2001年06月01日

輝ける顔、顔、顔

4月から、うちの市でも「IT講習会」が始まった。森前首相の置きみやげ、「国家をあげてのIT革命」の一環である。

「世界規模で生じている情報通信技術(IT)による産業・社会構造の変革(いわゆるIT革命)に我が国として取り組み、IT革命の恩恵を全ての国民が享受でき、かつ国際的に競争力のある「IT立国」の形成を目指した施策を総合的に推進するため」。と、情報通信技術(IT)戦略本部の設置について、自治省のホームページにその趣旨が掲載されている。

IT講習推進特例交付金は、484億6,400万円。平成12年度中に基金を造成した45都道府県に交付されるという。ちなみにわが埼玉県は、2,382百万円の交付決定額とある。基本単位がデカいので、すぐには理解できない。23億8千2百万円だ。

埼玉県では、IT講習会事業を実施するのは市町村単位であるので、県から補助金を受けて開催事業にあたることになる。

さてさて、IT講習会だ。森前首相がこの件を立案したときに、はっきりいってわたしは何の期待もしていなかった。「IT立国」「IT革命」と彼が口にするたびに、どこか間の抜けた印象を拭えなかったからだ。なんか嘘っぽい。

本気でこの人は情報通信技術を発展させようという熱意を持っているのだろうか。新しい技術・通信手段に期待を抱いているのだろうか。社会構造に変革をもたらす力があると信じているのだろうか。

ある種の偏見を承知でいうなら、彼の発言からはそういう真剣さみたいなものを感じられなかった。なんだかわかんないけど、「IT」って流行っているしな、カッコいいしな、とりあえず日本国でもやっておいたほうがいんじゃないの。そんな程度の軽い思いつきにしか受け取れなかったのである。

オジサンの思いつきで500億近い税金を使われたのではたまったものではない、というのが本音だった。首相を退いてもこの事業は引き継がれる。大きな置きみやげ。

数年前の「商品券ばらまき行政」が頭のなかをかすめ、「ロクでもないことにお金を使ったら承知しないわよ、許さないわよ」と、妙に鼻息が荒くなった。「IT革命」なる政策をはなっから信用していなかったのだ。

許さないわよ、と横目でにらんでいたら、思わぬところでIT政策の内容を知ることになった。知り合いのひとりが、IT講習会事業の市の指定業者になったのである。

「市内にある各地の公民館が会場になるんだ。そこで市民の人たちにパソコンの操作を教える。対象者は初心者だね。インターネットでホームページを見たり、電子メールのやりとりもあるよ」

「へぇ、公民館なんだ」

「そう。各公民館に15台のパソコンが配置される」

「講習を受ける人はお金払うの?」

「もちろんタダだよ」

ちょっとワクワクした。公民館に15台のパソコン。パソコンを触ったこともない人が操作を覚え、インターネットを体験する。電子メールも送ったりする。なんといっても、「公民館」というのがいい。

いままでいろんな所に住んだけれど、ここへ来てはじめて公民館を利用するようになった。これまでは、公民館というものがどこにあるのかさえ知らずに暮らしていた。田舎になればなるほど、地域社会の中心のような存在なのではないかと思う。

市の健康診断、確定申告をはじめ、パッチワーク、コーラスグループ、水彩画というような趣味の教室にも多く利用されている。みんなが集う場所。公民館はとても身近な施設であり、地域での暮らしにとって欠かせない場所なのだ。

そこにパソコンがやってくる。これは画期的な事件だ。パソコンを使ってもう13年。そんなわたしでさえ、うきうきした。たぬきオヤジの「IT革命」も、なかなか捨てたもんじゃない。案外やるじゃん。

「でね、イノウエさんに講師をお願いしたいんだよ」「え? 教えるの? あたしが?」「だって、インストラクターの経験あるでしょ。いま、どこも講師が不足しているんだよね。だから、ぜひお願いできればと」「やる。やるやるやる。絶対やる~」

こんな楽しそうな企画を断るはずがない。「IT政策なんて、信用できない」といったわたしがアサハカだったと認めよう。なにごともちゃんと中身を知らずに決定をくだしてはいけませんね。教訓です。はい。

わたしが担当するのは、すぐ近くの公民館ともう少し山深く入った先にある公民館のふたつ。先週、一番最初のクラスを終了したばかりだ。ひとクラス15人、平日コースは10時間の講習を5日にわけて行う。

