2001年08月08日

走れトロイカ

世のなかにはいろいろな不幸があるのだろうけれど、「北海道に生まれながら、新鮮な海の幸をなにひとつ食べられない」というのは、かなり不幸な境遇であると思う。北海道の実家に里帰りしても、イクラ丼もウニ丼もいか刺しも、もちろんほたてのさしみも食べられないのである。

イタリアに行ってスパゲッティを食べずに帰ってくるとか、焼き肉とキムチをはずした韓国旅行と同じようなものではないかと思う。その場所にいる存在理由が半減(いや、もっとかもしれない)するといってもいいくらいだ。スパゲッティを食べずにイタリアを満喫したといえるのか、焼き肉とキムチのない韓国などに行く価値があるのか、イクラ丼を食べずに過ごす北海道とはなんなのか、ということである。

お正月と夏休み。ここ数年はだいたい年に二回は北海道の実家に帰っている。その前後には、友だちや仕事先の人たちなどに「帰省します(してました)」という、まぁ世間話のような、ひとつのご挨拶のようなやりとりがある。

たいていの場合、「いいなぁ、北海道かぁ。イクラ丼とか食べ放題じゃないですか。あ、ウニ丼、あれも食ってみたいねぇ。ドンブリのご飯が見えないほどウニがびっしりのっかってるっていうじゃない。うまいんだろうなぁ、行きたくなっちゃったなぁ」などという話の展開になることが多い。

緑の牧場と白黒まだら牛のホルスタイン、ポプラ並木、ラベンダー畑、広大な大地。すばらしい自然をおしのけて勝利をおさめるのは胃袋の欲求なのだ。北海道といえばイクラ丼であり、ご飯が見えないほどのウニであるというこの事実。人々のイメージを支配しているのは、北海道・海の幸うまいものフェアーである。

ここでわたしは二者択一の選択をせまられる。「いいなぁ、うまいもん食えて」と、至福の表情を見せる人に(おいしいものを語っているときは、みなとてもハッピーに見える)本当のことをいうべきか、あるいは適当にうなずいてこの場をやりすごすべきか。

「実はわたし、生モノはいっさい食べられないので」と真実を口にするのは、いささか面倒ではある。瞬時に相手の顔色が変わり、さっきまでの至福の笑みが消えてしまう。イクラが山盛りのドンブリと、ご飯がみえないほどウニがひしめきあっているドンブリを、わたしのひとことが叩き割ってしまうのだろう。「どうしてまた? なんで? 北海道生まれなのに?」。信じられない、という表情である。わたしだって信じたくないです。ホント。しかし、それは事実であり、理由を説明するのも話が長くなるので、面倒なのである。

で、ついつい、「イクラ丼はいいなぁ」という笑顔をみながら、へらへらと笑ってやりすごしてしまう。「えへへ、いいでしょう」と相づちまでうって、その場を盛り上げてしまうときもある。これはこれで、後になって困ることも多い。つき合いが深くなったりすると、ずっとごまかし続けるわけにもいかないからだ。

ある友だちが、「人生に欠かせない3つの趣味。読書、音楽、そしてスポーツ。日々を豊かに、楽しく暮らしていくために、この3つはとても大切なものなんだ」と力説したことがあった。ふうん。そんなに大切なのか。

本はそこそこ読む。好きな作家だけ、好きなジャンルだけという偏向的選択にしろ、本は手にしている。クリアだ。音楽も、長きにわたって熱烈に入れ込んでいるアーティストはいないけれど、それなりに聴いているほうだろう。クリア。問題はスポーツだ。体を動かすのが嫌いで、忍耐とか根性にはほど遠い性格ゆえにスポーツとは縁のない生活をしてきた。ついでにいえば、汗、も苦手である。たったひとつ、物心ついたときからはいていたスキーだけはなんとか続いていたものの、ヒザを痛めてからはもうやっていない。

するとその友だちは、「スポーツと無縁の生活かぁ、それってかなり不幸な人生だよね」といいきった。それから、体を鍛える楽しさだとか、汗をかいたあとの爽快感など熱弁をふるい、「それは人生における欠如なんだ。偉大な楽しみのひとつを、キミは放棄している」で締めくくった。

