2002年10月22日

孤立無援

「活性化のためには地域住民の力が必要なんです」。内部職員と住民が力をあわせることで変化が生まれる。公立病院の若き医師は熱く語った。その情熱にうたれ、私はホームページを作った。赤字経営の病院にはホームページを使うのが最適だと思った。少額の費用でさまざまな試みができる。病院の地図、外来担当表などの基本情報の提供はもとより、日々の健康に役立つコラムや医療相談など独自サービスにも広げられる。

前回ここで取り上げたその公立病院はネット医療相談を廃止するだけでなく、唐突にホームページの全面休止を決めた。「諸般の事情により」「あり方を再考すべく」と病院側から示された理由はいかにも事務的で歯切れが悪く、いまだに真意はわからない。理由はともあれ、縮小、民間委託などがうわさされるなか、情報提供と住民サービスの柱であったホームページをも捨てて、病院は再建に向けてどのような切り札を用意しているのだろうか。

この二年間、私はホームページをもりたてることに懸命だった。院内の会議に出席し、医師の講演会を聴きに出かけ、毎月新しい情報を更新した。変化を求めていたのだ。住民サービスに力を注ぐその姿勢はいずれ病院に明るい将来をもたらし、病院が活性化することで地域住民は恩恵を受ける。充実した医療を手にするだけでなく、山の中の小さな病院の発展は地域そのものを元気にする。それは住民のひとりである私にも返ってくる。幸せの輪は、すべてがつながって作られる。

しかし、私の二年間は徒労に終わった。だれの心も動かせなかった。データは削除され、すべてが消えた。何よりも内部職員にその必要性を理解してもらえなかったのは無念としか言いようがない。私ひとりではなすすべがない。変化は、「内部職員と住民が力をあわせる」ことから始まるのだから。


(東京新聞埼玉版・10月22日掲載)

■■ 

「書けない」と思ったのは、これがはじめてだった。考えてみれば、小学校の作文のころから、なにかを書く原動力は、悔しさやつらさ、悲しみ、無理解、理不尽にあったように思う。楽しかったことをわくわく書き連ねるということはとても少なかった。

文章を書く、というのは、そのときどきの気持ちをそのときのままの形で残しておくことだと思っている。飛び散らかっていた感情を寄せ集め、順序立て、整理し、なにがしかの結論を見つけ、形にして、きっちりと額のなかにおさめる。そうすることでひとつの決着がつき、やり場のなかった感情は過去のものになる。わたしの心のなかには、四角い額がたくさんぶらさがっている。

ときおり、古ぼけたひとつを手にとってみる。閉じこめられていた時が戻り、感情が解き放たれる。遠い昔に起こった出来事が、まるでつい昨日のことのように鮮やかによみがえってくる。忠実に、濃密に、心のうねりが再生される。文章には書き留める役割のほかに、あのときの現実を再生させる、そういうすばらしい力があるように思う。また、そういう文章を書きたいと思う。

けれど、人はあまりにもつらい思いをすると、外に出す気力など失ってしまうことを知った。文字にするためには、感情を寄せ集めなくてはならない。つらかった出来事を反芻しなくてはならない。それは本当につらい作業だ。感情をどこかに隠して押し殺してしまうほうが楽だった。もう思い出したくない、このことはなかったことにしてしまいたい。文字にするなんて出来るわけがなかった。口に出して言葉にするのでさえ嫌だった。外に出そうとすればするほど心が痛む、そういう出来事だった。

それでも原稿の締切はどんどん迫り、苦しさに身もだえしながらわたしは書き始めた。しかし、どうやってこの二年間を13文字60行におさめればいいのだろう。あまりにもいろいろな思いがかけめぐる、なにをどう書けばいいのか、途方にくれた。

たかが病院のホームページじゃないか、と思う人もいるかもしれない。でも、わたしにとってそれはライフワークでもあった。山深いこの土地は、同じ市内の人にもバカにされるようなへんぴな地域である。びっくりするぐらいの田舎だ。大きな建物といえば、この公立病院ぐらいしかない。

ホームページは、とりあえずわたしが出来ることとして続けていた。それを基点に、高齢者介護や福祉とも結びつけたサービスができないものかと模索していた。高齢者の足になる送迎バスの運行も実現したかった。薬の処方だけの患者さんへの宅配サービスもやってみたかった。

病院の待合室にいるのは、古くからここに住んでいる年寄りのじっちゃん、ばっちゃんばかり。いずれわたしもこの人たちのように年を取り、やれ腰が痛いだの、ひざが動かないだの言いながら通うことになるだろう。自分のため、でもある。

