2002年02月15日

埼玉について考える

13字×60行の世界

ある人の紹介で、東京新聞にコラムを書くことになった。埼玉地域ページの『言わせてもらいます』というコーナーだ。週に一度の連載を、8人ほどの執筆者で担当する。わたしに回ってくるのは、だいたい2ヶ月に1度ぐらい。

『言わせてもらいます』というこのコーナーは、埼玉県に住む執筆者が地元の埼玉について何らかの批判なり、問題提起をするというのがテーマである。行政はもとより埼玉の生活、風習、人など、あらゆることに対して「埼玉のこういうところ、ちょっと変なんじゃないの」と書けばよろしいそうである。

わたしは今までとくに「埼玉について」深く考えたことはない。前に住んでいた場所を含めると埼玉県人歴は8年ほどになるけれど、格別の愛着やこだわりがあって埼玉を選んでいるわけではない。家賃が安く、静かな環境で、都内からの通勤にも便利なマンションを探したらそこは埼玉であった。家を買おうと思ったときに、ローン代金を減らすために夫の実家の土地に割り込んだ。たまたまそれは埼玉であった。

ただなんとなく埼玉に住んでいるわたしは、埼玉という地域に対してなんの愛着も持たないかわりに、批判する気持ちもなかった。言いたいことなんて何もなかった。

こだわりを持たない、というのはそういうことなのだろうと思う。深く愛していればこそ、「これでいいの?」「どうしてそうなの?」という問いかけが生まれてくるのだろう。

だから「埼玉について書いてください」といわれたときに、ちょっと途方にくれた。「埼玉に住んで、ここがおかしい、と思うところを鋭く批判してください。厳しければ厳しいほどコラムはいいものになります。しかし、ここが大切なんですが、愛を忘れないように。埼玉を愛するがゆえの批判でなければいけません」。わたしはふたたび途方にくれた。

愛するがゆえの批判。そうなのだ。わたしには愛がない。なんとなく埼玉に住んでいるわたしは、この地を好きでも嫌いでもない。だったら、愛してみれば良いのだと素直に思った。愛を持って、いまあるまわりのものを見つめてみる。木も草も川も街も人も。わたしを包んでいるものを愛してみる。

ほんのちょびっとでも愛情を持ってみつめると、いままでただそこにあったものがとても大切に思えてくる。いつもの景色が光を放つようになる。通り過ぎていた人たちに声をかけたくなる。

埼玉について書く、という視点はとりあえず忘れようと思った。埼玉というひとくくりは大きすぎて、とらえどころがなくて、わたしにはとても太刀打ちできそうにない。もっと身近なところで、わたしの手の届く場所で目にしたもの、感じたことを書いていけばいいのかもしれないと思う。それがわたしにとっての「埼玉について」につながる。

テーマについては、そんなふうにして自分なりに方向性をみつけた。なにより頭を抱えたのは字数制限だった。縦書き13字で60行。きっちりとした文字数の制限がある。これはきつい。ほんとうにきついのだ。

いままで文字数を決めて文章を書いた経験が一度もなかった。二冊ばかり本を出版しているにもかかわらず、だ。あれはあれで、けっこう適当に好きなだけ好きなことを書いたあとで、編集者がうまく帳尻をあわせてくれていた。このメルマガにしても、こうしてだらだらと何の制限もなく書いている。

だらだらと書くことしか知らなかったので、文字の数との闘いは大変勉強になった。13字60行は、とても短い。いつもの調子で書き始めると、さわりの部分だけで文字数を使いきってしまう。うーんうーん、とモニタの前で唸りながら、その短い世界のなかに思いを込める。

エディタで13字60行を作ると、17インチのモニタでちょうど一画面におさまる。スクロールなしで完結し、文章の始めから終わりまで全体を見渡せるので構成が目に見えてわかりやすい。あっちを削除、ここもまた削除、この言葉は言い換えよう。そうすると一文字多くなるので、これをまた削除して。

なんとなく、小さなパズルをやっているような気持になってくる。ちょっと難しいのだけれど、わくわくする楽しいパズルだ。


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■井上以知子のひとくちコラム

●コラーゲン水炊き

お友だち4人で博多水炊きを食べに行く。カウンターとテーブル席がふたつだけの狭い小料理屋に通され、女3人はちょっと「むむむ」という表情になる。それを見逃さない本日のおさいふクンの彼は、「まぁまぁ、食べてみればわかりますってば」と自信満々の顔。ちなみにおさいふクンは唯一の男、かつ一番年下でありながらもこのメンバーのときには必ず会計を担当する。なので、自他ともに認める「おさいふクン」である。

運ばれてきた鍋には、どろりとした白いスープが入っている。鶏のおだしにしては、どぶろくのように真っ白で、重みがある。鶏だけでこんなふうになるのか? 鍋準備をしに来たおばあさんに聞くと、「はい、鶏だけです」という。「ほかに何も入っていないの?」「ええ、なにも。わたしがすっぽりと入っちゃうような寸胴鍋でぐつぐつ煮込むんですのよ。ほほ」。

