2001年03月30日

殺されるのはわたしだったかもしれない

頭のてっぺんが痛くなったのは、ちょうど去年のいまごろだったと思う。皮膚がすこし盛り上がり、痛いというよりはかゆいような感じだった。

4月に入ると、かゆいところは固いしこりになった。ぐりぐりはやがて化膿し、毛が抜け落ちて頭のてっぺんに丸いハゲができた。これはもう放っておくわけにはいかない。近くの病院の外科に駆け込んだのは、4月の下旬、ちょうどゴールデンウィークに突入する前日だった。

同じころ、やはり「しこり」のできている人がいた。少しずつ大きくなるしこりを気にしていた女性がいる。同じ埼玉県に住んでいた。わたしとちがうのは、彼女のしこりは右あごのしたで、耳鼻咽喉科にかかったことだ。

そして、その半年後に彼女は死んでしまった。髪の毛が伸びて頭のてっぺんの手術の傷跡が隠れるようになったのを喜んでいたころ、もうひとりの女性は亡くなっていた。

去年の10月、川越市にある埼玉医大総合医療センターで起きた、抗ガン剤の大量投与という医療ミス。彼女は16歳の高校生だった。


●それまでの経緯

右あごのしこりを診てもらうため、彼女は近所の耳鼻科に通っていた。去年の4月のことだ。週に数回、埼玉医大の医師による診察があり、S医師に会ったのもこの病院である。

右あごのしこりは徐々に大きくなっていった。S医師のすすめにより、7月、初めて埼玉医大総合医療センターで診察を受けた。腫瘍は良性と説明され、8月の下旬に入院して腫瘍の摘出手術を受ける。

二週間後、摘出した腫瘍は悪性の「横紋筋肉種」であると初めて知らされる。同じ日の夜、帰宅した両親に病院から電話が入り、病名を間違えていたといわれ、「骨膜肉腫」と訂正された。

9月の下旬から埼玉医大医療センターに入院。S医師を含む、耳鼻咽喉科の医師3人が治療担当となり、27日から抗ガン剤の投与が始まった。

主治医であるS医師は、「ビンクリスチン」とよばれる抗ガン剤の使用にあたり、「パー・ウィーク」(週に1度)と書かれた説明書を「パー・ディ」(日に1度)と読み違えていた。

週に一度の使用量を、毎日点滴し、連続7日間投与しつづけた。

3日目から、彼女はひどい副作用を訴えた。熱、腹や背中の痛み。4日目には歩くこともできなくなり、トイレに行くにも車椅子を使った。

副作用の深刻さに驚いた医師は、12日間を予定していた抗ガン剤の投与を7日間で中止した。しかし、すでに手遅れだった。投与を中止して3日後、意識は朦朧とし、呼吸困難、多機能不全となる。翌日、彼女は息を引き取った。


●それでも医師

「横紋筋肉種」と伝えながら、その夜に「骨膜肉腫」と病名を訂正したのは、S医師が病理結果に書かれた英語の病名を理解できなかったからだという。日本語で書いてあった「横紋筋」という文字が目に入り、「横紋筋肉種」であると思って家族に伝えたというのだ。家に帰って辞書で調べて、自分のまちがいに気がついたので、訂正した。

なんの確認もせずに、たまたま目に入った文字をそのまま家族に伝える。そして、あわてて訂正する。なんていい加減な話だろう。

医師になって5年目だったS医師は、抗ガン剤である「ビンクリスチン」についての知識に乏しかった。研修医のときに指導医のもとで注射をしたことはあるが、この薬を使った実際の治療経験はない。

治療計画を作るさい、S医師は図書館で文献を調べた。いちおう耳鼻科の医者全員に聞いてみたが、この薬の取り扱い方を知っている人は誰もいなかったからだ。調べることは悪くはないが、自分も医局の医師も経験のない薬、しかも劇物指定されている抗ガン剤を安易に使ってしまう神経がわたしは恐ろしくてたまらない。

そして、コピーした文献のなかにあった「パー・ウィーク」という文字を「パー・ディ」と読み間違えた。

それだけではない。S医師は、「VAC療法」というビンクリスチンをふくめた三種類の抗ガン剤を使う治療方針を計画していたが、ビンクリスチン以外にも誤投与をしていたことが明らかになっている。

6週目から投与予定だった抗ガン剤を、6日目に投与していたというのである。12週目から投与するはずだったもう一種類の薬については、彼女が死亡したため投与していない。


●チーム医療は機能していたのか

大学病院は、会社をいくつも集めたようなところだ。それぞれの専門に特化した会社。内科、外科、小児科、産婦人科・・・。内科は、呼吸器専門や消化器、循環器とさらにわかれる。病院で、第一内科、第二内科というふうになっているのは、それぞれの専門でわけているのだ。外科も同じ。

