2001年05月02日

流れは清き豊平の

5月のなかば、ちょうどゴールデンウィークがあけたころ、決まって同じ夢を見た。年に一度しか見ない。夢の相手は何も話しかけてこない。それが、ここ2、3年はその夢に会えなくなった。ずっとあったものがなくなると、どうも居心地が悪い。もう必要のない夢なのだろうか。


彼と再会したのは自動車教習所だった。家から車で5分のところにある小さな教習所。4月に入り雪がすっかりとけるやいなや、待ってましたとばかりにわたしは教習所に通い始めた。19歳の春だった。

初日の朝、運転講習の担当教官が決まらないというので、仕方なく学科講習を受けることにした。おそるおそる教室をのぞきこむ。平日の朝一番、講習を待っているのはひとりだけ。教室のなかは妙に静かだった。

一番後ろでだらしなく椅子に腰掛けている男を避けるようにして、遠慮がちに前の席まで歩いていく。コトンと椅子に腰掛けたとき、後ろから声がした。

「おい」

朝の空気に吸い込まれる。あまりにもやさしい響きだったので、わたしはごく自然にぐるりと声のほうを振り返った。

「おまえ、オオシマだろう」

男はいたずらっぽい顔でわたしをみつめた。わたしはたしかにオオシマだった。そのときは結婚していなかったから、旧姓のオオシマなのだ。

陽に焼けた浅黒い顔。額に落ちる無造作な髪。かなりワルっぽい雰囲気だが、精悍な顔つきのなかなかハンサムな男だった。なにより印象的なのは目だ。笑っているけれど、笑っていない。鋭いというよりも、何かを狙っていつもギラついている、そんな目だ。

どこかで見た覚えがあった。けれど思い出せない。わたしの名前を呼ぶこの男はいったい誰なんだろう。男は「わかんねえのかよ、じゃあ教えてやるよ」とでもいいたげに、今度は自分のてのひらに視線を落としながらいった。

「おれだよ、トヨシマだ」

トヨシマ。とよしま。豊島。ああ、あのときの豊島だ。え?あのときの?

「トヨシマって、小学校1年の『流れは清きトヨシマの』のトヨシマ?」「なんだよ、まだ覚えてんのかよ。ま、いいや。そのトヨシマだ」「なにしてんのよ、ここで」「免許だよ。おまえこそ、なにやってんだ」「免許よ。免許とんのよ」

声をかけたほうも、かけられたほうも、少なからず気が動転していた。教習所にいるのは、免許を取りに来たにきまっている。10年ぶりに会ったのに、なんともつっけんどんな会話だった。

結局その朝の学科は受けなかった。担当教官になったという人が呼びに来て、すぐに車に乗れという。トヨシマとの話もそこで終わった。

初めてトヨシマに会ったのは、小学校一年のときだ。先生に連れられてみんなでゲタ箱のところに行った。木製の本棚のようなゲタ箱の奥には、細いピンクの紙にひらがなで名前が書いてある。自分の名前が書いてあるところに外の靴をいれます。その上の狭い段には、上履きをいれましょう。

その日の帰り、上履きを上の段にしまって外靴にはきかえていると、どこからともなくトヨシマがやってきた。「やーい」とかなんとかいいながら、わたしの上履きをさっと取り出して玄関のすのこの上に叩きつけた。それから目の前でぐいぐいと踏んづけたのだ。

バレエシューズの形をした上履きは、すのこの上でぐんにゃりとしおれていた。真新しい白も、トヨシマの足跡で薄汚れていた。

わたしは、「わーん」と声をあげて泣いた。まわりの女の子は「なーかした、なーかした」と歌うようにはやしたてる。トヨシマは周りが騒げば騒ぐほどパワーがみなぎるようで、「おらー、もっと泣けー」とますます勢いづいた。

それから、彼はなにかにつけわたしに意地悪をした。いちご模様の給食ナプキンに牛乳をかけ、匂いのする消しゴムをぼろぼろにくだき、髪に結んだリボンをひき抜いて窓から放り投げた。

乱暴な言葉づかい、荒っぽい態度。クラス一の悪ガキだった。宿題もやってこないし、忘れ物ばかりする。落ち着きもなかったので、授業中はいつも先生に怒られていた。

さすがのトヨシマも所詮はただの小学生なので、先生に怒られるとしゅんと小さく縮こまる。小さくなっているトヨシマは、子どものわたしの目にもわかるほど、ふしぎな悲壮感があった。

