2002年07月13日

最後にのこされた『欲』

友だちがうちに泊まりがけで遊びに来たいという。ひとりは目黒から、ひとりははるばる広島から、普段は腰の重い女二人がわざわざこの田舎までやってくるにはわけがある。狙いはただひとつ、「酒」だ。

二人とも大の酒好きである。うまい酒とうまい肴に出会うために生きている、という人たちだ。そんな二人は、最近わたしがときどき話題にする「地元の小料理屋」のことが気になって仕方がないらしい。

おととしあたりまで、わたしは酒を飲みに行ってもビール一杯がせいいっぱいだった。二杯目からはいつもウーロン茶だ。しかし、ここのところ「あの無ろ過が」とか「十四代の生詰めは」などと口にするようになったので、友だちは驚いている。酒の世界に導いたのはその小料理屋だと知っているので、酒好きとしては見逃すわけにはいかないのだろう。「ぜひ、その店に行きたい。あなたをそこまでに変えたその店を見ないわけにはいかない。いざ小料理屋へ!」となったのだ。

せっかくなのでお酒のあとは我が家に泊まってもらい、翌日は近くの温泉に出かける計画を立てた。「小料理屋で銘酒を飲む旅・温泉つき一泊ツアー・イン・井上亭」って、ちょっと心ひかれるでしょ。

小料理屋で、E子はメニューを開いたまま黙り込んでしまった。じーっと、じーっとメニューを眺めている。日本酒三十種類に驚いているのかと思ったら、彼女が凝視しているのは料理のページだ。「う、うれしい。う」と声をつまらせる。この店は料理の種類も豊富なのだ。酒にあう海の肴がびっしりと並んでいる。

「あれも食べたいし、これもおいしそうだし」と悩んでいるので、とりあえずわたしは「あんきも」を頼んだ。K子はすかさず「うそっ、いつからそんなもの食べられるようになったのよ」と突っ込んでくる。

そうなのだ。この店で日本酒の味を知ったのと同じように、うまい肴の味も覚えたわたし。あんきもなどは、生臭くてまずくて気持ちが悪いだけだと敬遠していたが、料理人の腕しだいでこうも味が変わるものかと感動した逸品だ。ここで食べるあんきもは最高である。余談であるが、なぜこの時期にあんきもが、と不思議に思う人もいるだろう。店の主人に首をしめられるので、それは秘密である。

E子のすすめで、今回は新しい味「ナメロウ」に挑戦した。ナメロウといえば、ふつうはアジが一般的だがここではいわしだ。ショウガやネギなどの薬味、味噌、いわしを包丁でたたきながら混ぜる。もともとは漁師が食べる料理で、あまりのおいしさに皿まで舐めろ。それで「ナメロウ」というそうだ。E子の説明を聞きながら、日本酒と一緒にちびちびと味わう。

前に「焼き味噌」をE子と一緒に食べたことがある。薬味を混ぜた味噌をしゃもじに塗って焼いただけというシンプルな肴で、わたしはとても気に入った。ちょっと焦げ目のついているところが、香ばしくていちだんとおいしい。ナメロウにしろ、焼き味噌にしろ、味噌の味は日本酒にとてもあう。

田舎の夜はゆっくりと更けていき、おいしい日本酒と海の肴に酔いしれた。目黒に住むE子はおっとりとした社長令嬢で、すべてがスローペースだ。酒を飲むのもゆっくりしているが、じわじわと飲み続けるタイプである。遅いのだが、酒を運ぶ手は止まらない。周りが「ちょっと酔っぱらってきたなぁ」と自分なりに小休止しているときでも黙々と酒に手をのばし続けているので、量からいくと一番ではないかと思う。どんなに酔っぱらっても品を失わないのは、さすが「お嬢」育ちだ。