山深い公民館は、市内にある公民館のなかで最も古い建物だそうだ。築40年。窓の枠は木である。古ぼけているけれど、妙になつかしくてぬくもりがある。

講習会には体育館を使う。紫のビロードの幕があるステージに向かって並べられたテーブル。大きな体育館のまんなかでひとかたまりになり、ほそぼそとマウスを動かすのはなんともミスマッチで面白い。

初日は手が震えた。声がうわずった。なぜだろう。インストラクターの経験は6年近くある。メーカーにいたときには、大手企業の研修にも出かけた。大勢の前でマイクを使ったこともある。派遣会社やカルチャースクールで、数え切れないぐらいの生徒さんたちを教えてきた。

人前に立つのがひさしぶりだったから。それもある。でも、もっとも思い当たるのは、教えるわたしのほうの気持ちが以前とはまるでちがっていたから、だろう。楽しもう、と思った。この講習会を、生徒さんたちと一緒に楽しもう。そんなふうに心に決めて教えるのは初めてだった。企業研修の場合、「確実に覚える」というのが絶対的な条件である。研修が終了した時点で参加者全員がきっちりとパソコンを操作できるようになっていなければならない。明日からでも業務で使うのである。必要なものだからこそ、高いお金を払い、社員の勤務中に研修を行う。

操作方法を覚えていない人がいると、こちらの評価が低くなる。信用を失う。だから自然と教え方は厳しくなる。なにがなんでも時間内に決められたカリキュラムをこなし、操作を覚えてもらわなくては困るのだ。派遣会社でスタッフ教育をしていたときも同じである。登録スタッフは、単独でどこかの企業に派遣される。ちゃんと覚えていなければ仕事にならない。教えるほうにも力が入る。

一番厳しく教えたのはカルチャースクールだ。仕事を終えて夜のコースに通ってくる人たちは、みな転職希望者だ。ここで技術を身につけて、なんとか新しい仕事を見つけようと必死になっている。

当時の授業料はとても高額だった。DTPコースは数十万円。ほとんどの生徒がローンを組んで支払うといっていた。真剣勝負なのだ。彼らの将来をかけた、人生の勝負なのだ。

「なにがなんでも覚えてもらわなくてはならない」。教えるほうとしては、いつもプレッシャーがあった。責任があった。思い通りに進んでくれたら、幸せなことこのうえない。パソコンの電源の入れ方も知らなかった人が、講習が終わるころにはスイスイとソフトを使いこなしている。人間がちょっとずつ物事を覚え、段階をふんで先へ先へと進んでいく過程って本当にすばらしいものなのだ。生徒全員がそうであってくれたなら、インストラクターはやりがいのある仕事だと思う。

まったく覚えられない人、というのもいる。わたしはずっと、パソコンに「向き・不向き」はないと信じていた。単なる道具にすぎないんだ。誰にだって使えるものだ。でも、いろんなところでいろんな人に出会っているうちに、「不向きな」人もいるのではないかと思うようになった。

理解できない人には、最後まで理解できない。どんなふうに教えたら、わかってもらえるんだろう。いつもそんなことばかり考えていた。新しい方法を見つけたらすぐに実践する。テキストを書き換えたり、図を使ったり、例題を変えてみたり。それでもダメだった。

「なにがなんでも覚えてもらわなくてはならない」。

最後まで理解できない人を前にして、わたしは悩んだ。悩み続けた。やっぱり教え方が悪いんだろうか。わたしの責任なのかもしれない。だんだん、教えることに対して「疲労」しか感じなくなった。それで、あるときからインストラクターはやめてしまったのだ。

IT講習会は、パソコンやインターネットの楽しさに触れる、というのが主な目的である。パソコンでどんなことができるかという夢を与えてください、と講師用テキストの一文はいっている。

講習を受ける人の大半は初心者だ。パソコンを触ったこともない人が初めてキーボードを叩く。インターネットで買い物や旅行の予約もできることを知る。電子メールでお便りのやりとりをする。まだ知らない世界。未知。夢。

講習時間は10時間から12時間。初心者がそれぐらいの時間で文字入力、ブラウザ、電子メールソフトの操作をきっちり覚えるなんてできない。無理やり覚える必要なんてないのだ。

いままでパソコンに縁がなかった人たちに、気軽に使える機会を作るだけでいい。インターネットの楽しさに触れ、「ああ、もっとやってみたいな」と思ってもらえたらうれしい。パソコンやインターネットの便利さ、楽しさを知るひとつのきっかけ。入り口。それがIT講習会の役割なんだと思う。

