2002年11月28日

シャクタクと風門小町

降り止まない雨はない、どんなにひどいどしゃ降りでもいつか必ず晴れる、というけれど、同じように、止まらない鼻水もないのである。ぜんそくのごとき咳にも、じじいのようにむせかえる痰にも、永遠に続きそうな鼻づまりにも、必ず終わりが来る。

この一ヶ月半、週でいえば7週、7かける7の49日の間、わたしはどしゃ降りのなかにいた。これまでの人生でたぶん最も長く風邪を患っていたのではないかと思う。信じられないほど、長かった。

わたしは、風邪の一連の過程のなかで、咳がもっともつらい。小さいころにひどい肺炎にかかったせいもあるのだろう。しつこく、まるで喘息のように、こんこんこんこん止まらなくなる。ひとつの咳がつぎの咳を誘う。つぎの咳は前のひとつより、凶悪だ。こほんと咳を送り出した肺は、空気がほしくて大きく膨らもうとする。しかし、膨らみきらぬうちに、何かがこすれて、げほっとまた咳を生む。あわてて息を吸うと、痰がからまり、肺はぜろぜろと苦しげにもがく。こうなるともう止めようがない。

それはもう肺だけのことでなく、体ぜんたいで咳をしている感じだ。胃が飛び出しそうなほどの勢いで、ひとつ出るたびに体が大きく揺れる。腹筋や背筋もきりきりと痛みだし、目に涙がじわっとわいてくる。失禁しないだけ、まだマシなのかもしれない。

風邪にまとわりつかれてから、そろそろ三週間が経っていた。どうしたものだろう。ぜんそくのような発作が起こったときに、少しでも発作を鎮める方法はないものだろうか。日に三回、風邪薬を飲んでいるから、ほかの薬を使うわけにもいかない。治療でなくてもいい、ほんの少しあの苦しさをやわらげてくれるものがあれば。

ぼーっとテレビを見ているときに、「ツボ」という単語をきいて、わたしはポンと膝を打ちたい気持ちになった。そうか、ツボだ、ツボである。体のなかに数百もあるといわれているツボ。押したり、もんだり、あっためたりするだけで、さまざまな症状に効果があるらしい。これなら、薬の副作用も気にせずに日に何度でも使えるではないか。苦しくなったらぐいぐいとツボを押す。水もいらなければ、専門の器具もいらない。いつなんどきどこでも。自分の指さえあればいいのだ。ツボはわたしにとって救いの神である。というか、はっきりいって、藁にもすがる思いなのだ。

調べてみると、咳やぜんそく、肺に効くツボはたくさんあった。そのなかでも、特に咳止めに効果があるとされる「尺沢」というツボを覚えてみることにした。しゃくたく、と読む。軽く腕を曲げると、真ん中に線が入る。その線、皺を4等分した一番外側(親指側)のところにそれはある、らしい。ツボにハマるとびりりと痛むというのでぐいと押してみるとたしかにちょっと痛い、ような気がする。親指に力を込め、しこりをほぐすように、ていねいに押しもみをする、気長にじっくりと何度も繰り返す、少なくとも一度に二十回は、とある。

それから毎晩、わたしは布団のなかでパジャマのそでをまくりあげ、咳に効くであろうツボ、尺沢をぐいぐいと押しもんだ。ぜんそく系の咳は、寝るとますますひどくなる。布団に入って横になると、この世の終わりのようなぜんそく患者になる。わたしにとってツボ押しは、ヤクが切れた中毒患者が手をふるわせながら薬を欲するのに似ていた。咳が出るやいなや、そでをまくりあげるのももどかしく、あたふたと尺沢を探しあて、取り憑かれたような面もちで、一心にぐいぐいと押すのである。深夜になって、咳こみながら目を覚ますこともたびたびだった。苦しさにあえぎつつ、真っ暗ななかで無意識に腕をまさぐっていた。押し疲れるのか、ツボに効いているのか、その一点に集中していると、すうっといつの間にか眠りに落ちた。

ツボを覚えて三日目の晩のことだった。布団にもぐりこみ、咳が出始める前からそでをまくる。ツボ押しは、眠りにつくためのおまじないになっていた。はじめのひと押しで、ぐぐっとその一点を正確に探り当てる。ぐ、ぐっ。「はあっ」かすかなため息がもれた。ため息?ふたたび、親指に力を込める。ぐいっ。「はああっ」声がする。誰かいる。息をつめて、耳を澄ませる。ぐいっ。さらに力強く押す。「ほうぅっ」布団のなかだ。そっと布団を持ち上げると、あんかで暖まった空気がもやもやと顔のあたりにたちのぼってくる。