今年になって広島に引っ越したK子は、体育会系酔っぱらいである。「とにかくビールっす」とジョッキのビールをぐいぐい飲み干し、もりもり食べる。酔うにつれ声が大きくなる。しらふでも元気があり余っているのに、アルコールが入ると体中に力がみなぎる女だ。

どこに行っても「おじさん」に好かれる飲んべえ二人は、ここでもわたしの顔見知りの常連さんと仲良くなり、焼酎をごちそうになっていた。「天使の誘惑」という焼酎は、酔っぱらったわたしたちの耳には「天使のいいわけ」に聞こえた。「どうして天使がいいわけするのかしら」などと言いながら、アルコール40度の焼酎をロックでぐいぐい飲む二人はいかにも大酒飲みである。

「あなたがこのお店にハマった理由がわかった。日本酒の品揃えといい、料理のおいしさといい、最高だものね」と二人ともかなりこの店が気に入ったらしい。E子は閉店時間が過ぎても「うーん、まだいたいもん」といってなかなか立とうとしない。店の主人は、時間を過ぎても居残る客を好まないので、なんとかなだめすかしてE子をひきずるようにして帰ってきた。

翌日のお昼過ぎ、マスタングを駆って秩父方面に走る。車で40分ほど走ったところに日帰り入浴のできる温泉を見つけたのだ。秩父の手前の小さな町にあるこの温泉は、休みの日は山登りの観光客でそれはそれはにぎわっているらしい。

女三人はまっすぐに露天風呂に向かう。平日なので入浴客もまばらだ。小雨が降っていたが、岩づくりの露天風呂は大きな屋根で覆われているから気にならない。湯に身を沈めると、「ほーっ」という深いため息がもれた。まわりには緑の木々が生い茂り、細い雨がさらさらと葉っぱを濡らしている。静かである。親しい友だちとうまいものをたらふく食べ、翌日はひとけのない温泉で体をのばす。なんという贅沢だろうか。なんと気持ちの良いことだろう。

「提案だけど」と湯のなかでE子が言う。「温泉のあとは目黒に行こうよ。目黒で沖縄料理を食べましょう」。なんでもE子の家の近くに、おいしい沖縄料理のお店を見つけたらしい。そこの料理をどうしてもわたしに食べさせたいというのだ。なかでもアロエ・ベラのお刺身とジーマミ豆腐はおすすめの逸品であるという。

彼女の気持ちはよくわかる。おいしいものを教えてくれた人には、なぜか自分が知っているおいしいものを紹介したくなるものだ。この料理のうまさがわかる人なら、きっとあの料理も喜ぶだろうな、絶対食べさせてあげたいな、と思ってしまうものなのだ。

E子の舌にはまちがいがない。彼女がおいしいというのだから、本当にうまいものなんだろう。しかし、二日酔いのわたしはためらってしまう。実は、朝から胃のあたりがどうもムカムカと気持ちが悪かったのである。

「だいじょうぶ。アロエは胃腸にもいいから、二日酔いなんてすぐにとんでいっちゃう。そのお店でおいしいものをいっぱい食べて、今日はみんなでうちに泊まることにしましょう」。そうしようよ、とK子も乗り気である。昨晩あれだけ日本酒や焼酎を飲んだというのに、この二人には二日酔いのカケラもない。すっきりした顔をしている。なんと元気なことだろう。

結局、その夜は沖縄料理の店に行くことになった。「うまいもの」があると誘われて、どうして断ることができようか。早々に温泉を切り上げ、特急レッドアロー号に飛び乗り都内に向かう。「小料理屋で銘酒を飲む旅・温泉つき一泊ツアー・イン・井上亭」に引き続き、「沖縄料理満喫の夕べ・目黒亭一泊ツアー」に向かって3人はぞろぞろと移動した。