各科のトップは教授である。会社の社長だ。その下に、助教授、講師、助手、医員とつづく。助手までがスタッフと呼ばれ、肩書きつきの社員になる。医員は要するに平社員だ。

会社はさらにグループ単位にわけられる。ベテラン医師のスタッフドクターが部長になり、そのしたに新米医師や研修医などがつく。各科の医局員の人数にもよるが、ひとつのグループは少なくて3人、多くても8人ぐらいだ。普通、大学病院での研究・診断・治療は、おもにこのグループ単位ですすめられる。

あなたが大学病院に入院したとしよう。主治医は井上に決まったとする。これからの治療は、スタッフドクター井上を部長にした「井上グループ」が行うことになる。

グループ内で決められた検査、手術、治療方針などは、週に数回行われる症例検討会でも話し合われる。検討会には、教授はもちろんのこと、医局の医師全員が参加する。井上グループの医師が、別のグループの治療方針に異を唱えることもある。医局全体で、ひとりひとりの患者の容態と治療の情報を共有し、投薬・検査・手術の決定を支えている。

グループ医療を根底に、医局全体の組織的治療をしているので、ひとりの医師の判断で薬を決めたり、検査を変えたり、手術を延期したりといった勝手な行動はできないようになっている。危機管理の面からもそういうチェックがなされている。

それでも今回のような医療ミスが起こる。なぜだか、起きてしまうのだ。

埼玉医大医療センターで、チーム医療は機能していたのだろうか。S医師がビンクリスチンについて医局の医師全員にたずねたときに、その薬について知っている医師はひとりもいなかったという。

医局でも経験のない薬の使用をS医師ひとりにまかせる不安はなかったのか。それはあまりにも無謀だと止める医師はいなかったのか。ビンクリスチンについての検討会はきちんと行われたのか。

S医師は、自分で作成した治療計画表をほかの医師にも見せたという。しかし誰も「パー・ウィーク」と「パー・ディ」のまちがいに気がつかなかった。医局が組織的に機能していなかったという以前に、この薬を使えるだけの知識と能力がなかったということである。

皮肉なことに、「隠蔽工作」という形で、医局は組織的な力を発揮することになる。女子高生が亡くなった直後、教授は緊急検討会を開き、投与ミスを「病死」として押し通すことを決めた。医局全体で事実を隠そうとしたのである。


●全体の問題として

埼玉医科大学の処分により、S医師は懲戒免職となった。隠蔽を指示した教授を含め、事故当時の責任者7人がなんらかの処分を受けた。

それでこの事件は解決したのだろうか。終わったのだろうか。責任は、この医師ひとりの浅はかな行動だけにあるのではないと思う。

グループ医療がきちんと行われ、医局の指導体制が整っていれば、医師ひとりの独断で治療方針を決めることはできなかったはずである。

抗ガン剤についての知識を持った医師がいれば、正しい投与を指導できただろうし、あるいは使用することを認めなかったかもしれない。

埼玉医大医療センターと付属病院では、この事故のほかにも相次いで医療事故が発覚している。

総胆管脳種と診断された35歳の女性は、7回もの手術を受けた末、昨年12月に死亡している。「若いうちに手術したほうがいい」と医師にいわれ、安全な手術だと聞かされていた。

手術後、下痢や発熱の症状が出て、腹には膿がたまり、出血もあった。止血のために開腹を繰り返し、亡くなるまでに7度も手術を行った。手術のさい、すい管を傷つけ、すい液が流れ出したのが原因とみられ、十分な処置を行わなかったために肝臓や血管が融解したのではないかといわれている。

また、去年の5月には、向精神薬の過剰投与と思われる副作用で14歳の女子中学生が亡くなった。大学側は、この2件の事故については、医療ミスではないと言い切っている。

S医師と、事件に関連した人物を処分しても、病院として組織として何の改善もされないだろう。同じ病院で同じようなミスが起こってもなんのふしぎもない。そして、そのときは、またひとつの命が犠牲となる。


●死んだのはわたしかもしれない

抗ガン剤の大量投与で亡くなった女子高生と同じ時期に、わたしも「しこり」で病院に通い、手術を受けていた。だから、この事故はとても身近に感じてしまう。こだわってしまう。

時期だけではない。わたしが診てもらったのは、近くの病院の外科である。この病院も、何人かの内科医は埼玉医大から派遣されている。近所の人たちも、難しい病気や重い病気を患ったときには埼玉医大医療センターに入院することが多い。

もし、わたしが内科にかかって、大きな手術や検査が必要だといわれていたら埼玉医大に行っていたかもしれない。去年の11月、二度目にできた粉瘤は、耳たぶの裏だった。埼玉医大の耳鼻科に行った可能性は大である。

頭のてっぺんの手術を受けたとき、摘出した「袋」は病理検査に出された。「良性だと思うけれど、念のためね」と医師はいった。

数日後、診察室でわたしはカルテに貼られた病理結果を見せてもらった。結果は英語で書いてあったけれど、「この単語は『良性』という意味、こっちの単語は・・・」と医師が丁寧に説明してくれたので、わたしにもそれが良性のできものであると納得できた。