人生における欠如だとはこれっぽっちも思わなかった。スポーツがなんぼのもんじゃ。そんなものなくてもわたしは平気だもんね。よろこんで放棄してやろうじゃないの。スポーツを知らなくても、じゅうぶんにシアワセな生活を送っている。

しかし、「北海道に生まれながら、イクラ丼を食べられないのって本当に不幸ですね」といわれると、打ちのめされる。思わずひざまずいてしまいそうになる。部屋のすみっこまで走っていって、背中を丸めて「そうです、わたしは救いようもないほどに不幸なんです」と、かぼそい声で懺悔してしまいたくなる。

わたしが海の生モノを「食べられない」というのは、それが嫌いだとか苦手というのとはちょっとちがう。どちらかというとイクラやウニは好きである。いや、はっきりいって大好き、いまこうして書いているだけでもよだれが出るほど好きである。食いたい。食わせてくれ。

激しい欲求があるにもかかわらず、わたしのからだはイクラやウニを完璧に、みごとなまでに徹底的に拒絶する。海の生モノには強いアレルギー反応が出るのである。食べたい!と強く欲するのも、受け付けられません!と拒絶するのも同じわたしのからだである。ひとつのからだのなかで、そんな理不尽な状況を作り出さないでほしいものである。

これほど不幸なことがあるだろうか。これは、まさしく偉大な楽しみのひとつを失っているといっていい。人生における欠如である。

アレルギーはある日、突然あらわれた。20代なかばのころである。それは好物のひとつだった生タラコから始まった。新鮮なピンク色の生タラコを、熱々の白いご飯にのせて豪快にほおばった。その夜、胃や腸を締め上げられるような激しい痛みで、布団のうえをのたうちまわった。体は、汗でぐっしょりと濡れた。

はじめてのことだったので、それがアレルギーだとはわからなかった。あまり新鮮なタラコではなかったのか、食べ過ぎたのか、その程度のことだろうと思っていた。そのあと、生タラコや辛子明太子を食べるたびにのたうちまわるようになったので、さすがのわたしも「タラコと明太子は鬼門だ」と避けるようになった。その時点では、「ま、好物だけれど、仕方ないやね」ぐらいの軽い気持である。それは、失い続ける人生のまだ出だしにすぎなかったのだ。

生タラコと明太子のつぎは、イクラ、ウニにもアレルギー反応をおこした。本当にショックだった。イクラとウニさえもあきらめなくてはならないわたしの人生。そのころはまだ北海道に住んでいたので、ちょっと車を走らせれば安くて新鮮なイクラやウニに出会えた。観光地のいたるところに、イクラ丼やウニ丼の看板があった。つらく、カナシイ日々。

タラコ、明太子、イクラ、ウニ。そうだ、このアレルギーは卵系にかぎるのだと発見したのもつかの間、アレルギーの魔の手はホタテ、赤貝、あわびなどと貝たちにも拡がっていったのだった。

そのあたりで、わたしは恐ろしい未来を予測せざるを得なかった。アレルギーをおこす海の生モノは、時間を経て着実に増えている。医学的なことはトンとわからないけれど、一度なにかに対してアレルギーがおきるようになると、日を追ってからだが敏感になっていくような気がした。

薬に対するアレルギーが出るようになったのも、イクラ、ウニがダメになったころである。あるとき点滴をうけたら、からだじゅうが真っ赤な発疹で腫れあがった。一度目はだいじょうぶだったのに、二度目に飲んだときには激しいおう吐を繰り返し、意識が朦朧となる薬もあった。海の生モノがだめなように、わたしには治療に使えない薬というのも実にたくさんある。

薬のアレルギーもけっこう厄介な問題ではあるのだけれど、わたしにとっては海の生モノたちのほうが重大だった。寿司屋でにぎりを注文する。まぐろ、イカ、カツオ、甘エビ、鯛・・・。微妙に卵系と貝系を避ける。見ないようにする。そして、身の震えるような恐怖に襲われた。いつか、まぐろや甘エビも食べられなくなる日が来るのではないか。寿司屋にすわることも出来なくなるのではないか。

にぎりの寿司が人生から消える日。もし、万が一、この先寿司が食べられなくなったら、そのときはいさぎよく死のう。そんな人生は生きていたって意味がない。

しかし、死ねなかった。そう簡単には死ねないものである。不吉な予想は現実になり、まぐろもイカも、そして、ああっ、あの甘くとろける甘エビまでも、すべてがわたしの人生から消えたのである。

