2002年12月27日

あの日、浜辺に立っていた母

気ぜわしい日々を送っていると、過ぎていったものたちを振り返る余裕もない。日常の雑多なことがらや仕事に追われてあれやこれやと片づけているうちにどんどん流されていき、そうして今年もまた一年が終わる。流されっぱなしも悔しい気がするので、せめて年の最後ぐらいは記憶の壺を探ってみたくなった。残された日にちもあとわずか、さらに押し迫ってくるなかで、そんな悠長なことをしている場合ではないかもしれないけれど。

楽しいこともつらいことも、もちろんどれもみんな少し古びていて、薄い膜が一枚かかったようにぼんやりしている。あんなに悔しく涙したはずなのに、今こうして取り出すと棘が抜けてほのかに丸みを帯びている。やはり、時は人にやさしくできている。

もっともきらきらと輝いているのは、両親との旅行だ。5月に、札幌に住んでいる父と母を誘い、3人でグァムに行った。グァムのどこが楽しいのだ、インドのほうが雰囲気あっているよね、などと周りからはよくバカにされたり意外だという顔をされるけれど、わたしはグァムが大好きだ。声を荒げて主張することでもないけれど、好きだ、と今ここでハッキリさせておきたいのだ。旅行、休暇、リラックス、となれば南の国である。太陽の光がさんさんと降り注ぎ、椰子の木が揺れる。デッキチェアに寝そべり、青い海を前にしてビールを飲む。太陽、椰子、海、そしてビール。至福のひとときを過ごすためのキーワードである。

それに適したリゾート地はほかにもたくさんあるだろう。ハワイ、グレートバリアリーフ、バリ、サイパンと行ってみたが、やはりまたグァムを選んでしまう。なんといっても近い。3、4時間のフライトで南国の楽園にたどり着けるのはかなり魅力的である。徹夜仕事が続いた後の、疲れ切った体でも耐えられる飛行時間だ。日本からほぼ真下に南下するので時差もない。ショッピングセンターも充実してきたので、お買い物もそこそこ楽しめる。ハワイほど混雑していないというのもいい。それに友だち夫婦が住んでいるので、何かと便利である。

結婚十周年を祝い、記念日である1月には夫と二人で行った。ひさしぶりに二人で出かけたまともな旅行だったのに、滞在していた間はずっと雨が降っていた。濃いグレーの空からは大粒の雨がばらばらと降り注ぎ、椰子の木は強風にあおられて恐ろしいほどに暴れていた。ガラにもなく十周年を祝おうなどと考えたわたしたちが悪いとでもいいたげな悪天候。

どしゃ降りの恨みを晴らすべく出かけた親子3人の旅は、天気にも恵まれてまさに楽園の休日だった。これでいいのだ、のんびり休暇を楽しむのだ、と両手をあげて踊りたい気持ちだったが、そう喜んでばかりはいられなかった。父と母をグァムに連れて行く、というのは想像以上に疲労することだったのである。簡単にいえば、わたしは両親のお抱え添乗員となっていた。

父と母はよく二人で旅をする。少し前までは京都がお気に入りだったようで、毎年のように出かけていた。年金暮らしになってからはよりいっそう身軽になったらしく、朝のテレビで弘前の桜が満開というのを知り、その夜には「北斗星」に飛び乗って弘前に向かう夫婦である。旅慣れた人たちなのだ。しかも父は几帳面、かつ慎重な性格なので目的地までの行程や電車の時間、食事をするお店など実に細かく調べる。どこどこに何時に着くためには何時のバスに乗るのがよい。何時までに朝食をすませ、ホテルを何時に出ると歩いて5分でバス亭に着くので、などという調子ですべてのことを仕切ってくれるのである。父がいれば、まわりの者は何も考えずともちゃんと目的地にたどり着き、おいしいものにありつけるのだった。