布団から腕を突き出し、尺沢のあたりをじっとみつめた。ぐいいっ。「ん、んーむ」うめき声に変わった。さらに、親指に満身の力を込め、押す。ぐいいいっ。「ん、ん、ん、、」さらにさらにもうひと押し、と思ったところで大きな風がおこり、ボンッという音のあとに煙が立った。黄色い煙のなかに、赤玉おやじがふわふわと浮かんでいた。

「はぁぁーっ」大きなのびをしながら、声をはりあげる。富山の薬の、あの赤玉おやじである。サッカーボールほどの煙のなかに、口先をしばった白い布袋に背をあずけ、あぐらをかいて座っている。「はぁ、ええ気持ちだわい」えと、ちょっと、そのう、なんで赤玉おやじがここにいるんでしょうか、と問うてみると、「あかだま? なんだそれは。そうか、オマエにはわしがその赤玉なんたら、に見えるのか。ほぅほぅほぅ」

本来ならばその姿を見て、七福神の布袋様というのが正しいのかもしれない。ふくよかな丸顔に垂れ下がった福耳。はだけた上っぱりから、丸々とした腹をつるんとつきだしている。背には白い布の袋。まさしく布袋様のお姿にちがいないが、色かたちといい、はだけ具合といい、下品ににやけた顔といい、富山の「赤玉はら薬」に描かれていた絵そのものだった。

わたしは小さなころから腹の具合が悪くなると、ダルマ絵のかかれた薬箱の引き出しをあけ、赤玉の袋を探した。どぎつい黄色の紙袋に、大きな赤丸があり、白抜きで「赤玉はら薬」と書かれている。真ん中に、布袋おやじ。しくしくと鋭く突き刺す腹痛にも、緊急を要する軟便にも、置き薬である富山の「赤玉はら薬・整腸丸」はとてもよく効いた。仁丹ほどの赤い小さなつぶつぶを飲むだけで、すぐにお腹はもとどおりになった。しょっちゅう腹をこわすわたしは、肌身離さず常に赤玉おやじを携帯していた。実家を離れてからも、会社の置き薬の箱のなかにはやはりおやじがいた。そういえば、会社を辞めてからもう十年以上も赤玉のお世話になっていない。その、富山の赤玉おやじが、枕元のあかりに照らされて、ほぅほぅほぅと笑っているのである。

「ツボ押しがあんまりエエもんだから、たまらなくなって出てきたわい。ああ、ええ気持ち、たまらんっ」で、あんた、誰なのよ。布袋様の姿にもかかわらず、赤玉おやじは横柄な物言いで、しかもオマエよばわりするのであるから、わたしもタメ口でいくことにする。「わしは、尺沢ツボの門の主である。守り神っつー言い方もあるね。そこそこ偉いヒトなのだな。名前は特にないけど、便宜上、シャクタクくんとでも呼びたまへ」つき出た腹に手をやり、輪を描くようにつるりと一度なでた。シャクタクくん、というよりも、シャクタクおやじ。

ふうん、偉いんだ。「そう、偉い。偉いのよ、ほぅほぅほぅ」今度は禿げあがった頭をつるり。そんなに偉いなら、わたしの風邪も治せるんでしょ、出てきたからにはなんか魔法みたいなことしてくれるんでしょ、シャクタクくん。最後の、シャクタクくん、はご機嫌とりだなぁと自分でも思った。「ほぅほぅほぅ、そうきたか。それはムリ。ムリムリ。そのような俗世なことは、わしの範疇ではないのだ。わしはだな、もっと崇高な、宇宙的な」主とか、神とか、偉そうにしているけど、何にもできないんじゃないの。「むむっ、何をゆう。門の主を甘く見るでないよ。ツボ穴の主は、からだの気の流れを司っておるのだ。正しい方向に気を導き、邪悪な気を退ける門番でもあるぞよ。わしらがいなければ、広大な肉体の宇宙のなかで全ての気は迷子になっておるだろうよ。衝突だわい、大渋滞だわい、邪悪であふれておるわい、ふんっ」