それでもなお、寿司屋に通った。人間の食欲はこうまで強いものかと、しみじみ感じる瞬間がある。アレルギーでのたうちまわるとわかっていても、欲に負けて寿司をほおばるときが何度もあった。

アレルギー反応が出るまで、1時間から2時間。もう手順はじゅうぶんにわかっているので、ある意味では安心である。吐いたり、トイレに駆け込むというのはいっさいない。ただひたすら胃と腸がぎゅうぎゅうと締め上げられているように激しく痛む。胸も苦しくなり、呼吸のリズムがおかしくなる。息がうまくできないのだ。体からだらだらと脂汗が流れてくる。そうこうしているうちに、なんとなく意識が遠のいてくる。

薬もなにも効かないので、ただ布団のうえにうずくまっているだけだ。うーん、うーんと声が出る。それほど悶え苦しむのに、2時間もすればまるでなにもなかったようにスカッとなおる。数時間の苦しみに耐えれば、なおるのである。そう思うと気が大きくなって、つい禁断の寿司に手をのばしてしまうのであった。

けれど、この決死の覚悟の寿司チャレンジもやがて終わりがくる。からだが敏感になってアレルギー反応をおこす食べ物の種類が増えていったように、苦しむ時間も長くなった。数時間だったものがひと晩も続き、震えの症状も加わった。

「アレルギーってこわいんだよ。ショック死する人もいるんだよ」と友だちに聞いて、そろそろやばいかなと思うようになった。なんだか、本当にショック死してしまいそうなぐらい、それはひどくなっていたのだ。それでもわたしは寿司屋に通った。しつこい。きっと酢飯がどうしようもなく好きなのだと思う。カウンターに座り、アナゴ(火の通っているものは食べられる)、たまご焼き、カッパ巻き、納豆巻きと邪道なものばかりを注文した。

生モノにはいっさい手を出さない寿司屋通いが何年か続いた。そして、あるとき、ふと魔がさして「トロぐらいなら」と、夫の分をひょいひょいと口にいれてしまった。とろりとした舌ざわり、口にひろがるほのかな甘さ。至福のとき。懲りないオンナである。あれだけのたうちまわっても、まだ懲りていない。

その夜はびくびくしながら地獄の釜の蓋が開くのを待っていたのだが、朝までなにもおこらなかった。「なにもおこらなかった」。たまたま今回だけなのか、これからずっとなにもおこらないのか、確認しないわけにはいかない。ふたたび寿司屋に行き、中トロをふたつみっつほおばった。

なにもおきなかった。アレルギー反応は出ない。ならば、イカはどうだろう(本当にしつこいね)、と試してみたくなるのが人間である。今度はトロとイカをふたつずつ食べてみた。どうしてトロとイカなのか。それは動物的カンともいうべきものだろう。「たぶん、トロとイカならだいじょうぶ」という、根拠のない自信があった。

ふたたび。なにもおきなかった。失われた人生に明るい一条の光がさしこみ、わたしは涙した。そんなわけで、ここ一年ほど、トロとイカは食べてもだいじょうぶな日々が続いている。シアワセだ。たったそれだけのことなのに、わたしはとてもシアワセな気分で満たされた思いである。全世界にむけて、「わたしはトロとイカは食べられるんですよ!」と叫びたい気分である(そんなこと誰も聞きたくないとは思うけれど)。

この間、北海道に帰ったときに函館まで遊びに出かけた。函館といえば、海の幸の宝庫である。市場には、イクラ丼とウニ丼の看板をあげた食堂がたくさんある。道南食堂というこぢんまりとした定食屋でお昼を食べた。古くて小さなお店だけれど、味においてはかなり有名なところらしい。

後ろのおじさんが「おれ、いかさし!」と叫んだのを聞いて、心が揺れた。若い頃、函館でいかさしを山のように食べたことがある。朝あがったばかりのイカは、まだ透き通っていた。横に座った若いカップルは、イクラ丼を注文した。運ばれたものをのぞきこむと、てらてらに光ったみごとな大粒のイクラがドンブリからあふれんばかりに盛られている。 

