2001年04月25日

女を狂わせる過剰な母性

電話が鳴る。ナンバーディスプレイをのぞきこみ、「ああ、母だ」と思う。大きく深呼吸してから、おもむろに受話器を取る。

「お母さんだけど。どう、元気なの?」「うん、元気だよ」「そう。仕事はどうなの。忙しいの?」「まぁまぁってとこかな」

わたしの実家は北海道である。年に一度は帰るようにしているが、2年以上も両親の顔を見なかった時期もある。遠く離れているせいで、母はこんなふうに週に一度ぐらいの割合で電話をかけてくる。

特に母と仲が悪いわけでもないし、ごく普通の母と娘の関係にある。ただ、彼女と話すにはある種のパワーが必要なのである。だから身構える。

たとえば、「仕事はどうなの?」と聞かれたとき。「いまは結構ヒマかな。のんびりやっているよ」と答えたとする。すると母は、「まぁ、そんなにヒマで大丈夫なの? お金は足りているの?」と心配そうな声を出す。

話はそれだけでは終わらない。「そんな不安定な仕事をこのまま続けてどうなるっていうの。もっとちゃんとした仕事に変えられないの? でもあんたは昔から仕事には縁がなかったしねぇ・・・」と続く。

かといって、「すごく忙しいの。これから出かけるからまた後でね」といったところで彼女は納得しない。「そんなに働いてどうするのよ。体をこわすわよ」とくる。

「そんなわけのわからない仕事に一所懸命になっても、将来はどうなるかわかったもんじゃないわよ。お金になるのは今だけなのよ。仕事ばっかりやってどうなるよの。ご主人もかわいそうだねぇ、どうせロクなもの食べてないんだろう、家のなかも汚いんだろうねぇ・・・」

わたしはこれを「母の電話マジック」と呼んでいる。どう答えても母からは痛烈な言葉しか返ってこないからだ。うまく身をかわすには、曖昧に「ぼちぼちかねぇ」と答えるにかぎるのだ。

わたしだって仕事がこなくてヒマなときには焦っている。困ったなぁと落ち込んでいるときに、「アンタはなにをやってもダメだったしねぇ」なんていわれるのはたまったもんじゃない。

昼も夜もなく必死に働いている娘に、「そんな仕事をやっていても将来はないんじゃないの」という母は、どういう神経の持ち主なのだろうか。

普通に考えれば、むちゃくちゃなことをいってるのはわかるはずだ。かなり矛盾している。たぶん、母も自分の友だち相手ではそんなふうにはいわないだろう。娘だから勝手なことをいってもいいと思っている。母のいった言葉でどれだけわたしが傷ついているのか、考えてみようともしない。母親なんだから、なにをいっても許されるのだと信じている。どうしてそんなに身勝手になれるのだろう。

あるとき、「風邪をこじらせて肺炎になってしまった」と口をすべらせたことがある。「元気なの?」の問いには、多少体調が悪くても「うん、元気よ」と答えていた。それがもっとも傷を受ける確率の少ないベストな回答なのだ。が、そのときはついうっかり本当のことを話してしまった。

「ええっ、肺炎? なにやってるのよ。ホントにアンタはだめなんだから。ちゃんと栄養をとっていなかったからよ。仕事ばかりしてたって何の得にもならないんだからね。まったく、肺炎だなんて。どうするのよ」

母の電話マジックは、まともに相手をしているとこちらの傷が深くなる。聞き流して黙っているにかぎる。でもそれは気持ちに余裕のあるときだ。肺炎で息がぜーぜーして、高熱にうなっているわたしには、この理不尽な言葉を聞き捨てる余裕がない。

「わたしがつらい思いをしているときにどうしてそんなヒドいことがいえるの?いまさら、栄養だ仕事だって責めても、病気が治るわけじゃないんだよ」

母はちょっとしたパニックにおちいった。「なんてことをいうの。お母さんは心配していってるんじゃないの。お母さんがいつもアンタのことをどれだけ思っているか、そんなこともわからないのっ。だったらもう心配なんかしてやらないからっ」最後は涙声になる。

