2003年05月28日

海を渡る風と十九の春

島へ行った。コバルトブルーの海とマングローブの森とやさしい音色の唄が待つ島へ。

那覇空港から飛行機を乗り換え1時間。石垣島に向かってぐんぐん高度を下げていくと、眼下にはソーダ水のように透き通った青と緑の海が見える。国内にもこんなに美しい海があったことをわたしは今まで知らずにいた。なんだかどきどきする。胸が高鳴る。

石垣の商店街でゴーヤの大きさに驚き、路地に山積みされているパイナップルに目を見張り、海ぶどうやスクを眺めながら歩いた。川平湾で七色の海に出会い、ハブにびくびくしながら米原のヤエヤマヤシ林を探検し、唐人墓で人の命の尊さを思った。しかし、わたしはまだ目的地に着いていない。目指す島はほかにある。翌日、石垣港から船に乗り、竹富島を右に見ながら揺られること40分。船は西表島の大原港に着いた。沖縄では太陽の昇る東をアガリ、陽の沈む西をイリと言うので、イリオモテ島と読むのだそうだ。島の9割が山岳地帯で、うっそうとしたジャングルには珍しい動植物がたくさん育っている。

港からバスに乗る。サトウキビが風になびき、大きな実をつけたパイナップルはびくともせず、なだらかな牧草地には牛とサギが遊んでいる。緑の草地に点々と茶色の牛が散らばり、真っ白なサギがすくっすくっと立っている。まぶしいほどに鮮やかな緑と茶と白のコントラスト。やがて、なだらかな坂を下ると入り江があり、その向こうにわたしの求めていた島がぽっかり浮かんでいる。憧れの島、由布島。

由布島は、西表島の沖合400mのところにある周囲2キロほどの小さな島だ。島全体がひとつの植物園になっていて、ディゴや椰子の木が繁る平たい小島である。島へは水牛車で渡る。西表島と由布島の間の浅瀬を牛が引く車に乗って渡るのだ。

水牛は実に楽しそうに嬉しそうにじゃぶじゃぶと遠浅の海を歩いた。マングローブの林が遠ざかり、ぴゅうぴゅうと風が音を立てる。わたしが乗った車はほかの観光客も含めて8人乗りだった。三角の屋根がついたちょっと大きめのリヤカーといった感じで、木枠の両側に長い座席がこしらえてある。へこんだ首に車の取っ手をひっかけられた牛のほうは、そんなものはまるで気にしないといったふうにじゃぶじゃぶじゃぶと透き通った水を蹴散らして進んでいく。

一緒に乗り合わせたおばさんが「水牛がかわいそうだわ」と言った。かわいそうよ、こんなことをさせるなんて牛がかわいそうと眉をしかめているが降りるわけでもなく、一緒にひっぱってやるでもなく、牛にチップを渡してやる様子もない。海を歩く水牛を見て「楽しそう」と表現するわたしも身勝手であるが、「かわいそう」も同じように傲慢であると思う。などということを考えていたら、牛は歩みを止めることなく客に尻を向けたまま海の中で、ぼろぼろぼろと巨大なうんこをたれた。日々の運動のせいか、うらやましいほど健康的なうんこだった。かわいそう発言のおばさまは唖然としていたが、わたしはのけぞるほどに笑った。なんというタイミングの良さだろう。

なかほどまで渡ったところで、牛使いのおねえさんが屋根裏の棚から三線を取り出した。来る途中、観光バスの運転手が「車には当たりハズレがあるさー、都会の学生がアルバイトしてるのもあるからさー」と言っていた。わたしの車はたぶんハズレだ。テレビや雑誌で見る牛使いは麦わらの三角帽子をかぶったしわしわのおじいさんだったが、三線を抱えているおねえさんはオレンジ色のポロシャツにジーンズ、きちんとした標準語をしゃべる若者である。もちろん三角帽子なんてない。「なにかリクエストありますか」と三線を抱えて言う。見上げると車の屋根裏にはびっしりと沖縄民謡の歌詞が書かれた紙が貼ってある。安里家ユンタ、てぃんさぐぬ花、花、涙そうそう、わたしが知っているのはそれぐらいだ。誰もリクエストをせずにいると、牛使いは三線をじゃじゃんと鳴らして「安里家ユンタ」を唄い始めた。

「安里家ユンタ」は、石垣と赤い瓦屋根で知られる竹富島の唄であった。今回、竹富島を訪ねて初めて知ったのだが、この島で生まれた絶世の美女、安里家クヤマを唄ったものでクヤマ生誕の家が観光名所になっている。ユンタはゆいうたの意味だそうで、ゆいは共同作業や労働、つまり地元の労働歌ということである。観光バスの中、レストランのライブショーなどいろんなところでこの唄を聞いたけれど、オレンジのポロシャツを来た牛使いはやっぱりハズレで、とんでもなく下手だった。