E子の住む駅から歩いて数分。古いビルの階段を降りる。シャッターを閉めたままの店、うらびれた美容院、ほの暗い地下商店街はやけに静かだ。「お嬢」が通うような場所とはとても思えないのだけれど、E子はなぜだかこのような場所に良い店を見つけるのが得意である。ひとつの才能といってもいい。「においがするのよ」と本人は言うので、食に関しては動物的なカンみたいなものが備わっているのかもしれない。

カウンター席だけの小さなお店だ。ふっくらとしたおばさんが台所から顔を出して、「あら、いらっしゃい」とE子に笑顔を向ける。すぐあとから出てきた女の子も、笑顔がとてもキュートである。ここの料理はうまいかもしれない。直感的にそう思った。うらびれた地下街で、なぜだかこの場所だけが光っている。カウンターも、おばさんも女の子もやわらかく明るいのだ。こういう店はおいしい味を持っているものだ。

E子のすすめにしたがって、まずはアロエ・ベラのお刺身から食べる。角氷の上に盛り付けられたアロエは氷と同じような大きさで透き通っているので、油断すると氷をつまんでしまう。アロエのぶるるんとした食感と、しこしこという歯ごたえはなんとも癖になる。これは植物なんだな、としげしげ見つめる。

ジーマミ豆腐もはじめてだ。わたしはごま豆腐には目がない。スーパーで売っているごま豆腐は好きになれないが、お店で出されるものはごまの香りも豆腐のやわらかさも抜群なのだ。ジーマミ豆腐はピーナッツで作られているそうだ。お箸で食べるのがたいへんなぐらいどろりとしていて、とても濃厚な味がする。とにかく濃い。ピーナッツが主張している。

ミミガーのごま和え、豚の塩焼き、ゴーヤチャンプル、タコライスとつぎつぎに料理が出てくる。わたしは悔しい気持ちでいっぱいだった。「う、おいしい!」と至福の声をあげながらも、心のなかではすごーく悔しくてどうしようもない。いままでどうして沖縄料理に出会わなかったのだろう。なんでこんなにうまいものを見逃していたのかしら。ああ、沖縄料理よ、わたしはもっと早く会いたかった。

タコライスは、メキシコ料理タコスの皮をご飯にしたものだ。ご飯のうえにチーズ、挽き肉、レタス、サルサソース、トマトがのっている。タコスが好きで、家でもときどき作るわたしが、どうしてタコライスを無視して生きていたんだろう。

ゴーヤチャンプルについては、あんきもと同じではないかと思う。何度か食べたことがあったけれど、ゴーヤの苦さばかりが気になってちっともおいしいとは思わなかった。ときには酸っぱいゴーヤにもあたった。しかし、ここのゴーヤチャンプルはうまいのだ。お醤油とかつお節の香りのなかに豆腐や卵の甘い味がひろがる。ほんのりと苦いゴーヤをシャキシャキとかじりながら、うこん茶サワーをぐびっと飲む。

沖縄料理デビューのわたしは、うこん茶サワーやシークゥワーサー・サワー、波照間島の幻の泡盛「泡波」までも挑戦した。泡盛の飲み方を知らなかったので、日本酒を飲むようにそのままぐびっと流し込んだら喉が焼けるように熱くなって大変な思いをした。最近わたしは少し怖くなってきている。年をとるにつれ、かずかずの欲求が減退傾向にあるなかで、食に対する欲だけはどんどん膨らむばかりなのだ。ほかのあらゆる欲がしぼんだ結果、行き着く場所を失った欲求がすべて食に向かっているような感じである。

色ごとに対する欲は、情けないほど消え失せたと思う。ヒトヅマであるので、現実的な行動は控えるとしても、素敵な男性を見れば心はときめいたはずなのだ。「ああ、もしかしたらこの人とあんなことも、こんなこともできちゃうかも」と妄想する自由は楽しいものだ。しかし、今では男の顔さえも見ていない。目がいかないのである。ときめきのかわりに、あんきも、なのだ。

