2001年05月18日

ライフディスタンス

ちょっと気になる男性がいる。年齢は30歳ぐらい。仕事で会うときの顔は、社会の第一線で働くエリート社員そのもの。スキがない。緊張感にあふれている。言葉づかいも驚くほど丁寧だ。

そんな彼も、仕事から離れて気を緩めると急に少年の顔になる。いたずらっぽい目、すねたような顔。ひょっこりと幼さの漂う言葉が飛び出てきたりする。アンバランスだ。男の30歳って、あやふやな年齢だなぁと思う。

彼と知り合ってから一年になる。友だち、というほど親しくもない。何度か顔をあわせる機会があり、話をするようになった。メールアドレスもあるというので、月に何度かはメールをやりとりする。そんな程度の関係である。

あるときからわたしは彼のことが気になりだした。素通りできないのだ。すんなり彼の前を通りすぎることができなくて、いちいち立ち止まって彼の仕草や話の内容を分析するようになった。

念のためにいっておくと、ここでいう「気になる」というのは、色恋関係ではない。気がつくと視線は彼の姿を追ってしまうの、とか、彼のことが気になって眠れないの、というほうの「気になる」とは全く別物である。残念ながら。

色恋ものでないなら、なにがわたしを立ち止まらせるのか。どうして気になるのだろう。それを知りたくてわたしは彼を観察した。何かが「ひっかかる」のである。彼とわたしの関係性において、いつも何かにひっかかってしまうのだ。

スカートの裾が釘にひっかかったみたいに、いきなりツンと突っ張って前に進めなくなる。軽快に歩いていたはずがゴツンと大きな石につまずく。つま先が痛い。彼と話していると、いつもそんな奇妙な感じにとらわれた。

ものすごく違和感があった。小さいことなんだけれど、毎度のように繰り返されるとだんだんイライラしてくる。行く手を阻まれる。なにかにぶち当たる。ぶち当たる先は、彼がみずから意識して引いている他人との境界線。彼の心のなかには、太い線が引かれていた。

とてもフレンドリーな人である。にこやかな笑顔で楽しい話をしてくれるので、親しみがわいてくる。初対面の人にでも心を開かせるやさしい雰囲気も持っている。彼がいると場がなごんだ。誰にでも好かれる、誰からも「やさしくて気さくな人」と呼ばれるタイプだ。

でも、境界線の内側にはけっして他人を入れようとしない。頑固なまでに、彼はその線を守っていた。会話のなかでちょっとでも彼のプライベート、彼自身のことに触れると見事なほどにさらりと話題を変えた。どんなに酔っていようとも、どんなに親しみを感じても、彼は彼自身についてなにひとつ語らなかった。

初めは、わたしだけが避けられているのかなと思っていた。なんらかの理由でわたしを嫌っているから自分自身のことは話したくない、触れられたくないのかもしれない。でも、わたしだけではなかった。大勢が集まる席で、ほかの人からの言葉も彼は見事なまでにかわしていた。あまりにもさり気なくかわすので、ほとんどの人は話題をすり変えられたことにも気がついていない。

ライフディスタンスが長い人だなぁ、と思った。警戒心が強すぎる。

野生動物には、敵と自分の距離を保つライフディスタンスがある、というのを聞いたことがある。野生で生きていくかぎり、常に敵の存在を意識する。敵の位置を確認しながら行動する。かといって、敵を発見してすぐに逃げるわけでもない。アフリカのような大平原では、見渡せばどこかに敵の存在はある。

見えていても、ある距離までなら無視する。目のはしにとらえながらも草をはみ、水辺で体を洗い、木の下でごろりと寝そべったりする。わんさかと敵に囲まれている環境で、いつも逃げてばかりいたのでは無駄に疲れるだけである。あの敵なら今すぐ追いかけられても逃げられる距離、安全な距離、それをちゃんと計算しながら生活しているのだ。敵が何気なく近づいてきたら、ちょっと移動してライフディスタンスの間隔を保つ。近づいたらまた移動する。急激に接近するようなら、あわてて逃げるしかない。

アフリカの動物にかぎらず、これは近所のそこいらへんの野生動物たちにも共通する。近くの川に棲んでいるカモ夫婦はとても正確なライフディスタンスを持っているように思う。釣りをしていると、川下でカモの夫婦がのんびりと泳いでいるのが見える。ゆっくり静かに近づいていくと、まるでわたしのことなんか気がついていません、というふうに無視する。逃げない。