悪ガキと気の弱い女の子という単純な図式のほかに、この子とわたしには決定的なちがいがあると思った。なにかわからないけれど、この子とはあきらかになにかがちがう。

トヨシマの服は古ぼけていて、ズボンにはカケハギの縫い目があった。セーターの編み目もほころんでいて、袖は鼻みずで固くなっていた。

それにいつも顔が汚かった。ほこりや汚れがこびり付いているような薄汚さだ。そして、ほこりだらけの顔のなかで、目だけがぎらぎらと光っていた。

彼の目は何かを射るように鋭くぎらぎらと光っていた。わたしにはそれが怖かった。乱暴な態度や意地悪をされるより、彼の目に恐ろしさを感じた。

小学校1年から始まり、4年生まで同じクラスだった。トヨシマはわたしの小学校時代を物語るには忘れようにも忘れられない存在である。どんな友だちよりもどんな行事よりも、強烈に、鮮明に、記憶のなかに刻み込まれている。

そのトヨシマが、小学校のアルバムから抜け出すように19歳のわたしの前にあらわれた。薄汚いガキが、男らしい顔つきになって「おい、オオシマだろ」とわたしを呼び止める。

教習所には毎日通った。トヨシマもほとんど毎日のように来ていたけれど、初日につっけんどんな会話をして以来、まともに口をきいたのは一度だけだった。

大きなオートバイで教習所に乗り付けた彼に、「なんだ、免許もってるじゃないのよ」とわたしがいうと、「二輪はもってんの。俺は四輪の免許を取りにきてんだよ。んなこともわかんねーのか、ばーか」といった。

彼はいつも3、4人の友だちと一緒だった。ちょっとワルっぽい雰囲気のあんちゃんたちが、ロビーの片隅で輪になっているのはなんだかアヤシイ感じがした。それでなくても目立つのに、背の高いトヨシマは特に目をひいた。

ずいぶん伸びたものだなぁとロビーの奥に目を向ける。昔はそんなに背が高いほうじゃなかったのに。朝礼で並んだときだって、前から6番目のわたしのすぐ近くにいたんだ。痩せているのはあのころと同じ。でも、体つきが男である。

後ろ姿の彼がふいにこちらを振り向く。目があったついでに、ちょっと首を傾けて挨拶すると、トヨシマも顎を引くだけの挨拶を返した。

「あら、お知り合い?」「え? だれが?」「あの子たちよ、不良でしょ。いやだわ、なんか感じ悪いもの。あなた、お知り合いなの?」

教習所でロビー待ちしているときに顔見知りになった主婦である。わたしの目線をとらえて、好奇心まるだしで聞いてくる。とっさに「いいえ、ちがいます」と答えた。

トヨシマも同じ状況だったのかもしれない。硬派を気取る仲間たちの手前、わたしのようなチャラチャラした女と話すのは気がひけたのだろう。毎日顔をあわせながらもお互いに距離をとって、ときどき目があうと挨拶のような仕草を交わすだけだった。

ロビーの奥の背の高い後ろ姿をながめ、猛スピードで走り去るバイクを見送り、教習所での1ヶ月はあっという間に過ぎていった。念願の運転免許を手にして、おそるおそる自分で車を走らせるようになると、トヨシマと会ったことさえ忘れてしまった。

そして、もう一度彼はわたしの人生に飛び込んでくる。教習所を終えて1ヶ月もたたないうちに。彼自身ではなく、小学校時代の担任の電話でわたしの人生に飛び込んできた。「トヨシマくん、覚えていますか。ええ、トヨシマくんです。昨日、事故で亡くなったんです」

先生は、昔の名簿を頼りにクラスの生徒全員に彼の死を知らせているという。

「ぜひお葬式にも出てあげてくれませんか」「いえ、無理です。就職したばかりの会社なので、休みは取れないと思います」「そうですか・・・。わかりました。オオシマさんもお元気でがんばって」

仕事なんてどうにでもなった。勤めはじめたばかりだったけれど、友だちのお葬式だといえば、休ませてくれただろう。わたしは行きたくなかったのだ。トヨシマのお葬式なんか、絶対に行きたくなかった。

