2000年11月30日

山賊のうたげ

待ち合わせ場所は、11年前から変わらない。集まる曜日や時間も同じ。「なんでこうも変わらずにいられるのだろう」とぶつくさいいながら、とある土曜日6時に新宿東口みどりの窓口に向かう。

いつもの場所にいつものメンバーが群れている。遠目から見ると、それはちょっとふしぎなひとかたまりだ。長いつきあいにもかかわらず、うんと近づいて顔を確認しないと誰なのか見分けがつかない。それほど、彼らは似通って見えるのである。

背丈は、「日本の男性30代、40代の平均値を取ってみました」とでもいうように、高くもなく低くもないのが揃っている。誰もが運動不足なので、脂肪のつきかたは平均値をかなり上回るだろう。ぼさぼさの髪、だぶっとしたジャンパーにゆったりめのジーンズ。足にはちょっとくたびれたスニーカー。そして、全員が肩から大きなナップサックを下げている。そんなのが15人も輪になって群れている。

後ろ向きに彼らを並ばせて、誰が誰なのか当ててみよ、というクイズがあったなら、たぶんわたしは2人しかわからない。医者から食事制限をされている130キロの巨体の彼と、最近になって頭を坊主にしたやつだけだ。

人数が揃うと、ぞろぞろと連れ立って予約してある宴会先に向かう。さすがに店はいつも同じではないが、かわりばえのしない飲み放題の居酒屋と決まっている。

彼らとは、パソコン通信で出会った。11年前、わたしはおそるおそるモデムという未知の物体を購入し、パソコン通信を始めた。その当時、わたしのまわりにはパソコンを持っている人さえいなかった。モデムの設定方法やら、ネットワークへの参加やら、なにがなんだかわからぬまま、よろよろとネットワークに接続した。

初めてネットに接続したときのことは、いまでも覚えている。モデムやソフトの設定を何度もやりなおしたすえに、やっと目的のネットにアクセスできた。「ようこそ、○○ネットへ」という文字が画面に流れるのを見たとき、震えるような感動があった。

慣れない手つきで「掲示板」を選択すると、ものすごい数のメッセージがリストされた。確実にいまなにかとつながった、そういう実感があった。自分の部屋でひとりでソフトを動かしているときとは、あきらかにちがうのだ。電話線を介して、この小さな部屋から、いま、わたしは別の世界とつながっている。

顔は見えないけれど、画面の向こうにはたくさんの人がいた。掲示板の書き込みを読み、わたしも書き込みをした。いろんな人とどんどん親しくなり、わたしはパソコン通信に夢中になった。

オフにも顔を出し、ネットワーカーたちとじかに会って話をするようになった。いくつかのネットのオフに参加したけれど、11年たったいまでも会い続けているのは、背丈が平均値の遠目では見分けがつかない15人のこのメンバーだけである。

いまは10人~15人がせいぜいだが、全盛期には45人も集まった。45人といえば、学校のひとクラスぶんだ。宴会もそれはそれは賑やかだった。

彼らと出会ったネットは、いまはもうない。とあるマイナーなネットワークで、出会って数年後に閉鎖されてしまった。行き場をなくしたメンバーたちを救ったのは、仲間のひとりである。自宅に専用回線を引き、個人でネットを運営してくれたおかげで、わたしたちはずっとつながっていられた。

そんなわけで、いまでも飽きずにわたしたちはオフ会をひらいている。季刊オフというか、だいたい3ヶ月に一度の割合だ。待ち合わせの場所は、いちばん最初のオフのときから変わらない。時間も同じなら、居酒屋というスタイルにも変わりはない。

酒を飲みながら話す内容も、「SCSI接続がどうしたこうした」とか「どこそこの基板が」とか「あのケーブルはどうで」という、コンピュータ系で熱くなる人たちで、これも昔からなにひとつ変わりない。

あの時代にネットワーカーだった人たちは、SEやプログラマ、企業の情報システム部といったコンピュータ専門職が多く、そうでなければかなりのコンピュータマニアたちだ。「シリアスな話」とわたしがいったのを、「え? シリアル接続? じゃなくてパラレルでしょう」と話題はなんでもコンピュータ系に変換してしまうオタクくんたちである。