しめしめ、と思ってそのまま歩いていくと、ある地点でパーンとカモの夫婦は飛び立ってしまった。あまりにも突然なので、「なんか音を立てたかなぁ、いつ見つかったのかなぁ」と首を傾げるほどである。カモ夫婦まではまだかなり距離がある。

川でみつけるたびにやってみた。いつも「気がついてません、知りません」というそぶりを見せながらも、あるとき瞬間的に飛び立つ。「なんだ、ちゃんと見ているじゃんか」と悔しい思いをするが、これがカモ夫婦にとってわたしとの安全距離なのだと実感するときでもある。

人と関係を築く、というのは、ライフディスタンスを縮めることではないかと思っている。会って、話をして、信頼を築く。お互いの距離が狭まっていく。他人とふれあうために他人を安全距離のなかに導き入れる。それが人と関わることだと思っている。

でも彼との距離はいっこうに縮まらないのだ。一歩踏み出すと、一歩退く。どどっと一気に五歩ぐらい踏み込もうものなら、さーっと早足で逃げる。なまじ親しみやすさを感じさせる性格なので、彼の行動は本当に不可解でしかない。

彼にとって他人は、うーんと長いライフディスタンスを必要とする脅威でしかないのだろうか。なにか理由があるのなら、それはわたしがどうこういえるものでもない。それとは別に、なにかもうひとつわたしをイラ立たせるものがあるのだ。どうもスッキリしない。わたしはなにに腹を立てているんだろう。

この春に彼は転勤することになった。遠く離れたら、もう一生会う機会はないかもしれない。話してくれるとは思えなかったけれど、この一年わたしが関わろうとした努力を賭けてストレートに聞いた。

「あなたには他人をよせつけない心の境界線がある。そんなにフレンドリーに振る舞っているのに、自分の話題になるとさらりと逃げる。そこまで他人をよせつけないのは何か理由があるの? この一年、とうとうあなたの心には触れられなかった。なぜ入れてもらえないんだろうか」

「鋭いなぁ。ほかの人はだませても、イチコさんの目はだませないようですね」

はっはっはーと彼は笑った。笑うのは、もうこれ以上は勘弁してください、話せませんという合図である。それ以上詮索しても仕方ないので、わたしはあきらめた。

翌日、彼からメールが届いた。長いメールには、わたしが聞いたことへの答えが書いてあった。驚くほど正直に、素直に、いろいろなことが書いてあった。彼にしてみれば、かなりの勇気が必要だったのではないかと思われる。

でもわたしはちょっとガッカリした。イラ立ちを感じ、腹をたてていたことがあまりにもチンケなものだったからだ。

彼は自分が意識して他人との境界線を作っているのを認めた。その境界線は、他人というよりもとくに女性に対しての線引きだという。彼はこの春に結婚したばかりである。結婚する前からも、してからもほかの女性からの誘惑が絶えないらしい。

本人としては、恋人であり奥さんともなった女性だけをみつめて、幸せに暮らしていきたい。彼はいわゆる「3高」の男だ。高学歴、高収入、身長は187センチである。フレンドリーな雰囲気ともあいまって、女たちの誘惑の魔の手が押し寄せるというのも納得がいく。幸せに穏便に暮らしたい彼は、パチンと扉を閉めて太い境界線を引くしかなかったのである。スッキリしなかった気持ち、わたしが腹を立てていた理由はこれではっきりした。なんだ、そんなことか、という感じである。つまりわたしも、彼に群がる女たちと一緒にされていたのだ。彼にとっては、わたしも誘惑するひとつの手でしかなかったのだ。だから遮断した。

いろいろ考えていた自分がバカらしく思えた。人との関わりとか信頼とか、そんなものは彼にはなんの意味もなかったんだ。女であるだけで、「もうご免」だったのだ。

男と女が出会うとき、それはいつでも男と女であるわけではないと思う。彼に話しかける女すべてが彼を誘惑し、不倫したい、寝たいと思っているわけではないのだ。まぁ、30歳そこらの男にはまだわかるまい。40代を身近に感じて、すこし「枯れてきたかな」と思えるころに、異性の友だちのすばらしさを知るものなんである。

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■井上以知子のひとくちコラム

●うれし、たのし、iTunes
いまさら、という感じではあるが、iTunesにハマった。Macintoshのデジタル音楽ソフトである。音楽CDをCDドライブに入れるだけで、簡単かつ高速にMP3データに変換してハードディスクにライブラリ保存する。インターネットに接続するとCDデータベースにアクセスして、アルバムのタイトル、歌手、曲名などのリストを自動的に作ってくれる。15曲あったとしたら、勝手に15曲に曲名を入力してくれるのだ。なんて便利~。

