2004年05月12日

投票行かぬなら

~無関心を貫け 

考えるべき問題の本質はほかにあるのではないかと思うのだが、世の中は一気に「自己責任」に加速していった。自己責任という言葉は「それはあんたたちが好きでやったこと、私には関係ない」と自分と他者をすっぱりと切り離す意味合いが強く含まれている。それだけでやり過ごしてしまうのはたやすいし、責める側としては気楽なものだ。「よそごと、他人ごと」として片付けてしまえば、人質もテロもイラクも自分にはまったく縁のない、かけ離れたものになる。

4月25日には衆院埼玉8区の補欠選挙があった。公選法違反の罪で起訴された前議員の辞職による補選だったにもかかわらず、投票率はたったの35.22%である。昨年の衆院選は53.98%だったが、知事選は補選と似たような数字だった。自分の住んでいる地域の政(まつりごと)に参加している有権者がいかに少ないか、それが埼玉県の実態なのだろう。

行ったこともない中東の国で起きている銃撃戦や、危険な場所で活動するボランティアの人たち。どこか実感がなく、自分の生活とは無縁に思えてしまうのは仕方がないのだろう。けれど、選挙のたびに出される低い投票率を見ると、イラクどころか自分の国、住んでいる地域にさえも関心がないようだ。

自分の意志を代行してくれる人を指名するのが投票である。国をつくるために、一人ひとりに与えられている権利であり、責任でもある。たった一票で何が変わるわけでもないと最初から投げ出す人がいる。選挙を棄権することが政治に対する失望や不信への意志表示だという人もいる。

いずれにせよ、投票を棄権した人は今の政府をつくるのに参加していないのだから「無駄な税金を使うな」とか「私たちの血税を」などと言える立場にはない。ましてや、遠い国の紛争はよそごとで、ボランティア活動などには興味もなく、投票にも行かないような人たちは、他人の「自己責任」にも同じく無関心でいるべきだと思う。

(東京新聞・2004年5月12日掲載)

by ichiko : カテゴリー:新聞掲載コラム

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