いまはどうだか知らないけれど、ネットワーカーたちには「ハンドル」というものがある。ネットワーク上で使うニックネーム、ペンネームだ。それがまた、こだわりの命名というか、妙ちくりんな名前ばかりそろっているが、わたしたちはずっと前からおたがいにハンドルで呼び合っているので、さほど違和感はない。

「ねぇ、ツァーリー5世くん、しょうゆ取ってよ」とか、「それはグリーンフォックスに聞くといいよ」とか、「ファルコン2号、やめろよー」とか平気で叫びあっている。とんとかいも、RUNDY、ぐらっちぇ2、ちゃありぃ、にんにん。それぞれの名前に由来があり、各自の思い入れがある、らしい。

ハタで聞いている人はさぞや「なんだこいつら。奇妙な集団だぜ」と気味悪がっていることだろう。そういう点では、居酒屋というのは良い場所である。騒々しい若者コンパやヘンなオヤジサラリーマンに紛れていると、奇妙な集団もそれほど目立たずにすむのだ。

ずいぶん前のことだけど、アキバのミスドで面白い会話を耳にした。ひとりでドーナツをかじっていると、隣の話が聞くともなく聞こえてきた。女ふたりでなにごとか真剣に語り合っている。

「わたし、セリーヌさんの気持ちわかるわ。ももいろ姫は許せないわよ」「キューティーキャットさんにそういってもらえるとうれしいです」

話に出てくる名前からして、これはもう絶対ネットワーカーだとわかってしまう。その真剣さに心を打たれたので(というのはウソだが)、耳をそばだてて話を盗み聞いた。内容はこうである。セリーヌは、とあるネットワークの人気トップアイドルだった。が、ある日、新入りのももいろ姫がやってきてからは、男どもはももいろ姫に熱を上げ、セリーヌの人気は落ちるいっぽうである。同情しているのは、キューティーキャットだ。

笑いをこらえながら、そっと隣の女たちの顔を見た。やっぱり、という感じである。二人ともそこそこ若いのだが、かなり太めのブスであった。そんなふたりが、セリーヌとかキューティーキャットという名をなのるのがハンドルの面白さである。ハンドルには、願望が露出するものなのだ。たぶん、ももいろ姫というのもブスだと思う。

ふたりの会話は、古き良きネットワーク時代を象徴している。あのころは、女のネットワーカーはとにかくモテた。外見や顔や性格にかかわらず、誰でも人気者になれたのである。なぜなら、9割以上を男が占めていたので、どんな女でも女であるだけで特別扱いされたのだ。そして、それまでモテた経験のない女たちは舞い上がり、ときには新入りの女を目の敵にした。

わたしだってモテた。人気者になった。しかし、いまはモテない。男15に対し、女はわたしひとりであるのに、特別扱いなんてしてもらえない。誰もわたしを女だと思っていないのだ。

わたしのハンドルは、「おかしら」である。笑ってはいけない。なにが哀しくて「おかしら」なのか。もちろん、わたしにも、それなりに思い入れのあるかわいらしくて女らしいハンドルが、かつてあった。しかし、いまではだれも、本人さえも本当のハンドルを覚えていない。

それは、あるオフの日。初めてオフに参加するという新入りの若い男がわたしの隣に座った。彼はまだ大学生であったが、「とりあえず」女の隣をゲットするとは抜け目のないヤツである。抜け目もないが遠慮もない若造で、目の前にあるお刺身の舟盛りをどんどん食べる。ウニやホタテや、いいところばかりをどんどん食べる。

あんまり景気良く食べるので、わたしはピシッと彼の手の甲をたたき、「ちょっと新入りっ。少しは遠慮せんかっ」と叱った。すると、少しも悪びれた様子のないその若造は「へいっ。おかしらっ」と大声で返事をしたのである。