そうなのだ。母のせりふはいつも決まっている。「お母さんがどれだけアンタを思い、心配しているのか、アンタはわかってないのよ」。


●少年の心

あるテレビ番組で、ひきこもりの少年を見た。高校生ぐらいだったと思う。ずっと自分の部屋にひきこもっているのは、母親と会いたくないからだという。

ひさしぶりに母親と顔をあわせて話をすることになった彼は、ゆっくりと母に向かって自分の気持ちを話した。

「いろんなことを決めつけられるのが僕にはたまらない。僕には僕の考えがある。だから、なんでもお母さんの好きなようにコントロールしないでほしい」

正確に再現はできないけれど、少年の伝えたかったことはそういう感じだったと思う。とても頭のよさそうな子で、きちんとした言葉使いで丁寧にそういった。

「○○くん(彼の名前)はわたしの子どもでしょ。親が子どもに自分の考えを押しつけてなにが悪いの?」

「それがいやなんだよ。僕には僕の考えがあるんだ。お母さんと僕は別な人間なんだよ」

「別な人間っていったって、わたしの子どもじゃないの。子どもなんだから、わたしの考えを押しつけてあたりまえじゃないの」

母親という人は、気のやさしいおっとりとした女性である。驚いたのは、「母親が子どもを自分の思いどおりにすることの、どこがいけないの?」と本気で聞いていることである。素朴に、純粋に、「どうしてだめなの?」と不思議がっている。

ああ、この少年はたいへんだろうなぁとテレビを見ながらしみじみ思った。こんな不毛なやりとりをずっと続けてきたのだ。たぶん、この先も少年の気持ちは母には伝わらないだろう。

母という存在は、なにをきっかけに、こんなふうに人の気持ちが見えなくなってしまうのだろうかと思うことがある。

母性は、いつの時点で、なにを境に女の正常な心を狂わせるのだろう。

●ある講演会で

SOHOとか在宅ワークに光があてられた時期に、講演会に招かれたことがある。女性の社会参加、主婦の再就職をテーマに企画されたもので、わたしが依頼を受けたテーマは、『在宅ワーク成功への道・その秘訣』とか、そういう感じだったと思う。

在宅ワークに至った経過から始まり、いまは家でどんな仕事をしているのか、どういうふうにクライアントをみつけるのか、実体験にアドバイスをまじえて話をする。

平日の昼間に行われたので、聞きに来ていた人は全員が主婦である。在宅ワークの講演会であるから、これから自分も家で仕事をしてみたいな、どういうふうにすればいいのかな、とちょっとは働く意欲を持った人たちだ。

話はだいたい1時間半。そのあとに30分の質疑応答があった。最初は遠慮がちに手があがったが、ひとりふたりと質問をするうちに、どんどん手をあげる人が増えた。

仕事に関する質問は、1割程度だったと思う。「本当にお金が儲かるのか」「パソコンは高いのか」。そんな質問がぱらぱらとあったが、ほとんどは仕事に直接関係のない質問だった。

「仕事をしたくても夫が反対している?どうすれば夫を説得できるだろうか」「そんなに忙しくて、ご主人との関係は悪くならないのか。仕事も夫婦関係もうまくやっていく方法を教えてほしい」「夫が家事を手伝ってくれない。わたしが仕事をするためには夫の協力が必要なので、どうしてもやってほしい」

在宅ワークの講演会というよりも、「主婦の心の相談室」という感じである。

「井上先生には子どもがいますか?」「いません。猫が2匹いますが・・・」「どうして子どもを作らなかったんですか?」

とうとうきたな、と思う。質問をした人ばかりではなく、ほかの人たちも興味しんしんという感じでわたしの顔を見つめる。この質問がくるのはかなりの確率で予想できたので、予定通りにさらっと答えるにとどめておく。

「子どもに関しては、特に理由はありません」

納得できない、という雰囲気がありありと伝わってくる。一度目はそれでことなきを得たが、二度目の講演会はそれではすまなかった。同じ質問があり、同じように「特に理由はありません」と答えると、不満げな女性がなおも話を続けた。

「わたしは二人も子どもを作ってしまいました。いまはそれが足かせになって、好きなように仕事ができません。子どもがいなかったら、あなたのように働けたのかもしれないと思っています。それが悔しくてなりません」

