2001年06月21日

約束

約束

携帯電話を持つようになってから、待ちぼうけを食わされることが多くなったように思う。

喫茶店で携帯電話が鳴る。「あ、わるい、15分ぐらい遅れるから」「一本遅い電車に乗ったので、ちょっと遅くなります」「ごめん~、本屋のレジが混んでいたのよ。いま、そっちに向かってるから」

遅れるのは、だいたい10分から15分ぐらい。いまどきの待ち合わせは、その程度の誤差は許容範囲なのかもしれない。こんなことを気にするわたしのほうが時代遅れなのかなぁと思ったりもするが、ここのところ立て続けに3回も待たされたのだ。

ピロピロと携帯電話が鳴る。約束の時間の5分前、あるいはちょっと過ぎてから。「遅れる」という電話の相手に、「わかりました」と答える。ほかに何をいえようか。

3回とも相手が同じなら、ただそれは「時間にルーズな人」というだけの話である。対処のしようもある。わたしがこれほど「とほほ」な気持ちになるのは、どれも別な人だったからだ。友だち、仕事関係、ちょっとした知り合い。

ということは、世間の人々は「携帯で連絡さえすりゃ、約束の時間に遅れてもよい」という新しい認識で動いていることになる。わたしの知らないところで新しいルールが成立していたのだ。

それが証拠に遅れてやって来た人たちは、ちっとも悪びれた様子がない。「ごめん~」とか「すみませんでしたねぇ」といちおうの挨拶はするけれど、遅れたことについて本気で謝罪はしてないように思う。息を切らして喫茶店に駆け込むとか、「待たせてごめんっ」と頭を下げる誠実さがない。

ちょっとムッとする。人を待たせておいて、という怒りがこみあげてくる。すると、なんだかこっちがおとなげない態度をとっているような雰囲気になる。「あれ?携帯で連絡しましたよね?」「遅れるっていったよね?」。

威力ある印籠のごとく、である。この携帯電話が目にはいらぬか。新しいルールで生きている人たちは、携帯で連絡すれば約束の時間は自分の都合で延ばせるのだ。遅れたのではなく、約束の時間を変更しただけなのである。

どうせなら、もっとハデに1時間ぐらい遅れてくれるとよいのになと思ったりする。とりあえず喫茶店を出て、本屋に行ったり、ブティックをのぞいたり、こちらにも時間の使いみちがあるというものだ。

15分ぐらいだと、そのままじっと席で待つしかない。本を読んだり、隣の若いカップルの痴話ゲンカに耳をそば立てたり、カフェの窓から道行く人を眺めたり、それなりに時間を潰す方法はいくらでもある。しかし、「待たされている」ことに変わりはない。

もっと早く、1時間前、いやせめて30分前に連絡をくれれば、何の問題もないのだ。家を出るのを遅くすることもできるし、ほかの用事を片づけてから待ち合わせの場所に行くだろう。

しかし、遅れる人、というのは、きまって約束の時間ぎりぎりに携帯電話をならすものなのである。

よほどの事情がないかぎり、わたしは時間には正確である。電車の冷房にやられて腹をこわし、デパートのトイレから身動きがとれなくなったとか、車庫から出たとたんに車のエンジンが止まってしまったとか、そういう事情で間に合わなかったことは何度かあるだろう。

そういう事故をのぞけば、待ち合わせ場所には5分前に着いている。友だちからは「5分前のオンナ」と呼ばれているくらいだ。

遅れようがないのである。ご存じのとおり、うちは田舎の山奥なので電車は1時間に1本、多くて2本という不便な環境である。乗る電車が決まっているので、それにあわせて時間を決める。

仕事でクライアントから時間を指定されたときには、道のりを逆算する。青山のあの会社に3時というのであれば、歩いて表参道駅まで○分、千代田線、山手線、それから西武池袋線、秩父線・・・。乗り継ぎも考慮して、クライアント先までの時間を計算する。うまいこと時間にあう電車があればいいが、そうでないときには1時間も早い電車に乗らなくてはならない。