それよりも、この山奥の田舎にたったひとつある公共施設を通して地域のためになにか働きかけたいと思っていた。だれもふりむいてくれないような田舎。黙っていれば永遠に何も改善されないへんぴな地域だ。住民の力として、わたしはなにかを変えてみたかった。この土地に住んでから、わたしは「自分の住んでいる場所は、自分の力でよりよい場所に変えていく」という意識が芽生えるようになった。あまりにも山奥で、あまりにも僻地だったからだろう。

でも、そんなことを考えていたのはわたしだけだったのかもしれない。住民側が勝手に夢みていた絵空事にすぎなかったのだろう。休止の決定を受けて、しばらくわたしは何も手がつけられなかった。魂が抜けた。今までなんのために時間を費やしてきたのか、努力してきたのか、自分でもわけがわからなくなったのだ。

■■ 

ホームページを休止してから数日後、見知らぬ人から一通のメールが届いた。この病院のホームページを毎月楽しみに見ていたという。「豊富な内容で、医療相談もある。信頼できる病院だなと思っていました」。

胸が熱くなった。情熱を持って作っていたといっても、いつも前向きだったわけではない。見てくれている人はいるんだろうか。誰かの役に立っているんだろうか。相手の顔が見えず、効果をダイレクトに実感できないホームページにはいつも同じ不安がつきまとう。

「楽しみに見ていた」。この一通のメールでわたしは救われた。それと同時に、ひとりのユーザーを裏切ったのだと知った。いつものようにホームページを訪れたその人は、突然の閉鎖にあ然としたという。「見ている側の存在を全く無視している」と書かれた一文から、わたしはしばらく目をそらすことができなかった。

事前に閉鎖の告知期間を設けるなど、少なくともそういう配慮をして当然であったと思う。公共のホームページであるならなおさら、始めたからには責任がある。それさえも説得できなかった自分に力のなさを感じた。


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■最近のイノウエ

●滋養強壮
休みが取れなかった夏のかわりに、紅葉の旅に出るぞという野望があった。なんとか仕事の区切りもつき、いよいよと思ったそのときに風邪をひいた。ばかみたいだ。もとはといえば夫のせいだ。いつも彼は外から強力なバイ菌を連れてくる。顔をほてらせ熱っぽい夫は、薬を飲んでひと晩寝ると翌朝はけろりと快復している。そういう体がうらやましい。

わたしはというと、酷暑の時期をのぞいてはしょっちゅう風邪をひいている。しかも、一度やられると二週間コースだ。喉の痛みから始まり、熱、咳、鼻水とフルコース。そのあいだ、ほとんど思考力ゼロで使い物にならない。「え?二週間も?」とか「また風邪をひいたの?」とか、親、夫、友人、仕事関係の人たちにはよく呆れられている。ばか、あほ、軟弱、なんと罵られようとこの体はどうにも変えられない。腹を立てているのは、誰よりも当の本人である。「風邪は4年に一度ぐらいかな」とここぞとばかりに胸を張る友人と、体をそっくり取りかえてみたい。

夫は「これからのキミの目標は滋養強壮だ、養命酒を飲め、強くなるんだ。それを人生の課題にして生きていけ」という。そんなこといわれても。

●ロードスター
「海辺のカフカ」に出てくる大島さんは、マツダロードスターに乗っている。緑色だ。ふふん。でもわたしが乗っていたのは、ユーノスロードスターだもん。


●中つ国
「ロード・オブ・ザ・リング」で、ミドルアースを「中つ国」と訳していることに抵抗があった。どうもピンとこない。だいたい、中つ国ってなんだ? 普通に使われる言い回しなのか。知っていて当然の単語なのか。

当然の単語であった。わたしが無知だっただけなのかも。「古事記」(ダイジェストバージョン)を読んでいたら、葦原中国(あしはらのなかつくに)が出てきて、どきりとする。なかつくに。こんなところで教養のなさがばれる。しかし、古事記では、高天原、黄泉(根の国)があり、世界は天・地・下にはっきりわけられているから、地が「中つ国」であるというのも理解できる。ってことは、「ロード・オブ・ザ・リング」にも天と根にあたる国があるの?それとも「中つ国」に対するわたしの理解のしかたがまちがっているんでしょうか。


●今月の酒
◎日本酒               ◎焼酎
  くどき上手・純米大吟醸・生詰め    かんろ時代蔵(芋)
  國香・特別純米           

体調がこんな具合なので、今月はほとんど飲んでいない。お酒がおいしく飲めるよう、はやく元気にならなくては。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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