ライブラリに保存したデータはいつでもクリックひとつで聴ける。G4でお仕事しながら、好きなCDの曲が聴ける。ものぐさなわたしはCDプレイヤーのCDを入れ替えるのが面倒でいつも入れっぱなしで同じCDばかり聴いてた。iTunesさえあれば、好きなだけハードディスクにためこんでおけばいいのだ。CDの入れかえもなく音楽が聴ける。うひひである。

コピーも簡単である。空のCDを入れて、ライブラリにあるデータを「はい、コピーしてちょ」とボタンを押せばよい。車でCDを聴くことの多いわたしはこれまたいつも入れっぱなし。同じものを2枚作っておけば、車でも家でも聴ける~。やるじゃん、iTunes。こういうところがMacのよさである。


●Windowsマシン、大改造の巻
連休中、一日だけ休みが取れた。「さあ、どこに行きたい?」と聞く夫に、迷わずわたしは「パソコンのパーツ屋に連れていって」とひとこと。自作Windowsマシンは3年前に作ったものなので、チューンナップしてやりたかったのだ。800MHzのCPUを買い、それにあわせてマザーボードも新しいのに変えた。メモリも安くなっていたので増設することにした。「それじゃあ、全く新しいマシンに買い換えたのと同じじゃん」と友だちはいうが、これだけ買ってもたったの3万5千円である。

るんるんしながら家に帰って組み立てる。前回は全部夫にまかせたが、今回はCPUの取り付けなんかも自分でやる。差す方向がわからない。「このカドはちょっと形がちがうでしょ。そことここをあわせる」と夫。なるほどね~、そういう些細な違いを手がかりにするのか。プラモデルみたいである。ファンの取り付けはちょっと力が必要だったので、夫にまかせる。メモリもどっちがどういう方向なのかさっぱりわからない。平べったいウエハースのようなメモリ板をじーとみつめる。下に二カ所くびれのようなものがある。ははーん、このくびれとこのでっぱりをあわせるのよ。だんだんコツがつかめてきた。

200MHzから800MHzへの昇格は驚異、のはずである。なのに、それほどスピードがあがったとは思えない。おかしい。Macだったら、わずか100MHzあげただけでも、「うへー、はえー」と実感できるのに。ここがWindowsたるゆえんだろうか。値段に負けて「せれろん」を買ったからだろうか。「ぺんちあむ」にしておくべきだったか。

ついでに押入のなかで転がっていたハードディスクも差し込んでやったので、しばらくはこれでイケるだろう。

実は、DreamweaverなんかはMacよりもWindowsのほうがバグも少ないし、操作スピードが速いというのを耳にしたのである。Dreamweaverを使うには前のスペックではつらすぎたので、賢くしてあげたのだ。デザインはMacで作って、HTMLのコーディングだけWindowsでやってもよいかな、と思ったのだ。

しかし、なんかちがう。WindowsのDreamweaver。メニューもパレットもMacのものとほぼ同じ。だのになんかやる気が失せる。レイアウトをしようという気になれない。やっぱ、しばらくはMacだな。

●ガラクタたちの叫び声
気がつくと、部屋も押入もガラクタたちでいっぱいになっていた。市のゴミ収集では取り扱っていないものばかりなので、仕方なくクリーンセンターという所まで直接搬入に行く。夫とふたりで車に積み込む。17インチのモニタが2台、ビデオデッキ2台、プリンター、KENWOODのステレオセット一式、電気ストーブ。まるで廃品回収業者の車みたいである。

地図をみながら山の中にあるクリーンセンターに向かう。車が揺れるたびに、後ろでは山積みになった電気製品がぶつかりあってガタガタガタガタ音を立てる。ガタガタガタガタ。山道に入ると、まるでガラクタたちが文句をいっているみたいに大きな音を立てる。

「オレたちをどこに連れて行こうっていうんだよぉ」「捨てるつもりなのかよぉ」「あんなに役に立ってやったのにさっ、ひどいわっ」「どうするんだよ、どうするんだよ」

ものすごい勢いで責め立てる。

「なんかさー、文句いわれてるよ、あたしたち」とわたし。「ほんと、なんかそんなふうに聞こえるよねー」と夫。

センターに着いて、指定された場所で荷物をおろす。電気製品たちは、もう文句はいわない。ひっそり静かにあきらめたように、よそ者の中にうずくまっている。ちょっと悲しげな姿だった。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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