水牛は水陸両用である。海を渡り終えるとのしのしと陸に乗り上げ、細い道をゆっくりカーブしながら島の入口のみやげ店でぴたりと止まる。毎日のこととはいえ、さすがに慣れたものである。みやげ店を通り抜けると椰子やアダン、ディゴ、そのほか名前の知らない木が繁る亜熱帯植物園だ。

島のなかを小1時間ほど散策し、ふたたび水牛車に乗って西表島に引き返す。海を渡るのは水牛車だけではない。遠浅の海の中には木の電柱が等間隔に並び、電線がぶらんぶらんと垂れている。さえぎるもののない青い海の中に立つ電柱は、なんとなくもの悲しい。電気も海を渡ります。そんなコマーシャルがあったっけ。

風も海を渡る。島では風などちっとも感じなかったのに、水牛車に揺られて海に出たとたんに強い風が顔に吹き付ける。海面が小刻みに波立って、青緑の海から細かな光が照り返す。帰りの車は大当たりだった。三角帽子はやっぱりなかったけれど、「唄うのが大好きさー」という牛使いのおじさんは早々に三線を抱えた。話をしていたときの声からは想像もできないような力強い声で、どこかの遠い遠い島に届けるように唄った。朗々とした歌声が海の上に響き渡る。

その唄を聴くのは初めてだった。いつかどこかで聴いて知っているような気がしてきて、なつかしいような切ない気持ちになってくる。びりびりと心の奥底が震えるのだ。おじさんが唄ったのは「十九の春」という沖縄民謡だった。

私があなたに惚れたのは ちょうど十九の春でした
いまさら離縁と言うならば もとの十九にしておくれ

もとの十九にするならば 庭の枯れ木を見てごらん
枯れ木に花が咲いたなら 焼いた魚も泳ぎ出す

私があなたを想う数 山の木の数星の数
三千世界の人の数 千里浜辺の砂の数

(沖縄民謡「十九の春」)

三線の音色とおじさんの歌声も、風に流されて穏やかに海を渡る。

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■最近のイノウエ

●女王の母
去年はちょうど同じ時期に父、母と3人でグァムに行った。今回は国内旅行だったので、わたしはずいぶん気楽だった。父も国内とあらば力を発揮できるようで、すべてのツアーの手配を取り仕切っていた。

父とわたしは、母のことを「女王さま」と呼んでいる。ふだんからそうなのだが、旅行に行くと女王さまぶりに拍車がかかる。もっともいい例は、荷物は一切持たないことだろう。父はリュックを背負い、両手に二人分の大きな旅行バッグをひきずる。わたしは自分のショルダーバックと旅行バッグのほかに、母の機内持ち込み用バッグを肩からぶらさげる。いったい何を入れているのだ、と腹立たしくなるくらいこのバッグはでかくて重い。小さなポシェットをさげて涼しい顔で歩く母は、「ねえ見て、あの花きれいね」などとどっかを指さしているが、父とわたしはそれどころではない。汗だくで急いでいるのである。すると母は「あなたたち、旅行に来たんだから花ぐらい鑑賞しなさいよ」と怒るのである。試しに自分で荷物を管理させようとしても、どこかに移動するさいに荷物を持つのを忘れる。「だって、荷物を持つ習慣がないからそこにあったことも忘れちゃうのよ」と母。ちなみに母はひとりで電車に乗って買い物さえ行けない。いつも父が車で送り迎えするか、一緒にお出かけするからである。

いくら女王とはいえども、もとをただせば北海道の山奥で育った農家の娘である。石垣島の観光バスでタバコ畑を通ったときに、いちはやく「あ、あれはタバコよ」と声をあげたのも母である。バスガイドに「よくご存じですね」とほめられ喜んでいたが、農家出身がばればれである。

●沖縄はよきところ
グァムでスノーケリングも教えたので、今回は父と二人でスノーケリングツアーに参加した。海の中にはいろんなものがいて実に楽しい。しかし、ウェットスーツとボートからのエントリーは72歳の父には難易度が高すぎたようである。ちょっと反省。

海もきれいで、食べ物もおいしい。こんなにすばらしいところがあるだろうか。帰ってきてからも、青緑の海とらふてー、泡盛、おじさんの歌声が頭から離れず困っている。今度いつ行こうか、そればかり考えている。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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