あれほどまでの物欲はどこに消えたのだろう。去年の洋服はすべて捨て、シーズンごとに総入れ替えをしていた。稼いだお金の半分以上は洋服のために浪費していたのである。常に捨てては新しいものを買う。なのに今年はバーゲンセールにさえ行ってない。行きつけのブランド店からひっきりなしにお知らせの葉書が届いても、何も買わない。わたしにこんな強い意志があったのかと、別な意味でも驚きである。

名誉や出世に対する欲については、だいぶ前から薄れていたと思う。三十後半を過ぎてもこれぐらいのことしか達成できなかったということは、名誉や出世に縁のある人生ではなかったという意味なので、どこかの時点でスパッとあきらめがついたのだろう。

しかし、食への欲求だけはおそろしいほどに増大していってるのだ。有名な店で高級な料理を食べたいのではない。グルメでもないと思う。ただ、ひたすら「うまいもの」を求める気持ちでいっぱいなのだ。男へのときめきも、ブランドの洋服も、名のあるデザイナーになれずともそれはそれであきらめるから、とにかくうまいものを食べさせてほしい。

あまりに偏った欲求に、自分でもどこか不安になる。わたしだけがなにか異常なのかもしれない、と横にいる二人に目をやる。E子は「ああ、シアワセ~」とのんびりつぶやきながら、泡盛の古酒をちびちびと飲んでいる。あんなにたくさん食べたのに、K子は「ねぇねぇ、ゴーヤチャンプルもう一皿食べようか?」などと言っている。どうやら、この二人にとっても最後にのこる欲は食欲のようである。

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■井上以知子のひとくちコラム

●May the Force be with you

今日から『スターウォーズ・エピソード2』が公開。待ちきれなかったわたしは、先週の土曜日に先行ショーを観に行った。ああ、これはもう最高です。

夫は「あのアナキンがこれからダークサイドに墜ちていくのかと思うと、不安で不安でみていられらないよ~」という。え?そお?わたしはなんだか、すっごくワクワクしているんだけどな。もうすでにアナキンには暗い方へ行きかけているセリフやそぶりが見えるので、人はどんなふうに墜ちていくものなのだろうか、と想像するとぞくぞくしちゃいます。

これはきっとアナキン役のヘイデン・クリステンセンがあまりにもこの役にぴったりで、そのすごさに魅了されたのかもしれないな~。若くて、むこうみずで、自信満々なんだけど、実はとてもナイーブでさびしい人なのよね。怒り狂ったときの表情は、ああ、もうすでにキミはダース・ベイダーへの一歩を踏み出したな、と。

映画館に行く前日の夜は『エピソード1』をもう一度見直しておさらいをし、帰ってからはクラシック3部作『エピソード4~6』を観る。いったいこの映画、いままで何度観たことでしょうか。たしか高校3年のクラスメートにルーク・スカイウォーカーにそっくりな人がいて、みんなでからかったことがあった。20年以上も前の話だよ。

頭巾(っていうのかな)の下からのぞくダース・シディアスの顔が、善良なパルパティーン議員と同一人物に見えるのはわたしのかんちがいなのかな~。


●ジェネティック

ジェームズ・キャメロンのTVシリーズ『ダーク・エンジェル2』のDVDがついに発売。待ってました。まだパッケージも開いてないけれど、その後のマックスがとっても気になる。ダーク・エンジェルにもものすごくハマって、シリーズ1はBOXで購入した。いま、日本でもTV放送が始まったんだよね。面白いから観てみて。


●今月のうまいもの

蘭奢待(らんじゃたい)。お酒に詳しい常連さんに、「今日のおすすめはコレだよ」と教えてもらい、ごちそうになったお酒。名前は正倉院にある香木から。蘭には「東」、奢には「大」、待には「寺」で東大寺が隠されている雅号なのだ、という。そのようなうんちくを聞いていると、お酒にいちだんとうま味が加わるような気がする。うちに帰って調べたら、なかなか手に入らない珍しいお酒らしい。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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