たぶんあのとき「メモを取りたい」といえば、医師はなんの躊躇もなくその単語を書き写させてくれただろう。そういう雰囲気だった。不安を感じたら、あとで自分でその単語を調べてみればいい。

患者であるわたしにできるのは、それぐらいのことしかない。

これでもし悪性の腫瘍だったら、わたしも抗ガン剤投与を受けていたのだろうか、と考えたりする。埼玉医大医療センターで、週に1度の抗ガン剤を毎日点滴されちゃったりしたのかもしれない。

埼玉医大だけとはかぎらない、とも思う。この事故について調べるためにインターネットで検索をした。「医療ミス」というキーワードで検索すると、とんでもない数がヒットする。調べれば調べるほど、医療の現場がいかにずさんなものであるかを知った。

※事故の詳細などについては、新聞記事を参照しました。

※また、『文芸春秋』4月号には、医療ジャーナリスト・油井香代子氏の書かれた『抗ガン剤で女高生死亡の闇』が掲載されています。綿密な取材と鋭い切り口の文章で、今回の事故と医療の問題点をついた、すばらしい記事です。この記事ですべてがわかるし、わたしなんかがあえて同じ事故を取り上げるまでもないのですが、どうしても書きたくて書いてしまいました。やはり、ひとごととは思えなかったので。

※夫も報道取材でこの事故を詳しく取材しているそうです。彼は表に出ていない情報も持っているので興味がありますが、わたしはそれを書くことができません。報道のために取材した情報であり、まだ公開されていない事実をここに書くことはできないからです。いずれテレビ報道されると思いますので、ぜひ見てください。

※20年ぐらい前に、大学の医学部医局にいたことがあります。チーム医療などについてはそのときの経験をもとに書いています。ずいぶん前のことなので、いまの医療現場はすこしちがっているかもしれないことをおことわりしておきます。

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■井上以知子のひとくちコラム

●梅
国道沿いは白梅が満開。大きく右にカーブする道で、左側に真っ白な梅園がある。その梅のすごさについつい見とれてしまう。あわててハンドルを切るけれど、大きな霞のような世界に何度つっこんでいきそうになったことか。

山は梅が満開さ~と思っていたら、都内はもう桜が咲いているのでびっくりした。やっぱ、ちょっと季節がちがうんだよね。


●青山
日曜日、ひさしぶりに青山へ行った。友だちの友だちが個展を開いているというので、一緒に見に行く。

待ち合わせは、スパイラルの2階。あまりの静かさに驚く。雑貨売り場さえ、人がたくさんいるのにとっても静か。しーんとしている。

2階のいすに腰掛けて、ぼんやり通りを見つめる。このまま一日でも座っていられそうな気がする。通りには、田舎では絶対見られないようなぴかぴかの外車があたりまえのようにバンバン走っている。すごい。だから青山が好きである。

さくさくと個展に向かう友だちに、「あれれ? ギャルソン寄っていかないの? イッセイは? マックスマーラは?」というと、「あたしゃ今年からフリーになってゼニがない生活になるんだから、節約する! ブランド服も買わない!」などと信じられないことをいう。うそでしょ~。青山に来て、手ぶらで帰るなんて・・・。


●いってるそばから
ちょっと品を感じさせるサイトデザインを試みた。インパクト勝負のハデ目な色使いが好きなんだけど、今回はやわらかな色の組み合わせ、細いライン、細めのやさしいフォント。自分でもこれはなかなか良い雰囲気になったなと満足していた。

トップデザインと、コンテンツページを1ページだけデザイン案として提出する。2日たってもなんの音沙汰もない。そろそろ確認の電話を入れようかと思っていたら、サイトは今日リリースするという。どういうこと?

時間がなかったので、社内のデザイナーを使ってほかのページは作成しましたとのこと。サイトを見に行ってひさびさにわたしはワナワナと震えた。げげげっ、である。目を覆いたくなった。

メニューバナーやページまわりのデザインは、わたしが作成した1枚を使っているのでそのままである。ところが各ページのタイトル画像や小見出しなどが、まったくチグハグなデザインなのだ。

最初に作った1枚があるんだから、タイトルぐらいはそれにあわせたデザインにしてほしい。囲み枠の形もまるでちがうし、地の色は突拍子もないハデな色。フォントはずぶといゴシック。おまけに左寄せに揃えているのに、わざわざ右寄せに作っている。

せめてフォントの種類か色ぐらいは統一できなかったものか。色だけでもページのなかで使っている何色かのなかから選べなかったものか。どうしてこんなデザインができるんだろう。だからWebデザイナーはシロウトとしてしか扱ってもらえないのだ。

きれいなサイトにしたかったのになぁ。せっかく作ったのになぁ。悔しいというよりも、なんだかすっごくカナシイ。


●最近観たビデオ・DVD
『X?MEN』、『トム・リプリー』、『グラディエーター』、『ノッティングヒルの恋人』、『Mi:2』、『ライフ・イズ・ビューティフル』

レンタルは必ず2本で借りる。アクション系とドラマ系を選ぶようにしているので、こういうへんな混ざりかたになってしまう。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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