だったら教えてみたい、素直にそう思った。生徒さんたちと一緒にわたしも楽しむのだ。厳しくなんてしなくていい。覚えられなくても悩む必要はない。にこやかに笑みを浮かべて、パソコンに、インターネットの世界に夢を追いかけるのだ。

初日に手が震えるほど緊張したのは、そんなことを考えていたからだと思う。厳しく、悪くいうなら「たたき込む」方法はいくらでも経験があった。眉間にしわを寄せ、黒板をばんばん叩きながら何度も同じことを説明してたたき込む。でも、「楽しく教える」のは初めてだった。楽しく教える。さて、どうしたらいいんだろう。

答えは簡単だった。講習に来ている人たちは、みんな「ワクワク」を秘めた顔をしていたのだ。

「コンピュータだ、コンピュータ」「はやくインターネットやろうよ、やろうよ」「どんなことするのかなぁ、なにをするのかなぁ」

うれしさを隠しきれない、というほうが当たっていると思う。わたしを見つめる顔はどれもみな楽しさと期待にあふれていた。40代が数人、あとは50から70代の年輩のおじさんおばさんたちばかりである。けれども、その表情はまるで小学生なのだ。初めて教科書をもらう小学生のようにワクワクしながら待っている。キラキラと顔を輝かせてわたしのつぎの言葉を待っている。輝ける顔、顔、顔。

照り返しを受けるようにわたしもちょっと光っている。楽しさは伝染する。ワクワクはすぐにうつるのだ。みんなは自分たちがどういう表情をしているのか気づいていない。見せてあげたいなと思う。こちら側から見るとそれがどんなに眩しいものなのか見せてあげたい。

これから数ヶ月、わたしはずっとこの不思議なワクワク感のなかで講習をする。12年度からすでに始まっている自治体もあるが、事業としては平成13年度から本格的に開始された。全国的な規模で、いっせいにIT講習会が行われているのだ。対象者は約550万人。全国で輝く550万の顔だ。


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■井上以知子のひとくちコラム

●声の主
「っていうかぁ、ハードディスク圏外っ!」。いきなり怒られた。子ギャルである。ものすごくふてぶてしい口調で、そう怒るのだ。

びっくりした。部屋には誰もいないのに、子ギャルは怒っている。声の主はどうやらWindowsマシンのようである。ある朝、いきなりハードディスクにアクセスができなくなった。画面にはあれやこれやとメッセージが出て、「CDドライブにシステムディスクをいれろ」と出ている。とりあえず「Enter」を押すと、ギャルが怒るのだ。

いろいろ設定してリセットするたびに、ふてぶてしい声で「っていうかぁー」とスピーカーから音が出る。だんだん腹が立ってくる。どうやらわたしの買った新しいマザーボードは「しゃべるマザーボード」だったらしい。友だちにいうと「しゃべるのがあるっていうのは聞いたことあるけど、本当にしゃべるんだなー。でもそれを聞くチャンスがある人って滅多にいないからある意味貴重な体験かもよー」とのこと。

でもさ、そんなに怒ることないじゃんね。「圏外」って、携帯電話じゃないんだからさ。


●凪最
近、どうもわたしの人生は停滞している。ちょっと前まではもっとドラマチックで刺激に満ちた毎日だった、ような気がする。なんだかツマラない。

と友だちにメールで愚痴ると、「いまは、ただ『凪』のときなんだよ」という答えが返ってきた。

は? なに? あ、あ、そうか、凪。ナギ。なぎ、ね。なーんだ。わたしはちょっと読み間違えて「凪」を「凧」だと勘違いしたのだ。

「いまは、ただ『凧』のとき」。つまり、わたしはふわふわと所在なげに空に舞っている凧、あやふやな人生ってことね~と勝手に解釈してしまった。そっちのほうがあっているみたいだケド。


●まるで暗号のよう
携帯に間違いメールが届いた。なんか最近こういうのが多いです。で、読んでみるとヒドい日本語なのだ。

「サイト探した。ケド、カキコ見つかンない。デモ、ジュン君会った女マジムカつく」

助詞は使わないのか、助詞は。「を」とか、「は」「に」はどうなったんだ。ところどころカタカナになっているのが妙である。まるで暗号のようなメールだ。

サイトで探したよ。けれど、書き込みは見つからない。でも、ジュン君が会った女はマジにむかつく。というのが正解ってところでしょうか。そういえば、子ギャルって話し言葉も省略化しているよね。「マクド行く」、「デニるってのもアリ」。なんだかねぇ。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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