2000年11月07日

竜宮城の鯛

自分の凡庸さを嘆くとき、決まってつぶやくひとことがある。

「まぁ所詮、竜宮城の鯛なんだしさ」

鎮静剤を飲んだみたいに心を穏やかにしてくれる、わたしだけのおまじない。ささくれ立った気持ちを鎮めるために、自分の力のなさを慰めるために、なにかをあきらめるときに、わたしはそうつぶやく。

おのれの非才を知ったのは、7歳のときである。

それは小学校に入って初めての学芸会。赤紫のビロードの幕には、金の校章の刺繍があった。大きな体育館には、プログラムを持った親たちが子供の出番をいまかいまかと待っている。

晴れの舞台。小学校デビューのわたしの役は、「竜宮城の鯛」だった。いわずと知れた、出しものは『浦島太郎』である。そのときの舞台設定や話の流れはなにひとつ、覚えちゃいない。浦島太郎役の子が誰だったのか、どんな衣装を着ていたのか。竜宮城はどんな飾りになっていたんだろう。

覚えているのは、自分の出番だけである。舞台の袖の暗がりで「はい、行きなさい」と先生にタイミングを教えられ、大勢の「魚」たちはいっせいに舞台に出る。後ろのほうで、なんとなく体をふらふらさせて立っているだけだ。鯛は口をきけないのでセリフはない。

眩しいライトの下で、「ああ、ミジメだなぁ」と思った。舞台に立つのは初めてではなかった。その少し前に幼稚園のクリスマス会で、同じようにライトに目を細めながら「星」になったことがある。馬小屋で「キリスト生誕」を迎える人間界を見下ろしながら、歓びの歌を合唱する大勢の星のひとつだ。

あのときはまだ良かった。「ずっとマシだった」と鯛は海の底で悔しさに唇を噛んだ。「星」はみんなお揃いの、長い真っ白なドレスを着たのだ。頭にはきれいなピカピカの星をつけた。

ところが、鯛といったらどうだろう。服は自前である。学芸会だから、親たちも張り切っていっちょうらのワンピースとか、新しいお洋服を着せてくれる。でも、これは普通の服だ、鯛には衣装さえないのだ。

わたしが鯛だとわかるのは、唯一、頭につけている鯛の絵だけだ。先生が画用紙に鯛の絵を描き、同じように画用紙で作ったハチマキのような輪に、切り抜いた絵を張り付けてあるだけ。女の子は赤い鯛、男の子は青い鯛。青い鯛なんているのか。だいたい、性別で色分けするなんて、ナンセンスである。

そして、手にはチリ紙で作った花をつけていた。ピンクのチリ紙を何枚も重ねて輪ゴムで止め、ふわふわに開いて花のように見せるアレである。掲示板の隅や、お誕生日会などに欠かせない飾り。どうして魚にチリ紙の花なのだろう。

悲しいやら情けないやらいろんな気持ちをひっさげて、「その他大勢のなかのひとり」として生きていく自分を知らされた。頭につけた画用紙の鯛はサイズが大きくて動くたびにずるずる下がり、両手につけた輪ゴムが指に食い込み痛かった。

学芸会でもらった役で一番まともだったのは、「ハーメルンの笛吹き」のなかで街を襲う「ねずみ・その1」である。名無しの鯛にくらべれば、「その1」と個性を与えられただけでもかなりの昇格だ。

うれしかったので、わたしは「かぼちゃ」を作った。ねずみたちは、それぞれ街から盗んだ食べ物を手にすることになっていた。先生から配られる画用紙の絵は鯛でこりごりだったので、学芸会の前の日に母に手伝ってもらい、自分が持つかぼちゃを作ったのだ。

ありったけの新聞紙を集めて形を作り、絵の具で色をつける。完成した巨大なかぼちゃをふろしきに包み、よたよたしながら学校まで背負って行った。

セリフもあった。ねずみ退治の笛吹き少年が街にやってくる。勇敢なねずみ・その1は、まっさきに少年の前に進み出て、こう叫ぶのだ。

「きい、きい、きい」

「ねずみだって、この街が好きなんだ」とか、「ねずみの気持ちもわかってくれよ」とか、学芸会なんだから動物がしゃべったっていいんじゃないかと思った。ねずみだって主張したい。だのに、小学校の6年間を通してわたしが舞台で発した言葉は、このときの「きい、きい、きい」ひとことであった。

あれ以来、ことあるごとに、「まぁ、わたしは竜宮城の鯛なんだから」と自嘲的につぶやくクセがついてしまった。「星」でもなく、「ねずみ」でもなく、不格好な「赤い鯛」が最も象徴的な姿だった。どうせ大勢のなかのひとりにすぎないのだ。なにものでもない。

不思議なことに、そうつぶやくだけでずいぶん気持ちが楽になった。世の中のたいていのことは、乗り越えられるようになった。

大人になると、ほかの人だってみんな似たような気持ちで現実を凌いでいるのさと思えてきた。世の中は、「その他大勢」に甘んじている人のほうが多いのだ。

ところが、あるとき、それも最も親しい友人から予想もしなかった過去を聞くことになった。ついうっかり口を滑らせて、わたしだけのおまじないを他人の前でいってしまったのだ。