ふんっ、と鼻息が荒いわりには、さっぱり怒っているように見えないのも悲しい。布袋様のお姿であるからして、いくら怒っていても、太い眉は垂れ、目尻もさがっており、ふくふくと笑顔なのである。わたしは布団から顔だけだして、黄色の煙のなかでふわふわと揺れている赤玉おやじ、本人いわくシャクタクくんと向かい合っていた。あなたのおっしゃってることが正しいとしますと、尺沢ツボの主であるあなたが門番を怠ったから、わたくしがこのようなぜんそくもどきに苦しんでいるということになりますよね、そこのところ、いかがでございましょう。筋を通して理詰めで攻め入ろうとすると、わたしは知らぬうちに丁寧な物言いになる。「おしいっ!」と、さも嬉しそうにシャクタクくんは小さな叫び声をあげた。「理屈はあってるが、システムがちがうのよ、システムが。わしらツボ主、門番は、良い気の流れを作るが、ひとたびからだに入り込んだ邪悪な気を退治することはできん。あっちに行け!と蹴りつけるだけじゃ。みんなで、蹴りつけあってるわけ。たらい回し。お、そー考えるとわしら門番もえげつねぇことやってるのかいな、ほぅほぅほぅ。ま、あちこち蹴られているうちに、邪悪な気もいずれ消え失せる」からだに入り込んだ邪悪な気、とおっしゃいましたね、ふふふ、そうすると入り込む場所があるってことですよね、それはどこから入り込むんでしょうか、ふふふ。「なかなか、鋭いっ。仲間の告げ口をするようで気がひけるが、すぐにばれることだ。教えてやろう。今のオマエのような風邪は、フウモンからしのびこむ」フウモン。「風の門、と書く。風は風邪の意味。風の邪が侵入してくる門であるよ。どの場所にあるか、自分で調べるがよい。オマエはそう見えてもなかなかの勉強家であるようだし」勉強家といわれて、少しうれしい。ツボに救いを見いだし、シャクタクくんを見つけだすまでに、あれこれけっこう調べたのだ。じゃ、風門が怠けていたってことか。「ここんとこ、風門ちゃん、荒れているからな~。イライラしどおし、癇癪の嵐、お肌もボロボロ、あ、風門ちゃんはなかなかの美人で、わしらは風門小町と呼んでいたのだよ、それにしてもなぁ」禿げ頭をさする手がふいに薄くなり、黄色い煙が闇のなかにしぼんでいく。「さて、そろそろ戻るか。ようく、勉強しなされ~、ほぅほぅほぅ」線香の煙のように細くなり、くねくねと布団のなかに吸い込まれた。右腕の尺沢がポッと一瞬熱くなる。ほぅほぅほぅというこだまを聞きつつ、わたしは眠りに落ちた。

翌日、風門というツボの位置を探した。首を曲げたときにいっとう強くボコリと飛び出るところが第七頸椎で、そこから二つ下の骨から指二本分外側にあるらしい。ぐいっと押してみるが、自分でやるにはあまり力の入れられない場所である。風門め、ちゃんと門番をしてくれないと困るではないか。

昼間になんどか咳こむ発作があり、そのたびに尺沢をぐいぐいと押す。もしや、と思ったが、赤玉おやじは昼間はお出ましにならないようだ。安心して、ぐいぐいともんだ。

夜になり布団に入ると、最初のひと押しで赤玉おやじがあらわれた。昨晩のようななまめかしいため息はなく、ひゅーっという風のあとにボンッと煙が立つ。やはり、腹のつきでた富山の赤玉おやじだ。それからいく晩か、わたしは布団のなかから顔を出し、シャクタクは腹をつき出し、ぼそぼそと話をした。シャクタクが赤玉おやじの姿に見えるのは、わたしが抱くツボの守り神の象徴的かつ潜在的イメージが形となってあらわれるからである、とおやじは言った。

七日目の夜だった。煙とともにボンッと出てきたおうへいシャクタクは、いつになく丁寧に頭をさげた。「シャクタクくんでございます」なによ、今日はずいぶん謙虚じゃないの、なんだか薄気味悪いわ。「ほぅほぅ、今晩はゲストをお連れいたしておりますからな。さあさあ、顔を見せなされ」沈黙。「さあ、遠慮せずに」黄色い煙の輪がふるふると震え、そのすぐ隣にもうひとつ、薄桃色の輪が出来た。色鮮やかな十二単をまとった、平安の女が後ろ向きで座っている。さてはこやつは風門小町だな。かの小野小町は、自分の絵を描かせるときには顔を見せず、後ろ姿を描かせた。後ろ向き小町である。しかし、ツボの主、風門はもぞもぞしながら体ごと振り返り、顔を見せた。本人の前であったが、わたしは思わずぶっと吹き出した。風門小町の顔は、失敗した福笑いだった。しもぶくれのおかめ顔に、まゆげや目、鼻、口があらぬ場所で、てんでの方角を向いて散らばっているのだ。おかしすぎる。腹を抱えて笑いたいがさすがに我慢した。

「申し訳ございません、本当に申しわけ、うっうっ」小町はおでこのてっぺんと鼻の横で踊っている大きな垂れ目からほろほろ涙をこぼしながら、深々と頭をさげる。このおちゃらけた顔で、小町を名乗る図々しさを詫びているのか、門番の任務を怠ったことを謝っているのか、判断がつかない。失敗した福笑いの顔で、ぐちょぐちょと泣いていた。

