あちらからやってきた自然の流れを自分で断ち切ってしまったのだ。

行天宮で置き去りにされ、ひとりのおばさんに引き合わされた。わたしはあのとき三日月の木片を投げることになっていた。流れにまかせて、木片占いをするべきだったのだ。そこで神様になにかを聞いて、答えを得なければいけなかったのだろう。

ガイドに怒られることばかり気にして、そんな些細なものにとらわれて、神様に向き合う瞬間をだいなしにしてしまった。流れを踏みにじって忙しく通り過ぎていくわたしを、おばさんはどんな気持ちで送りだしてくれたのだろう。

あのとき、は戻らない。流れはもう別な方向に向いている。それでも、ひと目おばさんの顔を見たくて、遠くの青い法衣に目を走らせる。

どこにもいない。見つからない。もしかしたら、そんなおばさんは最初からいなかったのかもしれない。

香煙に身を包まれ、おじいさんの声に包まれ、わたしはただ黙ってしずかに座っていた。                         

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■最近のイノウエ
●友だちの林(りん)さん

台湾ではツアーガイドは国家資格だという。試験に合格したあとは、厳しい研修が待っているそうだ。林(りん)さんは、夫が仕事で何度か台湾に行ったときにお世話になった通訳兼コーディネーター。それ以来、わたしもメールなどでお友だちになった人である。

細くて華奢な体からは想像できないほどエネルギッシュで、パワフルな台湾美人。若くて、とってもチャーミングだ。一日観光ツアー以外はずっとわたしたちのガイドと通訳をしてくれた。おっさんガイドとは比べものにならないほど豊富な知識を披露してくれるので、わたしは一日中いろんな質問をしまくっていた。おかげで、ディープな台湾にふれることができ、充実した旅になった。


●光華商場 VS DFS

海外に行く楽しみのひとつにDFS(免税店)がある。旅行が決まると、本屋でブランド品の雑誌を立ち読みし、新作の値段などをチェックする。

DFSの受付を通り過ぎ、免税店独特のきつい香水が漂うフロアに足を踏み入れたとたん、わたしは別人になる。ぐっちぐっちぷらだえるめすと呪文を唱えながら、足早でフロアを歩き回る。長旅のフライトで疲れていようとも、観光地巡りでへとへとになっていようとも、目がらんらんと輝き、体は力でみなぎるのだ。

ブランド品などまったく興味のない夫にとっては、ひたすら忍耐の時間でしかない。あっちこっちを駆けめぐり、品定めに走るわたしをあきれた顔で眺めている。

しかし。夫もさして変わらない。「僕にはなにがなんでも行きたい場所がある。どうしても行きたいんだ」なんて、まるであたしがDFSに行く!とだだをこねるときと同じ。

さてその行き先は「光華商場(こうかしょうじょう)」である。何度も来ているだけあって、慣れたようすで店内を見渡していく。細かく区切られたブースで、パソコン機器やパーツ類を売っているのは、まさにアキバの電気街デパートそのもの。

あれこれ商談のすえ、日本で買うとン10万円もするらしいパーツをわずか数万円でゲット。DFSではあんなにぐったりしていた夫も、光華商場では目が輝いている。やはりこの人も別人になるのである。

夫はほかにも台湾アイドルのCDやDVDをごっそりと買い込む。CDやDVDもかなり安い。浜崎あゆみのCDが300元(千円弱)で売られている。どうも釈然としない。

わたしは大好きなトニー・レオンのDVDを探す。わざわざ取り寄せて買った5000円の『非情城市』も300元。日本ではついこの間『インファナルアフェアー・2』が劇場公開されていたのに、台湾ではもう『3』がDVDになっていた。英語字幕で見るが、いまひとつついていけず。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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