それ以来、掲示板の書き込みでも、オフでも、だれもがわたしを「おかしら」と呼ぶようになった。

居酒屋の細長い座卓にずんぐり太った男たちがずらりと並び、わたしは上座の、いわゆるお誕生日席に座る。テーブルの上には、ごちそうの数々。男たちは酔っぱらいながら「おかしらぁ」「おかしらぁ」と太い声で叫び、がつがつと料理をほおばり、酒を浴びる。その光景は、まさに大猟にわく「山賊のうたげ」そのものである。

わたしは、ふだんはほとんどお酒を飲まないし、宴会の席でもおとなしくしているほうだ。だが、彼らとのオフだけは、別だ。とにかく酒を飲んでみよう、できるだけ飲みたい、という気持ちになる。飲んで、騒いで、暴言を吐いて、ときには畳の上でスライディングまで披露する。いつもとはちがう人格になる。

どうして、こんなに長い間、このオフに通いつづけるのだろう、と自分でもふしぎな気持ちになるときがある。彼らのオタクな話題は何をいってるのか理解できないし、聞いていてもつまらない。オタクくんたちは、自己チュー(自己中心的)な人ばかりで、それぞれが勝手に自分のことばかりしゃべっている。

わたしがテレビに出ようが雑誌に出ようが、驚きもしないし、関心も持たないみたいだ。本を出版すれば買ってはくれるが、出版記念オフで主賓のわたしからも会費を取るようなやつらである。マンネリなんて通り越している。新しい発見なんてなにもない。なのに、わたしは通いつづけている。

たぶん、わたしは彼らに甘えていたいのだ。彼らといると、わたしは安らかな気持ちになる。ここでは、何も隠さなくていい。カッコつけなくていいのだ。暴言を吐いて、つかみあいのケンカをしても、5分後には笑ってまた話せる。

彼らのことを自己チューといったけれど、彼らといるときのわたしこそ、自己中心的なのかもしれない。好きなことをいい、好きなだけ飲み、そしてそういうわたしを完全に受け入れてくれると知っている。

ときどき、日常のなかで、わたしは言いしれぬ不安におそわれる。ここ数年で知り合った友だちや男たちが、いつかわたしに愛想をつかして離れていってしまうような、そんな気がしてしまうのだ。彼らが見ているのは、いま現在のわたしだ。デザイナーとして仕事をし、本を出版し、いい車に乗っているわたしだ。それぞれに評価を受け、認めてもらうのはとてもうれしい。

もしわたしがそのどれかを失ったとき、それでも彼らはわたしを好きでいてくれるだろうか。もちろん、仕事や本や車だけがわたしの魅力ではないと信じたい。でも、わたしに興味を抱いた理由のひとつではあるはずだ。それを失ったとき。そう考えるたびに、失うまいと踏ん張りつづける自分がいる。

けれど、15人のオタクくんたちは、わたしが何も持っていないころを知っている。特技なんて何もなくて、文字入力のオペレータから始め、それにさえも自信を持てなかったころのこと。あるひとりの男を徹底的に捨てたこと。デザイン会社をクビになって路頭に迷って自暴自棄になったこと。

たぶん、わたしがいま持っているものをすべて失ってカラッポになっても、彼らはなにも変わらずにわたしと接するだろう。出会ったころに戻るだけの話なのだから。そのかわりに、万が一わたしがものすごく出世しても、大富豪になったとしても、やっぱりいまと変わらないと思う。特別扱いするわけでもなく、媚びることも妬むこともなく、同じようにオフで酔っぱらい、「おかしらぁ」「おかしらぁ」と呼ぶにちがいない。

ゼロになってもいいのだ、と思えるとき、いろんなものを脱ぎ捨てて「素」になり、わたしは安らかな思いに包まれる。


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■近 況
右耳うらの粉瘤は、おさまった。本格的な手術はできない場所なので、袋は残ったまま。リベンジに怯える日々である。オタクくんたちは、ぼさっとしているくせにぐんぐん出世する。「おかしら」と命名した若造は、いまや外資系企業のトップエリートだ。こないだまでドイツに出張していたかと思えば、今度はアメリカ。いまごろ、ぶあついステーキでも食って、脂肪を増やしていることだろう。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

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