「あ、あ、風門ちゃん、泣かないでください。風門ちゃんは何も悪くございません。もとはといえば、みんなコイツのせいなんだから」きっ、と睨んでいるつもりなのだろうが、にたにた福顔のままである。こいつ、というのは、わたくしのことでございましょうか。「そうだ、オマエだ。オマエの不摂生のせいである」はて、それはまたどういう。「ふんっ」と鼻から息を出し、傲慢シャクタクは得意げに語り始めた。「からだ全体の気、エネルギーが落ちるとだな、門番は邪悪と戦うための力を奪われてしまうのだ。風門ちゃんはご覧のとおり、か弱き乙女、まっさきに門を破られてしまうのである。オマエがきちんとからだを管理しないから、風門ちゃんの顔までこんな踊り狂った福笑いになってしまったではないか、ばかもんっ」

エセ布袋様とはいえ、そのお姿でばかものと罵られると、さすがのわたしも傷が大きい。風門ちゃんと一緒にぐちょぐちょと泣きたくなった。泣こうかな、と思ったのに、無意識のうちに尺沢ツボをぐいっと押してしまった。「お」黄色の煙が一瞬ぎゅっと縮み、元にもどる。輪のなかの赤玉おやじも縮み、ふくらむ。ぐい、ぐい、ぐいっ。「う、お、む」押すたびに、もがきシャクタクは奇妙な声をあげ、煙と一緒に縮んで、のびる。

不摂生と管理。生まれつき健康な肉体を持った人には、病気がちな人間の心のなかは永遠に理解できないと思う。この寒空に、はだけた上っぱりから腹をつき出してにたにた笑ってるおやじに何がわかる。

生活が不規則なんじゃないの、栄養が偏っているんだよ、もっと運動しなくちゃ、ぐいっ、かっ、生活改善をするしかないね、病は気からって言うじゃない、気をはっていれば風邪なんか吹っ飛んでいくよ、って、心配されたり、叱咤されたり、ぐいぐいっ、う、のっ、励まされたりして、こちらとしても脆弱な肉体を改善すべく常日頃からあれやこれやを試し、注意を払い、努力しているつもりでございますが、弱いものはやはり弱いようで、なにをどうしても風の邪はあっという間に入り込み、ぐいっぐいっぐいっ、はっとっなっ、情けないやら悲しいやら悔しいやら、またかという呆れた顔をされるのも当然で、みなさまのご期待に添えないこの弱々しい肉体がつらくてなりませぬ。ぐいぐいぐいぐいぐい。

ボスキャラとの戦闘で鍛えた早打ちで、尺沢ツボを連打した。黄色い煙の輪は伸びたり縮んだりしながら、竜巻みたいに部屋のなかをぐるぐる回り、ひー、ほぅほぅほぅという叫び声が響き渡る。本の山をなぎたおし、電気スタンドを蹴っ飛ばし、目覚まし時計をひっくり返して、しゅるしゅると布団に吸い込まれてゆく。風門も消えていた。勉強しなされ~、なされ~、とかぼそい声があとをひいた。

翌日、わたしは新しくできた総合病院に出かけた。医師の診察を受け、胸のレントゲンを撮り、抗生物質を筆頭に咳止め、鼻水、痰、熱さましの薬をたんともらってきた。ツボの主などにあれこれ言わせておいてなるものか。現代医療をもって、きっちりと回復してやろうじゃないの。抗生物質であるぞよ。それでも、風邪の最終過程である鼻水から逃れるまでには二週間を費やした。小鼻の脇にある迎香ツボでずいぶん楽になるようであったが、ゲイコウくんにまた説教されてもなんなので、現代医療に頼った。

ある晩、不思議な夢を見た。とてもよく晴れた昼下がり、うかれシャクタクと風門小町がいちょうの木の下で酒の宴を開いている。おやじは布袋とともに木の幹に寄りかかり、大きなさかずきを手に風門を見やる。きらめく陽だまりのなかで、いちょうの木はそれはそれは美しい黄色に染まっていた。桃色の扇子を広げた風門ちゃんが木の下でゆらゆらと踊り、「ほれ、もっと、やや、これは美しい」などとはやしたてるシャクタクは、ときおり手を伸ばしてはぎんなんを拾い、皮をむいて口に放り込む。はらりはらりといちょうが舞い、つき出た腹も黄色に埋まる。ほほほ、いやですわ、ほほほ、とにこやかに笑う風門小町の顔は、なぜだかいまだに失敗した福笑いのままであった。

─────────────
■長くてすみません

元気になったら、なんだかすごく書きたくなり、あれこれやっているうちにこんな長さになってしまいました。連載にして分けて配信しようかとも思ったけれど、一気に読んでいただきたかったので。ご感想お待ちしています。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

made by XHTML, CSS, Movable Type.
© Go Go ichiko. All Rights Reserved.