それでも遅れるよりはいいと思う。はらはらどきどきして相手先にたどり着くのは、心臓に良くない。相手を待たせるのはもっと心が痛む。だったら、うんと早めに出てどっかでゆっくりお茶でも飲んで休んでから相手先に出向く。そのほうが気持ちにもゆとりが持てる。

ある友だちから「息がつまる」といわれたことがある。わたしがいつも待ち合わせ場所に早めに来ているので、それが気になるというのだ。

「そんなの気にしなくていいよ。わたしは好きで早く来ているんだし、あなたはいつも時間どおりに来てくれる。それでじゅうぶんだよ。あなたが早く来る必要なんてないんだし」

「でもね、なんか緊張するのよ。あなたと待ち合わせをすると『絶対に遅れちゃいけない』って気になるのよ。ただ会うだけなのに、息がつまっちゃうのよ」

うっ。ショックだった。面と向かって「息がつまる」といわれると、かなりこたえる。息がつまる・・・。そうかぁ、そんな窮屈な関係になってしまうのか。時間を守るって、そんなに息のつまることなんだ。「5分前のオンナ」は、「息のつまるオンナ」として煙たがられるのだろうか。友だちがいなくなるのも、困る。

ちょうどそんなことを考えていたときだった。「山賊のうたげ」メンバーのひとり、「オタクくんその1」と会うことになった。大勢のオタクくんたちとオフ会を開くのとは別に、ときどきこんなふうに個人的に会って買い物をしたり、食事に行ったりする。

いつものように待ち合わせの新宿東口に行くと、オタクくんその1はもうそこに立っていた。5分前のわたしよりも早い。夏物の洋服が欲しいという彼につきあって、カジュアルショップのお店に行く。サザンテラス近くのスタバでキャラメルフラペチーノを買い、外に出てそこいらへんに座る。

しばらくおしゃべりをしてから、「オタクくんその2」「その3」と合流するために、ふたたび待ち合わせ場所に向かう。すでにふたりのオタクたちはもうそこに来ている。着古したTシャツにゆるめのジーンズ、肩からは大きなナップサック。そう、オタク独特のあの格好でふたりが立っている。

そうなのだ。そこでわたしはものすごい事実に気がついた。彼らと待ち合わせをして、待たされたという経験がない。待ち合わせの時間に携帯が鳴って、「遅れるから」といわれたことなんて一度もない。というより、わたしよりも早く来て待っているのである。どうして、いままで気がつかなかったんだろう。

「ねぇ、あんたたちってさ、いつもちゃんと約束の時間に来るよね。っていうか、あたしよか早いよね。なんで?」

ねぇ、なんで、なんでなの、といきなり詰め寄るわたしはかなり不気味だったと思う。遅れてもへっちゃら、携帯があればなんでもOKという新ルールがまかりとおっているなかで、やはり執拗に問わずにはいられなかったのだ。

「なんでっていわれてもさー。約束したから、っていうしかないかなー」「小心なだけっす。遅れるとすごーく悪いことしたような気がしちゃうんで、それがイヤなだけっすね」「人を待たせるのが嫌いですから。相手に失礼ですし」

別になんということもない答えである。必死の形相で聞くまでもなかったような答えだ。けれども、わたしはすごくうれしくなった。ごくあたり前のことを、ごくあたり前のこととして彼らは受け止める。「そういうものだから」といいきる。約束は守るものだから。遅れるのは相手に失礼だから。あたり前の言葉なのに、なぜか大きく大きく膨らんで、わたしの胸のなかで満ちてゆく。

約束の時間を守るなんて、小さなことだと思う。たとえ遅れたとしても、たかが15分だ。たいした時間じゃない。気にするほうがおかしいのかもしれない。

けれど、待ち合わせの時間にこだわりを持つ人たちは、ほかのこまごまとした約束も守ってくれているような気がする。たとえば、貸した本は必ず返してくれるとか、頼んでおいた資料はつぎに会うまでに用意してくれているとか、夏になったら海に連れて行ってくれるとか。どうでもよさそうな、些細な約束ばかりである。でも、日常はそういうどうでもいい些細なものの積み重ねだと思う。

