2000年10月31日

康夫ちゃんの今後に期待

わたしの世代にとって、田中康夫といえば一も二もなく、『なんとなく、クリスタル』だ。はっきり思い出せないが、ユ80年代の初めに話題になった青春小説である。

高級ブランド、お洒落なレストラン。経済的に豊かで、自由奔放に生きる女子大生を主人公に、都会の若者の生活を描いたその小説は、同じ年頃の若者のあいだで流行になった。

ブランド品で身を包み、優雅で気楽な生き方を好む当時の若者をさして、『クリスタル族』と呼んだりした。ユ80年代を予告するような、時代の先駆け的な小説でもあった。

ストーリーもさることながら、この本の目新しさは、あまりにも多い「脚注」である。本文に出てくるさまざまなブランドやお店の名前に脚注の印がつけられていた。

この脚注が、なんともいえず、面白かった。本文と同じくらいの量がありそうな脚注には、高級ブランドや東京のお店に関する詳しい説明が書いてある。

ただの説明だけでなく、著者の独断と偏見が入り交じったユニークなコメントに面白さの秘密があった。まるでこの脚注を書くために小説を書いたのではないかと思わせるほど、手がこんでいた。

田舎育ちで、ブランド品なんかにまったく縁のなかったわたしは、わくわくしながら読みすすんだものだ。東京という場所は、高価なブランド品を身につけ、お洒落な生活を楽しむ若者であふれているのだ。きらきらした、ぜんぜん別の世界。よその国の秘密の巻物を盗み読んでいるような気持ちになった。

その後、田中康夫は一流企業に就職し、普通の結婚をして普通の社会人になるかのように見えた。が、離婚のさいに、「夫はわたしの買ってきたレースのパンティを頭からかぶったりした」と元妻が週刊誌に暴露したのをきっかけに、文芸賞を取った作家のイメージはがらがらと崩れていった。

それから、彼はタレントのようなことをして、テレビのバラエティー番組で「康夫ちゃん」などと呼ばれ、うれしそうににこにこ笑っていた。それきり、田中康夫のことは、頭から消えた。

びっくりしたのは、彼が長野の知事選挙に立つと聞いたときである。『なんクリ』の康夫ちゃんが知事に立候補。あさはかだなぁ、康夫ちゃん。というのが正直な気持ちだった。

ところが、さらに驚いたのは、ほんとうに知事になってしまったことである。さあ大変だ。

彼の著作は、『なんとなく、クリスタル』一冊しか読んでいない。その後の康夫ちゃんについて調べてみると、共著も含めて33冊も本を書いていた。

さらに調べていくと、彼は阪神・淡路大震災では独自の発想でボランティアを続けて、それについて著書も出している。また、神戸空港建設問題にも意欲的に取り組んでいた。意外だった。

わたしにとって田中康夫は、ブランド、グルメ、時代の最先端、そんな言葉の一番似合うカッコいい都会の人だった。田舎娘のわたしに、秘密の巻物を贈ってくれた青春時代のリーダーだ。

カッコいいリーダーも、「レースのパンティ」で命尽きた。そして、いまのわたしは、はっきりいって田中康夫という個人にはあんまり興味がない。というか、田中康夫なんてどうだっていい、のだ。

そのかわりに、いままでにない全く新しい知事を選んだ長野の決断に、ものすごく興味を持っている。

わたしたちの多くは、いまの政治にうんざりしている。首相や国会や議員たち。汚職や派閥やきれいごとの公約。選挙があるたびに、誰かが「どうせ自分のたった一票で何が変わるわけでもないし」とつぶやく。

それでも心のどこかで期待して、一票を投じに公民館や小学校へ足を運ぶ。蓋を開けてみると、結果は「やっぱり何ひとつ変わらない」。だんだん、一票への意欲を失っていく。

なのに、長野はそのひとりひとりの一票で変革を勝ち取った。長野は40年にもわたって、「身内」から知事を出していたという。県庁職員から副知事になり、そして知事。それが2代にわたって続いていた。

その長い歴史にノーといい、終止符を打ったのは県民ひとりひとりが投票する選挙だった。県庁出身者の知事をトップにした、長く続いた既成の権力構造はあっさりと崩壊した。

その事実にわたしは感動してしまう。自分の一票で、行政を変えられるのである。願いは届くのだ。なんて希望に満ちた一票だろう。なんて、すごいんだろう。

田中康夫知事が初登庁、というのをニュースで見た。玄関前で新しい知事を迎える職員たちは千人にものぼったという。おいしいものを食べ過ぎているせいか、康夫ちゃんの顔はちょっと脂ぎっていて、体も太めだった。敵地に乗り込むこれからの困難を思えば、あれぐらい栄養を蓄えておいたほうがいいのかもしれない。

もうさんざんニュースや新聞で取り上げられているが、みどころはやっぱり「部局長会議」だった。県庁のトップクラス、お偉いさんたちとのご対面である。

県庁職員の定年については知らないが、仮に60歳だとすれば、職員のほとんどは「身内」から出た知事のもとでしか働いた経験がないということになる。この先も、部外者を知事に迎えるとは、夢にも思っていなかったかもしれない。

