2001年11月27日

平成13年11月27日掲載

彼の笑顔を今でも私は覚えている。「楽しみにしていてくださいね。素晴らしい場所になりますよ」。立派な背広を着た男は、満面の笑みを浮かべてそう言った。後ろにいる作業服姿の男がぺこりと頭を下げた。

今から5年前、自宅の目と鼻の先にバーベキューハウスが完成した。林のほかには何も遮るものがないので、居間の窓からその建物がよく見える。

二人は近隣住民に着工前のあいさつ回りをしていたのだ。背広の男は埼玉県の職員、作業服姿は施工の責任者。

バーベキューハウスは、県ならびに農林水産省の助成を受けて建設された。施設の看板には「地域農業の活性化と効率的かつ安定的な経営体の育成を目指して」とある。目的は見事に達成されているようだ。

新しいバーベキューハウスにはたくさんの観光客がやってきた。週末はもちろん、夏休みは連日のように団体客や家族連れでにぎわう。ハウスへ向かう細い砂利道を車が猛スピードで突っ走る。砂ぼこりを舞い上げ、ごう音とともに家の前を駆け抜けて行く。

一気飲みをあおる若者たちの叫び声、酔っぱらいの歌声、拡声器を使ってビンゴゲームをしているときもある。

「私たちが楽しみにしていると、本気で思っているの?」

あの時、あいさつ回りに来た背広の男に聞いてみたかった。静かな山あいの林の中で暮らす住民が、観光施設の建設を楽しみにしていると本気で思っているんですか?

けれど私は何も聞かなかった。聞かなくても分かった。男の笑顔は愛想笑いなどではなかったからだ。目を輝かせて自信満々に語る彼は、ひとかけらの疑いも抱いていないようだった。晴れ晴れとして、どこか誇らしげでもあった。

ぼうぜんとした。あまりの能天気さに言葉を失った。作る側とそれを受け取る側には、こんなにも意識のズレがあるものなのだ。

(東京新聞埼玉版・平成13年11月27日掲載)

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