真剣に彼女は訴えてきたけれど、わたしは子どもについては何もいうことができない。

「申し訳ありません。わたしには子どもがいないので、子どもに関するコメントはどんなものであれ無責任になると感じています。だから一切コメントしないことにしています」

会場がしらけるのがわかる。冷たいのかもしれないが本当にそう思っているので、安易にコメントはしないようにしている。来ている人のほとんどは、主婦であると同時に母だろう。彼女たちが「どうして子どもを作らなかったのか」と聞くとき、いったいわたしにどういう答えを求めているのだろうか。

「どうしても仕事をしたかったので、キャリアのために子どもはあきらめました」「子どもがいなかったからこそ、今の成功があるのです」

そういえば、質問をした人たちはなにかしら満足するのだろうか。安心するのだろうか。なにを期待し、なにに逃げ込みたいのだろう。


●ひとりよがりの母性

数日後、わたしのところに一通のメールが届いた。講演会に来ていた女性からだった。とても長いメールには、彼女がいかに出産に感動し、その後の育児で多くのものを得たか、ということが書かれていた。感動と喜びに満ちあふれた内容だった。最後はこうしめくくられていた。

「さまざまな苦難を乗り越え、いまの仕事を勝ち取った井上先生であれば、出産もきっと乗り越えられます。怖がらずにトライしてみてください。あなたならきっとできます。そして、子どもを持ってはじめて女としての人生のすばらしさを知り、人の心がわかるようになるのです」

はっきりいって呆れた。あまりにひとりよがりな考えに、嫌悪感さえ覚えた。どうしてこんなメールを一度しか会ったことのないわたしに送れるのだろう。「井上は出産を怖がっている」と決めつける理由はどこにあるのだ。出産が誰にとっても感動的で人生のよろこびであるといいきる根拠はなんなのだ。

「子どもを持って女ははじめて人の心がわかる」「女は子どもがいてこそ一人前」

子どものいないわたしは、そういうせりふをいろんな人から何度となく聞かされている。でも、子どもがいなけりゃ人の気持ちもわからない、一人前にもなれない女ってなんなのだろう。一人の人間として生きているだけでは、なんの価値もないということなんだろうか。そんなのバカげている。

ふつう、講演会という場で「なぜ子どもを作らないのか」などという質問をするものだろうか。少なくとも、わたしと同じように子どもをもたない女性は、大勢の人が集まっている公の場所で、初対面の講師に、そんな失礼な質問をぶつけたりしない。

常識的に考えればわかることだと思う。女ならもっと深く考る。この年になって子どもがいないということは、欲しくても授からなかったという可能性だってあるのだ。のっぴきならない理由があって、子どもを生めないってことだってあるだろう。

「子どもを持ってはじめて人の心がわかる」なんてウソである。他人の心も、自分の子どもの心さえも、ちっともわかっていないじゃないか。過剰な母性を身につけると、なぜか女は脳味噌のなかのネジが一本こぼれ落ちてしまうようである。

女である前に、ひとりの人間としてわたしは存在したいと願う。


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■井上以知子のひとくちコラム

●あともう少し
GWまであともう少し。といっても、旅行をするとか特別なにかイベントがあるわけではない。ただ休みたい、家にいたいのだ。ここのところ、ばたばたと忙しかったので、いまはひたすらお休みが待ち遠しい。

●お姫様気分
ある関係で、ある男性二人とお酒を飲むことになった。ひとまわりも年下の若きエリート外科医である。いろいろな関係で、わたしが接待を受けた。お店の段取りはもちろん、お酌から料理の注文、タクシーの手配、なにからなにまで流れるようにすすんでいく。話の内容もひたすらわたしをほめちぎる。よいしょの連発。こそばゆいがうれしい。こんなVIPな扱いをされたのは何年ぶりだろう。接待だとわかっていても、大切にされ、丁寧に扱われると、きれいなお姫様になったような錯覚におちいる。若い男はまぶしい。楽しい。イキがいい。ああ、こんな経験、もう二度とないかもしれない。

●最低得票数
市議選があった。ビリケツで当選した人は、900強の得票数。市内に900人ちょっとの知り合いがいれば市議会議員になれる。ひそかに、いつか立候補してみようかな、と思う。でも、新聞に「井上以知子5票」とかでちゃったら、カッコ悪いしな~。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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