2000年09月04日

キミのためにできること

昨日、今日とたて続けに失恋話を聞いた。どちらも年下の男友だちからである。

年下といっても、ひとりは36歳なので結構いい年だ。背も高いし、顔もなかなかハンサムである。女のひとりやふたり、失ったってどうってことない人なのかと思っていた。恋の行方がアヤしくなりだした頃から打ち明け話につきあい、彼の意外な一面に驚いたものである。恋に対して、とても真剣に、本気で取り組む人だった。これほどまでに誠実で、一途な愛を受ける相手の女性をうらやましく思った。

が、相手にはもうひとり男がいた。ふたまたをかけていたのである。最終的に、目の前で彼女はもうひとりの男をはっきりと選び取るという結末で、彼の恋は終わった。大玉砕、くだけて散った。いま、彼の心は粉々である。

失恋、と聞くと、いつも女のほうが嘆き悲しんでいるイメージがあった。それはわたしが女で、女の立場からしか恋を見ていなかったからだろう。でも、男だって同じようにつらい思いを味わい、ときには涙ぐんだりしていると知ったのは30を過ぎてからだ。ちょっと遅い。

わたしと同じ世代、もしくはそれ以上の世代の男たちは、悩みを他人に打ち明けたりはしなかった。男友だちにはプライドがあって話せない。ゴシップになる可能性もあるので同僚にはまず言わない。ましてや女などに話してたまるか。打ち明ける=弱みを見せるというふうに育てられた世代は、ひとり沈思黙考、男たるもの自分のことは自分で解決する。

それはたまたまわたしの周りにいた男たちがそうであっただけなのだ。パソコン通信を始め、いろいろな仕事をするようになり、エッセイを書き、いろんなタイプの男の人に出会った。そしてようやく、「そうか、世の中にはいろんな男がいるんだ」という当たり前のことに気がついたのである。

わたしは男の人から恋の相談とか失恋話なんかをよく打ち明けられる。年齢、職業、性格は様々である。妻子持ちもいれば、ガイジンもいるし、打ち合わせが終わったあとに「実はですね・・・」と語り出す仕事関係の人もいる。

だからといって、わたしがモテているわけではない。恋心を抱き、あわよくばと狙っている女性に、恋の相談を持ちかける男などいない。好意を持っている女に、そんなみっともないところは見せたくないものだ。

男でもなく、女でもない、でもやっぱり女。そういう存在であるがゆえにではないかと思う。男ではないので、ミエを張る必要もない。女っぽさにもほど遠いので、恋愛感情とか男と女の関係と切り離して話ができる。同僚や自分の親しい知人と会う可能性はゼロに近く、リークの心配もない。でもいちおう女ではあるので、女心の妙とか女の側から見た意見を言ってもらえそう、ちょっと便利な身の上相談オバサンだ。

男って大変だなぁ、と思う。わたしは、デカデカと「男子給料はこれこれ、女子給料はこれこれ」とはっきり示される時代に育ったので、いまでも心のなかから男女格差が消えない。料理が下手で、掃除を面倒くさがり、ボタン付けを得意としない女もたくさんいるように、地図を読めず、縦列駐車も不得意で、一度もケンスイができない男だっていっぱいいる。認めようと思っても、やはり「男は強いもの、男らしく」などという意識が何かの拍子に出てきたりする。そういうなかで生きている彼らは、さぞや大変だろうなぁと思うのだ。

恋でも差はない。男も女も等しく、相手に恋焦がれ、逢えない時間は切なさで胸がはちきれそうになり、一緒にいる時間は満たされた想いに浸る。失恋したときも同じだ。昨日まであった大切なものが突然消えてなくなる。ぽっかり空いた大きな穴をどうやって埋めたらいいのか途方にくれている。ひとりだった自分を思い出そうと四苦八苦して生きている。

そういう男の姿が目立たないのは、彼らはひそかに涙しているからだ。彼らは、夜遅くにつぎつぎと友だちに電話をかけて、失恋の痛手をぶちまけたりしない。会社の昼休みに同僚に慰められたりしない。大勢の友人とカラオケで「あんなやつバーカー」と叫びながら、ハデに失恋パーティーをぶちかましたりしない。

ある男は、半年間大学院の図書館にこもった。朝と夕方、土曜も日曜も。大学の講義を受けるほかは、もくもくと図書館に通った。特に読者が好きな人でもない。「一番手っ取り早かった場所なのだ」と彼はいう。「いつもなら彼女といる時間。それをやりすごすのに楽な場所なんだ。中身なんか読んでなかったけど、その場所に自分を閉じこめて、本と向き合っていれば時間は過ぎていったから」

昨日失恋した話をしてくれた彼は、メールの最後の「では、また」のそのあとに、「追伸・最近失恋をしました」と書いてあった。あわてて電話をかけてみたものの、なかなか詳細を語ってはくれない。「なにか言いたいから書いたんでしょう? 聞いてほしいから打ち明けたんじゃないの?」と聞くと、「まだ心の整理がついてないから話せない」という。「じゃあ、なんで書くのよ。気になるじゃないのよ」「誰かに言えば、少し楽になると思ったんだ。ひとことでもいいから、外に出せば、楽になれるような気がしたんだ」