しかし、それはあくまでも国内でのこと、父が力を発揮するのは日本国内に限るようである。ローマ字が面倒なのか、昭和ひとけた生まれの父にとってガイジンはやはりビビる存在であるのか、ここは娘に譲ったほうがよいという判断なのか、理由はよくわからない。とにかく海外はまったくの守備範囲外であるらしく、すべてをわたしに任せ、何も考えようとしないのである。その任せぶりたるや、いさぎよい、とも言えるほどキッパリしており、わたしは本当に驚いてしまったのだった。

騒ぎは、すでに朝から始まっているのである。とりあえず本日の行動予定、時間割などを二人にざっと説明する。綿密に下調べをし、計画を立て、予約の手続きをした手際の良さをほめてほしいところだが、ふんふんと頷いているだけである。支度を始めると、スカートの下にストッキングをはいたほうがいいかしら、買い物をするなら大きな袋を持ったほうがいいだろうか、お金はどれぐらい持っていけばいいのかしら、日焼け止めは塗ったほうがいいのか、雑誌で見たあのお店には行くのかしら、とあれこれ疑問の嵐になる。ひとつずつ答えながら、バスは冷房がきついのでカーディガンを持参すべし、というアドバイスなども付け加え、そうこうしているうちに父が「腕時計がない、どこだどこだ」と騒ぎだす。3人であちこち引き出しをあけ、袋の中をのぞきこみ、ようやく見つけたかと思えば、つぎは「帽子がない、どこだどこだ」と始まる。なんとも騒々しく、あわただしい。

ようやく準備が整い、わたしはドアの前で「バスの回数券は持ったか」「カメラは持ったか」とそれぞれのバックを開かせ、ブツのありかを確認する。成田空港で「パスポートがどっかに消えた」と父が騒いだときから、確認は返事だけでなくブツとともに入れてある場所を見せる、という手間をひとつ加えた。老人たちはしょっちゅう「ない、ない」と慌てる。きちんと大切にしまうのだが、肝心の入れた場所を忘れてしまうらしいのだ。なので、わたしは常に父と母とわたしと3人分の持ち物のありかを覚えておくことにした。確認も終わりドアを開けようとしてわたしはハッとする。パジャマがわりのTシャツによれよれのパンツ、部屋ばきのスリッパ老人たちの準備に気を取られ、自分の洋服を着替えていなかったのだ。本当にアンタはぬけているわねぇ、ほっほっほと笑う母に「それはないだろうよ」と心の中で毒づくのであった。

観光地に行っても、レストランで食事をしても、ビーチに出ても、万事がそんな調子である。小学生二人を連れて海外旅行をしているようなものだ。慣れない子守りと気苦労でわたしはへとへとになりそうだった。わたしの心のうちなど知らない二人は実に平和である。けれど、いかにも楽しそうに遊んでいる両親を見ていると、疲れなどなんのその、不思議と満たされた気持ちになっていった。考えてみれば、親に信頼されこれほど何かを任されるというのは初めてかもしれない。

ビーチでは父にスノーケリングを教えた。わたしは自分のマスクを持参していったので、父にはレンタル、あるいはホテルの売店で買うのをすすめた。父は、そんなのやらんよいらん、の一点張り。全く興味を示そうとしない。しかしわたしは知っている。父は必ずやるはずである。一度でも海の中をのぞいたら、きっとスノーケリングが好きになる。

とりあえず一緒に海に入り、「ちょっとでいいから試してみてよ、嫌だったらやめればいいんだよ」と父にわたしのマスクをつけた。スノーケルを口にくわえさせ、使い方を教えたあと「そのまま顔を水につけてごらんよ、手を握っててあげるから」と言葉はやさしいがなかばムリやり父の顔を水にぐっと押しつけた。おそるおそる水の中を見た父は、「うおーっ、魚がいるぞ、いるいるいる」とスノーケルをくわえたまま海のなかでもごもごわめいた。ずいぶん水を飲んだようであるが、思ったとおり父はハマった。ホテルのビーチの浅瀬でも、きらびやかな魚がやってくるのである。