少し照れくさそうに、オタクのひとりはいう。「っていうかさー、うれしいから、っていうのもあるんだよねー」「うれしい?」「会えるのがうれしいからさ、ついつい早く来ちゃうんだよ。みんなに会えるって思うと、うれしいじゃん?」

パソコンひとすじ、根っからのオタクくんたちと12年も付き合ってしまっている理由が、いまわかった。


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■井上以知子のひとくちコラム

●新しいTV
先週、新しいテレビが来た。36インチ型、デジタルTV、BSチューナーつき、だそうだ。わたしはよくわからない。夫の範疇である。とにかくデカい。なんでこんなに大きいのだ。重さは90キロもあるらしい。

ついでに新しいアンプとスピーカーもやってきた。さっそくDVDを見る。画質なんていまひとつよくわからなかったが、DVDを見るとさすがのわたしでも「おお、これはきれい」とだとわかる。音も良いので、映画などは迫力がある。

夫はひたすらDVDをみまくっている。わたしも見たい。見たいが、いまはとても忙しいので見る余裕がない。買ってきたまま、まだビニールをむいてないDVDもある。居間から聞こえてくる大音響をよそに、仕事をしている。くやしい。


●座布団とパソコン
先月講習に参加したおばさんが公民館へやってきたそうだ。「先生にどうしても見てほしくって」とふろしきを抱えている。残念ながらわたしはいなかったのだが、話によるとふろしきから出てきたのは、ノートパソコンだったという。座布団にパソコンをのせて、ふろしきで包んで大切に持ってきたそうだ。座布団のうえに乗っているパソコン。なんか、ちょっとかわいくていいな。見たかったな。


●ついにダウン
仕事というのは、かたまりでやってくる。暇なときは「ああ、どうしよう」と焦るほど暇なのに、くるときは一気にドンとやってくる。今月はその「一気」のときらしい。デザインやFlash制作に加えて、週に3回はIT講習会が入っている。

日曜日は、朝の9時から6時間も立ちっぱなしで講習会だった。楽しいせいもあって、思ったよりも疲労はなかった。

ところが、月曜の夕方になると体がだるくて仕方がない。ちょっと横になったら、そのまま動けなくなってしまった。魂がどこかにいってしまったように、なにもやる気がおきない。立つとぐらぐらと目がまわった。かなりヤバい。そのままベッドに倒れ込み、翌日の朝まで眠り続けた。ぐっすり寝たら、元気になった。やはり、「もうだめだ」と思ったら、眠ってリセットするのが一番である。

忙しくてもエッセイは書きたい。寝る時間を削ってでも書きたいこと、伝えたいことはいっぱいある。外にだしたいのにうまく出せない、あるいはアウトプットする時間がないと、モヤモヤしてイライラする。


●蜂の巣
仕事部屋の窓には、フラワーなんとか、というものがついている。鉢植えをのせられる、手すりみたいなもの。その手すりに蜂が巣を作っている。パソコンの前に座ると、ちょうど目の前に見える位置である。

見つけたときは、まだ1センチぐらいの巣だった。小さいうちに処分してしまわないと大変なことになる。わかっているのだが、働きモノの蜂に心をうたれた。蜂はホントーによく働くのだ。日がな一日、一匹の蜂がその巣にくっついてなにやらやっている。あんまり一所懸命働いているので、じーっとわたしもみつめてしまう。「おお、今日もキミはがんばっているね」と蜂に話しかけるようになってしまった。

そろそろ3センチぐらいになりつつある。ああ、どうしよう。このまま育てるわけにもいかない。

注:エッセイのなかにある「山賊のうたげ」。まだご存じでない方は、「2000年11月30日」号を見ると謎がとけます。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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