そのどろりとした鶏のおだしの鍋は本当においしかった。味が濃くてしっかりとしている。うほうほいって食べていると、「コラーゲンですから、お肌にもいいです。なにやらお疲れのみなさんに、味だけでなく美容効果も考えてこれにいたしました」とおさいふクンはいう。ちょっとひっかかる点もあるが、気にしないでおこう。偉いぞ、おさいふ。

そういえば、鍋の説明をしてくれた店のおばあさんはかなりの老女だった。80歳近く、あるいは越えているかもしれない。なのに、顔はぴかぴかつやつやでシワひとつないのだ。さいばしを持つ手もつるつるだった。

「あのおばあちゃん、ホントーに寸胴鍋に毎日浸かっていたらコワいね」などといいながら、「もしかして、湯気もお肌にいいかも。ほれほれ」と女3人は鍋の上に手をかざしたり、顔を突きだしたりするのであった。

おさいふクンのいったとおり、翌日はなんとなくお肌がもっちりとして具合がよかった。これぞコラーゲン効果だ。だいたい3日は続くよ、といっていたのもそのとうりで、4日目からは元の「なんとなく疲れた肌」にもどってしまった。


●タイスキ

その翌週は、6人でタイスキを食べに行った。去年の暮れに新宿で食べたことがあるのだけれど、有楽町にあるお店はもっとおいしいというので出かけてみたのだ。

タイスキというと、「えーっ、鯛のスキヤキ? 豪華じゃん」といった友だちがいるけれど、鯛ではなくてタイ料理のほうである。わたしはずっと「タイしゃぶ」と覚えていたのだけれど、正しくはタイスキだと書いてあった。

おだしの煮えたぎった鍋のなかに、野菜やカニ、えび、ホタテ、白身魚などの魚貝類、えびや鶏の練り物ボールをどさどさといれる。それをすくって、お椀に入った赤くて辛いタレにつけて食べるのだ。野菜や魚貝にこの辛いタレがとってもあうので、いくらでも食べられる。

最後はごはんを入れておじやにするか、緑のおそば(バーミンとかいうもの)を入れてもらう。博多水炊きのときはおじやにしたので、この日はおそばを選ぶ。カニやエビ、いろんなもののうま味がしみこんだスープに、つるつるっとしたおそば。そこに辛いタレをちょっとたらす。これがもう絶品なのだ。からだ全部が「おいしい~」と喜ぶのである。

翌日目が覚めたとき、「ああ、ゆうべのおそば、ホントおいしかったなぁ」と布団のなかでうっとりと反芻してしまった。

おいしいものを食べるたび、ほんとうにわたしはうれしくなる。からだが「うまいよ、うまいよ」と喜び、心もうきうき満たされるから。


●韓国マッコリ

おととしだったか、初めて韓国のマッコリというお酒を飲んだ。どぶろくのように白いそれは、ほんの少しシュワシュワと発砲しており、飲み口は爽やかだった。

なぜかその味を急に思い出し、とにかく飲みたくなり、市内中のスーパー・酒屋を探し回る。探しても見あたらず。やはりこんな田舎には売っていないのか。ないとなるとどうしても飲みたくなるもので、駅近くの韓国焼き肉のお店に電話をしてマッコリを置いているかどうか聞いてみる。

あった。さっそく地元飲み友だちに電話をかける。飲み友だちとはいっても、本来は仕事関係のお人である。わたしがお酒を飲むようになってから、飲み友だちに変化を遂げたのだ。仕事では滅多に電話をせず、もっぱらメールしか使わないわたしが電話をかけたので、彼はとても驚いていた。

「社内の人がいると思うので、返事だけしてください。今晩マッコリ飲みに行けますか、行けませんか」。緊急を用することなので、イエスかノーかすぐに返事が聞きたいのだ。もちろん、彼はイエスである。

お店では、マッコリは1リットル売りであった。コップ1杯ずつでよい、といっても、いいえ1リットルでしか出せません、という。仕方ないので1リットルを注文すると、大きなカメのような入れもので運ばれてきた。おたまでお椀にすくって飲むのだそうだ。

あまったら隣の席にいるサラリーマンおやじに分けてあげればいいや、と思って注文したのだけれど、結局きれいに飲み干した。ちょっと甘口が気になるが、さらさらと喉に落ちていくものである。

しばらくして、新宿で飲んでいるときに友だちにこの話をしたところ、「ようし、ついてこい」と彼はいう。てくてく歩いていくと、ハングル文字の看板をさげたお店が連なる通りにでた。おお、ここは韓国か、とみまちがうほど韓国食品のお店がいっぱいある。

「都会は選び放題だぜ」という彼の後について、マッコリツアーをした。「紙パック入りよりもボトルのほうがおいしいらしいのよ」とか、「二東マッコリというメーカーのがいいんだけどなあ」などといっぱしのことをいうわたしに飽きもせず、何軒かのお店をまわってくれた。

「袋が手に食い込むよお、重いよお」といいながら、ボトル二本と紙パックひとつをぶらさげて夜の街を歩き、山手線に乗り、レッドアローに飛び乗った。しかし、なぜか二東マッコリではなく、一東マッコリだったりするのである。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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