「ま、どうせあたしは竜宮城の鯛だしなぁ・・・」「え? なに? タイ?」「あ、たいした意味はないの。小学校のときの学芸会のトラウマ」「それって、もしかして○○小学校一年の『浦島太郎』?」

え? え? なんでそれを知ってるの? 彼女とは高校一年のときに出会ったのだ。出身中学だって別な地区だったし、小学校もちがっていた。

「だって、アタシ、小学校の最初の一年だけ○○小学校にいたんだもん。それから引っ越して、別な地区に行ったのよ」

高校一年の出会いからすでに23年。長い。長い月日である。いろんなことを語りあい、お互いを知りつくしているようでも、埋もれている過去ってあるものなのだ。「なんか冗談みたいー。小学校一年のときに、同じ学芸会に出ていたなんてね」とひとしきり驚いたり笑ったりなつかしんだあげく、彼女はあっさりとわたしを裏切った。

「でもさ、アタシ、鯛じゃなかったわよ。乙姫サマのお付きかなんか。きれいな衣装を着たし、ちゃんとセリフもしゃべったもんねー」

やられた。世の中には、鯛じゃない人もいるのである。その他大勢がたくさんいるのと同じように、その他大勢を従えてライトの下で注目を浴びる存在も、たしかに存在するのだ。「鯛じゃなかった」といったときの彼女の顔には、自信が満ちあふれていた。信頼していた友が、わたしとはちがう「乙姫サマのお付きかなんか」だったというこの事実。

「ついでにいっちゃうとさ、アッちゃんも一年だけ○○小学校だったのよ。で、ナント、彼女は乙姫サマだったのだ」

「う、うそだぁ。お願い、うそだといって」

わたしはすでに半狂乱である。叫ぶしかなかった。セリフつきの「お付きかなんか」の役をもらっていた子に出会っただけでも驚きなのに、あの「乙姫サマ」をやった子が身近にいたなんて。しかもそれがアッちゃんだなんて。

彼女とアッちゃんは、親同士が知り合いだったせいもあって、小学校のときからの古い付き合いだ。高校一年のときに、わたしはその二人と同じクラスになり、三人仲良し組ができあがった。

ちょうど三人ともギターに夢中になっていたころだったから、話が合ったのだ。よく家に集まってはギターの練習をしたり、好きなフォークグループの曲をコピーして、歌を歌った。コンサートなんかにもたまに出かけたりした。

アッちゃんは、子供のころからピアノを習っていたから、三人のなかでは一番音楽に長けていた。聞いたばかりの曲なのに、すぐにコード番号を教えてくれたり、歌っている横で気のきいたコーラスを入れてくれたりする。高校の合唱部のソプラノパートのリーダーもやっていた。

やがて大学受験の時期になり、みんなが英単語を暗記し、数式を解いているときに、アッちゃんだけは特別な先生を雇って作曲や楽譜を読む勉強をしていた。わたしやもうひとりの彼女は、ほかの若い誰もがそうであるように「音楽は好きだけれど、それはあくまでも趣味」というスタンスでいたので、アッちゃんのやっていることは「無謀」にしか思えず、どこか冷ややかな目で見ていた。

しかし、アッちゃんは見事に東京の音大に合格し、「じゃあね~」と笑って手を振りながら東京に行ってしまった。残されたわたしたちは、ただ呆然と、信じられない気持ちでいっぱいで、立ちつくしたものである。東京に行ったアッちゃんのその後の行方はわからない。あれからもう20年近く、会ってないのだ。

いま思い返してみても、アッちゃんが「乙姫サマ」をやったとはにわかに信じられないものがある。音楽についてはちょっとぐらい才能はあったようにも思うけれど、それ以外の部分では本当に目立たない人だった。7歳にして「乙姫サマ」としてライトの下に立つには、それなりの華というか輝きを持っていてしかるべき、という気がするのだ。アッちゃんは、実に普通の人だった。

そして、もう一度、わたしは半狂乱で叫ばなくてはならなくなった。「乙姫サマのお付き」がとんでもない情報を仕入れてやってきた。

「アッちゃんの親からうちの母親に連絡があったのよ。いま、アッちゃんって、イタリアでオペラ歌手をやっているんだってさ」

小学一年の学芸会は、32年後の将来をみごとに物語っていたのである。乙姫サマはイタリアのオペラ歌手、お付き役は編集プロダクションの副社長。赤い鯛は、人々の後ろのほうの見えないところでふらふらと立っている。

「きい、きい、きい」である。

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■近 況
知人のひとりに、「マイ・スタンダード」と呼んでいる人がいる。奇人・変人・強すぎる個性に囲まれていると世の中の標準的な意識が見えなくなる。そんななかで、常識的で一般ピーポーの普通の意識に近い、本人いわく「平凡」なタイプの人のご意見を伺うことができるのは貴重なことである。わたしにとってホント大切な存在。しかし、その「スタンダード」は言った。「僕でさえ、中学まで主役をはずしたことは一度もなかったですよ」。電話の声が、なんか勝ち誇っているぞ。彼こそ鯛の代表だと思ってたのに。もしかして、鯛ってあたしだけ?

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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