トヨシマが死んだ。死んでしまった。すぐ近くの国道で、オートバイに乗ったまますっ飛んだという。ばかだ。カッコつけて、あんなにスピードを出すからだ。ほんとうにばかだ。

こんなことってあるのだろうか。ずっと忘れていた子、小学校のいじめっ子に10年ぶりに再会したのだ。ある日突然目の前にあらわれて、10年間の封印を彼はこじあけた。わたしに小学校の出来事を山のように思い出させたうえに、たくましく成長した男の姿をみせにきた。カッコいい自分をみせにきた。

まるで自分の存在を確認するみたいに、彼はわたしの記憶を掘り起こしたのだ。わたしのなかに彼がいることを確認したかったのだ。それだけでは物足りず、さらに新しい自分をつけくわえることでより強く記憶のなかに刻み込んだ。それを見届けてから、彼は逝った。

そんなのって、ひどすぎる。

翌年の5月、ふしぎな夢を見た。トヨシマが夢のなかで遊んでいる。小学校のときの顔、教習所でみせた大人の顔、そういうものがコマ送りのように流れる。話しかけてはこない。

目覚めて、わたしはちょっと気味が悪くなった。死んでしまった人の夢を見るのはあまり気持ちのいいものではない。ましてトヨシマだ。彼はなにかいいたいことでもあるのだろうか。いや、ちがう。夢のなかで、彼はなにも話しかけてこない。その場にわたしもいない。ただ彼の顔が流れるだけだ。

つぎの年も、またつぎの年もわたしはトヨシマの夢を見た。忘れたころに同じ夢を見る。年にたった一度だけ。気がつくと、いつもそれは5月のなかばだった。そうか、トヨシマはただ思い出してもらいたいだけなんだ。こちらの世界でせわしなく、忙しく生きているわたしに、ほんのちょっと思い出してもらいたいだけなんだ。

それがわかると、5月の夢は薄気味悪いとは思わなくなった。目が覚めると、なつかしいような、切ないようなふしぎな思いの残る夢。

だけど、ここ2、3年、トヨシマの夢を見ていない。彼が逝ってから20年が過ぎた。もう彼にわたしは必要ないのか、こちらであまりにも忙しく暮らすわたしを見てあきれているのか、それはわからない。

小学校の校歌は、『流れは清き豊平の』から始まる歌だった。「とよひら」と「とよしま」のゴロがぴったりあうので、わたしたちはみんな『流れは清きトヨシマの』と歌った。全校集会の体育館でも、卒業生を見送る会でも、朝礼でも、「トヨシマの」の部分をことさら強調して、そこだけ大きな声で歌う。わたしもこのときとばかりに声を張り上げた。

そのたびに彼は「なんだよ、ばーか」とか「うっせーよ」とみんなに毒づくのだった。

流れは清き豊平の水に朝日のうつるとき藻岩の姿 雄々しい雲夕べの空にかかるとき

トヨシマよ、来い。


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■井上以知子のひとくちコラム

●GWいかがおすごし?
うちは、GWはまったく関係ナシである。夫婦ともども連日3時、4時まで働いている。夫いわく、「もうテンパってるじょ~」。ここは景気良くリーチ一発ツモ、ウラドラバンバンであがってほしいものだ。同じ家にいるのに、会うのは食事をするときだけ。なのに、ふたりとも「はぁ~」とか「ふえ~ん」とかため息ばかりついている。ああ、ふぬけの日々がなつかしい。ふぬけたい。だらけたい。

といいつつ、ひと山こえた。大きなお山があとふたつ。


●いわしめんたい、からしレンコン
夫が九州に出張に行った。「なんか、おみやげいる~?」と電話が来る。あたりまえじゃないか、手ぶらで帰ってくるアホがいるか。博多といえばいわしめんたい、熊本はからしレンコンである。

いわしめんたいのおいしさにはトリコになっていたが、からしレンコンは生まれて初めて。からいーっ、でも、んまいーっ。しゃきしゃきと口のなかでレンコンをかじる音がする。レンコンの穴にびっしり詰まったカラシで、鼻の穴がふくふくと膨らむ。涙がでるが、うまい。まわりの揚げた部分はちょっと甘みがあってやわらかな味になる。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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