それからが大変だった。父はわたしのマスクを奪い、魚を見るのに夢中になった。71歳にしてスノーケルの楽しさにハマる老人。油断すると知らないうちに深みに行ってしまうので、わたしは父の手をしっかり握って海の中で仁王立ちになる。何かあったときに助けられるのは、わたしの背の立つ範囲だけだ。さよりの群れが体のまわりをぐるぐると回遊している。水面ぎりぎりの所を泳いでいるので、わたしのあごのあたりをかすめて泳いでいく透き通った細長い魚の形がはっきりと見える。手を握られた父も、わたしのまわりをぷかぷかと周る。ときおり顔をあげては、「すごいよ、いま黄色い魚が来たよね。きれいだね」と興奮して報告する。

いくら元気だとはいえ老人である。そう長い間泳がせておくわけにもいかず、適当なところで母の待つパラソルに戻る。しかし5分も経たないうちに「行こうよ、行こうよ」と父はマスクを握りしめてわたしを誘うのだ。海に入るのにも疲れ、「ブイの向こうには絶対に行かないこと、珊瑚あるいは大きな岩(父は珊瑚と岩の区別がつかず、珊瑚の上に座ろうとした)は絶対に触らないこと」と言い渡して、父をひとり海に放った。

デッキチェアに背をあずけ、わたしはちびちびとピナコラーダを飲みながら遠くの父の頭とスノーケルの先っぽから目を離さない。時おり父が顔をあげて手をふる。きらきら光る海を眺めながら、ああいつかこんなことがあったな、となつかしくなった。あれは石狩の大浜だった。けれど、海で泳いでいたのはわたしだった。浮き輪につかまって夢中になって遊んでいるときに、なぜだか急に不安になって浜辺を振り返る。振り返った先には必ず母が立っていて、しっかりわたしを見つめており、「ブイより向こうに行ってはダメよ、砂浜と平行に泳ぐのよ」と何度も叫ぶのだった。砂浜と平行に泳ぐのよ。今でもわたしは海に入ると、浜を目のすみに捉えながら平行に泳ぐ癖がぬけずにいる。


──────────────────
■最近のイノウエ

●ピナコラーダ
母はアルコールにとても厳しい。昼間からビールを飲むなどもってのほかで、南国のビーチにいながら缶ビールさえ禁止された。お酒の好きな父がよくもこれまで耐えてきたものである。文句も言わずに我慢している。父と娘はガックリと肩を落とし、隣のパラソルの若者がバドワイザーの缶をずらずら並べているのをうらめしげに見つめていたのだった。

しかし、わたしはいい方法を思いついたのだ。プールの脇にあるバーまで母のためにパイナップルジュースを買いに行き、ついでにピナコラーダも買ってきた。母はピナコラーダもジュースだと思っている。ちびちびとストローですすりながら父にもすすめる。いらん、と顔をそむける父に「これ、アルコールだよ」とささやくと、父はさっと奪ったかと思うとじゅるじゅる音を立ててうまそうにすするのであった。

●わたしの年末年始
スーパーに買い物に行ったら、こんにゃくや納豆が置いてあった棚が一気に正月向けに様変わりしていた。ピンクと白のかまぼこがずらずらと並び、栗きんとんやら佃煮、だて巻き、煮豆などがびっしりと並んでいる。ああ年の暮れ。なんだかわくわくしてくる。

わたしは丹波の黒豆を煮て、煮物となますを作る。時間があれば栗きんとんも作ったりする。あとは適当に買いそろえたもので賑やかに重箱もどきを飾るぐらいだ。ビールをケースで買い込み、貢ぎ物の酒をあけ、あれこれ食べてだらだらと過ごす、それがわたしのお正月。とってもハッピー。

それでは良いお年を。また来年、会いましょう。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

made by XHTML, CSS, Movable Type.
© Go Go ichiko. All Rights Reserved.