わたしは銀むつの焼き魚とジャンボたまご焼き、なすの煮物、ひじき煮を頼んだ。函館まで来て、それはないぜ、という気もするけれど、旅先であの苦しみを味わうつもりはない。そして動物的カンからいえば、イクラはもっとも危険性の高いもののひとつなのである。


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■井上以知子のひとくちコラム

●豪雨
函館に行った日は、天気予報では豪雨となっていた。しかし、着いてみればドピーカンの快晴。豪雨も無理やり晴れに変えてしまうわたしと友だち。函館元町を歩き、ハリストス正教会などを見たあとに、ロープウェイで函館山にのぼった。百万ドルの夜景というキャッチコピーと一緒に、よくポスターにものっているあの両側が弓なりに海になっている函館の街を見た。

展望台からはぐるりと海が見渡せた。真っ青な空と海。水平線がゆるやかにまあるく見える。「ねえ、地球ってまるいんだね」とごくあたりまえのことに、その日40歳を迎えた友だちとはしゃぎながら興奮した。もう40歳なんだね。小学校から一緒の友だちは、あのころとちっとも変わらず美人である。

強引に快晴にしたせいか、富良野に行った日にそのツケがまわってきた。三笠というインターチェンジを降りたとたん、突然の豪雨。一気に道路は川になり、自分の車がはねあげる水で前が見えなくなった。ワイパーなんてきかない。外なんて見えない。どーっという轟音のなか、洗濯機に投げ込まれたみたいだった。それも一瞬のことで、三笠の街を過ぎるとなにもなかったように落ち着いた。あれは一体なんだったのかしら。

富良野のラベンダーは、ちょうど満開。いくつもの丘が真紫に染まっていた。何度行っても、素敵なところだ。


●図画工作
うちに帰ると、リビングにへんなものがある。どこから引っ張り出してきたのか、古い座椅子が床の上に置いてあり、その下から段ボールの切れ端がのびている。先のほうは微妙な角度で上を向けられ、三角形のボックスになっている。そこに埋め込まれた黒いプラスチックの箱。アクセルとペダル。

これはイノウエ家独自のグランツーリスモ用グッズなのであった。何度電話しても出ないと思ったら、夫はこんなものを作っていたのである。はっきりいってあきれる。が、ちょっとうれしい。

グランツーリスモを買ったときに、わたしの反対を押し切って、夫はGTナントカという専用のハンドルとアクセル&ペダルグッズを買った。ハンドルを固定した洋風ちゃぶ台の前に座り、のばした足もとにアクセル&ペダルを置いて操作する。

力が入りすぎるせいか、運転している間にどんどんアクセル&ペダルがずるずると遠くに行ってしまう。なんとしてでもアクセルを踏みたいので、ものすごくへんな格好でゲームを続けなくてはならない。太股あたりの筋肉がつりそうになる。

それらの不便を解消するべく考案された座椅子と段ボールであるらしい。最初はバカにしていたが、「一度でいいから座ってみて」という言葉に仕方なく座ってゲームをしてみみると、これがとっても快適なのだ。運転に熱中できる。けっして他人に見られたくない姿ではあるが。(あんまりにもバカまるだしなので)。

ほかの人はどうやっているのかしら。アクセル&ペダル、どんどん離れていってしまいませんか? わたしは、のめり込むとハンドルを固定してあるちゃぶ台までもひっくり返しそうになって、自分でもびっくりします。猫をのせて安定させるのもひとつの手かなとは思ったけれど、すぐに逃げてしまうしね。


●液晶ディスプレイを買う
Apple Studio Display 17" を買った。液晶ディスプレイは、同じ色でも画面の上と下でちがって見えたりするので、デザインには使えないよと見下していたんだけどちょっと考えを変えた。あの薄さと、CRTモニタにくらべて電力消費量が3分の1、電磁波が出ない、というのにひかれたのである。というのは後から考えたこじつけで、「デザイン的にクールだから」というのが本当の理由。

想像していたよりはるかにクールだ。これでやっと本体とキーボード、マウス、そしてディスプレイのデザインが統一されたので、ちょっとカッコいい。この薄さもいいね。ドデかい19インチのモニタがなくなると、机の上がさっぱりした。さて、19インチはどうしようか。Windowsにつなぐってのもね、なんかね。ちがうような気がするんだよね。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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