その不安と戸惑いが、部局長会議でも明確にあらわれていた。

「いってることが抽象的だ! 何いってるのか、さっぱりわからんよっ!」「いままでわたしたちがやってきたことを否定しているのか!」「わたしは、すごく、腹が立っているっ!」

文章中に「!」マークを乱用するのは好きではないけれど、お偉いさんたちの発言には、「!」マークをつけずにはいられないのだ。彼らは、怒りと嫌悪感で体を震わせながら、新しい知事に食ってかかった。

彼らのいってる内容にも驚いたが、まずはその言葉使いにびっくりした。県庁職員にとって知事とは、民間企業におきかえれば社長と同じような地位ではないかと思っていたからだ。

企業だったら、たとえ気にくわない新社長が就任しても、初出社の日に嫌悪感を露わにしたこんな態度で、こんな言葉使いでものをいうだろうか。少なくとも「~ではないですか」「~だと思います」と新しい社長に対して敬意を示すぐらいの常識は備えているだろう。

愚かな人たちである。田中康夫に対して失礼な言葉を使い、嫌悪感をむきだしにするのは、県民に向かってツバを吐いているのと同じだ。田中康夫知事は、個人として対面しているのではなく、選挙という公正な手段で選ばれた県民の意思の代表としてそこに存在しているのである。

どうしてそんな簡単なことがわからないのだろう。きっと、そんなこともわからなくなるほど、県民の気持ちからかけ離れてしまっていたのだ。だからこそ、有権者は40年間も続いた権力構造に不満を持たざるを得なかったのではないだろうか。

県庁職員は定年まで安泰である。選挙もなければ、リストラもない。田中康夫知事は、もしその資格がないとみなされれば、つぎの選挙では選ばれない。彼を選んだのが失敗であれば、ちゃんとやり直しもできるのだ。

しかし、とわたしは思う。

役人とは、もっとしたたかな人種であると思っていた。本性を隠し、表向きだけ新知事を歓迎し、平静を取り繕うことだってできたはずである。会議室には、大勢の取材陣やテレビカメラが入っていた。誰もいなくなってから、陰でねちねち、ちくちくといびる方法だってある。

にもかかわらず、どーんと真っ正面から本音で突撃してきた部局長たちには、脈があるのかもしれないと思う。本音をさらけだして相手に向き合うには勇気がいる。自分の尊厳をかけて闘う覚悟がいる。

農政部長は、本当は気のいい田舎のおじさん、というカンジの人で、そのおじさんは頭から湯気が出てきそうなくらいの勢いで怒っていたりする。正直な人なんだなぁと思う。

「どうせ長野の田舎役人さ。テレビカメラなんて、目に入らなかったのかもよ。素朴なだけなんだよ」なんて失礼なことをいう人もいた。

「あれはただのパフォーマンス。対立候補の元副知事への忠誠心を見せているんだよ。ここで怒ったふりをしておかないと、っていうそれこそ『したたかな』気持ちが見え隠れするね」そんな意見もある。

それでも、いいんじゃないかと思う。なにもいわずに、ぶつかりあいもなく、腹を探りあうように進むよりは、マシなような気がする。パフォーマンスでも忠誠心からでも、ぶつかりあっているうちに必ず本音がぽろりとこぼれるはずである。

ストレートに本音でぶつかり、感情までも臆面なく出してしまう人たちに出会うと、どこかで信頼感みたいなものを抱いてしまう。人間っぽさに安心するのだ。話し合えばいずれ分かり合える、そんな期待を持ってしまう。

部局長会議での田中康夫の返答は、「クリエイティブなコンフリクト」とか「弁証法」とか、演説のときの「しなやかな政治」と同様に、人を煙に巻くような表現が目立った。彼にとっては意味のある言葉でも、相手がそこから何を感じ取るのか、もっと考えるべきだと思う。

よそから来た田中康夫知事は、まさにエイリアンだ。エイリアンが敵になるか、共に未来に向かって歩んでいく心強い味方になるかは、それぞれの本音にかかっていると思う。

だから、康夫ちゃんもわけのわかんない言葉を使ってないで、もっと長野の人に近づいて、心底本音で勝負してほしいと願うばかりだ。

長野に希望を託したい。


─────────────
■近 況
企画局長の名刺折り曲げ事件は衝撃的だった。その後の辞職表明やその対処には、なんだかなぁという気がするけれど。気のいいおじさん農政部長にも、テレビを見た人から抗議の電話やFAXが殺到しているらしい。ながのぉ~。

本日の朝日新聞『天声人語』。「笑顔はさわやかだった」というシメ。逃げるなよぉ~といいたい。

カマキリが窓の網戸にへばりついて、よじのぼっている。窓に顔をくっつけて、にらめっこする。不思議な形だ。目ばかり大きくて、前足は近未来のロボットのようにカクカクと動く。カマキリは交尾をすると、まだ体がくっついているにもかかわらず、メスはがぶがぶとオスを食ってしまうと知ったときはショックだった。すげ~。夏はきれいな黄緑色だったのに、今は茶色。寒いせいか、動きもトロい。明日になれば、もう死んでしまうだろう。10月も今日でおしまい。カレンダーもあと2枚。一年なんてあっという間だよねぇ。

by ichiko : カテゴリー:エッセイマガジン

made by XHTML, CSS, Movable Type.
© Go Go ichiko. All Rights Reserved.