そんな彼らに接すると、ときどき、わたしは言葉を失う。

わたしが誰かに相談するときは、明らかな解決策を求めているからだ。客観的に見てどうなのか、わたしはどう見えるのかを知りたい。自分のいってることのどこがおかしいのか、なぜこんなに苦しいのか、別な考え方をすれば解決できるものなのか。渦中にハマっているときには、自分が見えなくなる。同じところをぐるぐるまわっているのにも気がつかない。

あるとき、ものすごいループの罠にハマっているわたしを見て、超激辛の親友はいった。「アンタの苦しみはたったひとつなの。信じていた男が、アンタには何の相談もなく、しかもアンタを置いてひとりで遠くに行こうとしている、アンタはそこが気に入らないだけだ。その一点にショックを受け、腹を立て、悲しんでいる。 でも、彼はそういう人であり、そう決断したのであり、アンタのことはちっとも考えてない。これはもう事実なのよ。泣いても悩んでもいくら考えても、この事実は変えられない。ショックなのはわかるけど、その事実を認めないかぎり、アンタに平和はやってこない」

うっ、と変な声がもれた。あまりの辛口のコメントに、反論はおろか泣くこともできなかった。だけど、無限のループはピタリと止まった。わたしが誰かに相談するというのは、こういうことである。

単細胞なわたしは、相談してくる周りの人たちも同じように解決を求めているのだと思いこんでしまい、ときどきヘマをする。無限ループから脱出するための糸口を見つけたい人もいるし、ただ話を聞いてほしいだけの人もいる。ほんのすこし、やすらぎを得たくて打ち明ける人だっている。ときどき、それを見間違えてしまう。

あのときもそうだ。当時、その彼は仕事も恋愛も何もかも思うように行かず、自暴自棄になっていた。意志はあっても、運とか流れの加減によっては、ときには黙って立ち止まるしかないときもある。いつも効果的で適切なアドバイスを求める人だったのに、その日は、わたしの言葉をさえぎるようにこういったのだ。

「キミのいってることは正しい。わかってるよ、いつだって正しいんだ。でも、僕の間違いも、ウソも、黙ってうなずいてくれたっていいじゃないか」

正しいかどうかなんてわからない。ただ、今のキミに一番いいと思うものを選んで話している。わたしにはそれしかできないからだ。頑張ってほしいと思う。早く立ち直って、いまいる場所から出てきてほしい。楽になれ。強くなれ。

彼はとても冷静で穏やかな性格だった。感情を外に出さず、どんな驚きもまゆの動きひとつにすり替えられる人である。なのに、そのときだけは別だった。体中の苛立ちと悲しみを込めて、彼は叫んだのだ。「キミに僕の気持ちなんてわかりっこないっ。何をやってもうまくいかなくて、どうにもならない僕の気持なんか。いまのキミに、わかるもんかっ」

わからなかった。「わかってる」なんて、そうやすやすといえる言葉ではないと思う。どんなふうに苦しいのか、想像することはできる。似たような感覚を思い出すこともできる。でも、自分が抱えている悲しみや苦しみは、自分にしかわからないものだ。どんなに心が近くても、理解なんてできない。同じように痛くなるなんてできないのだ。だから、わたしは正直に「そうだね、キミの気持ち、わかってあげられないね」といった。

やさしさって何だろう。やさしい慰めは、いつだって簡単にいえる。安っぽくて、手軽で、ありきたりのやさしさ。でも、そういうときのやさしさは、刹那的な麻薬だからすぐに消える。 そして何も根本的な解決にはなっていないじゃないか。

例の辛口の親友は、いろいろな顔を持っている。別なあるときに彼女はこうもいった。

「アンタはどうしようもなく理不尽なことをいっている。 どれひとつ理屈が通ってない。首尾一貫していない。それは自分でもわかってるはずだ。それでもそれをやりたいっていうなら、アンタを応援する。なぜなら、この問題に関わっている誰よりも、アンタが大切だから。大切なアンタの意見を最優先してやりたいから。だから、わたしにできることをいって欲しい。わたしにどうして欲しい?」

もしも、あのとき、「僕の気持ちなんてわかりっこない」といった彼に、うそでもいいから「わかるよ」といってあげられていたら、彼はわたしのもとを去らなかっただろうか。さみしさに震えている彼をぎゅうと抱きしめてあげるだけで、それで良かったのかもしれない。ほんのいっときでも、苦しみの底から救えたのかもしれない。たぶん、あのときの彼が望んでいたのは、そういう簡単なことだった。


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■近 況
今年の夏は暑い。あまりの暑さに、わたしはへろへろのしなしな。早く人間になりたい。べむ・べら・べろ。創刊第一号に感想や励ましのメールをたくさんいただき、ありがとうございました。すごくうれしかったです。隔週刊ですが、元気のあるときや書きたいときには毎週書きます。そ、案外いい加減な配信です(笑)。

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