2000年08月28日

Macとアメ車に育まれる寛大さ

去年の夏、PowerMac8500が壊れた。とにかくよく凍結した。あるときフト画面が凍ったように固まったまま、止まってしまう。長年Macを使っている人はそんなことでは驚かない。そのためにしょっちゅう保存をする自衛策も身についてしまっている。「仕方ないなぁ」とつぶやきながら、強制的に再起動させる。

が、8500はすでに再起動さえままならない状態になっていた。多少の凍結には広い心で許してやっているわたしをあざ笑うかのように、再起動さえ拒否する。CDから何十回かに一度ようやく起動したかと思えば、最後のあがきとでもいうべき警告のダイアログを出す。が、それさえも文字が化け化けで、ただひたすら「アワレ」だ。延命処置を拒否している末期患者に、人工呼吸器で酸素を送り、「さあもっと働け!」とムチ打っているかのようでもある。

毎晩、仕事を終えてから8500をバラした。ハードディスクやSCSI関係、何枚も入っているメモリなんかを交互にはずしたり入れたりして起動し、原因チェックにいそしむ。ここだけの話だが、偉そうに説明していても、この作業をやっているのはハード担当の夫である。わたしは横で見ているフリをしているのが精一杯だ。

作業は毎晩、夜遅くまで続けられた。部屋中にバラバラに解体された部品や機器、あばら骨だけになっている8500も、翌朝にはちゃんと箱をかぶせられ元の形にもどっている。魔法のようだ。とりあえず昨晩の「組合せ」で仕事にかかるが、やっぱり使いモノにならなかった。

とうとう8500はお釈迦になった。原因が究明できないということは、つまりもうマザーボードがイカレちまっているのだろう、というのである。

そして、つい最近、9500もまたぶち壊れた。去年の8500と同じ手順で毎晩解体作業が続けられたが、やはりダメであった。「だからMacはイヤだったのよねぇ。すぐ爆弾が出るしさぁ、壊れるじゃん」

ここぞとばかりに、友だちが言う。

彼女は、2年前、会社にWindowsマシンを導入した。どうしてMacにしなかったのだ、とわたしはそのとき彼女に問いただしたものだ。「だってさー、Macって評判悪いよ。すぐ壊れるらしいしさ。こないだも仕事を外注しているデザイナーが、『Macのデータが全部ふっとんでしまった』って言って、納期に間に合うか冷や汗ものだったのよ。なんか信用できないじゃん」と一気に言い訳をした彼女。

まだ言いたりないらしく、「お店だって本屋だって、みんなWindowsだよ。Macのコーナーなんか、ちらっと隅っこにあるだけでしょ。世の中はWindowsなのよ。シェアの低いマイナーなものを買っても将来がない」と続いた。

わたしは、それ以上は何も言わずにおいた。Windowsだ、Macだという話には飽き飽きしていたのもあるし、世の流れとかシェアを重んじる人にはそれ以上何を言っても無駄なのだと経験で学んでいたからだ。

そのときのやりとりを彼女は覚えているのだ。鬼のクビを取ったかのような顔で「やっぱ壊れるじゃん」と、ここぞとばかりに突っ込んでくる。そして、トドメのひとことだ。彼女もそうとうしつこい。

「Macを使っている人って、爆弾や壊れるところもかわいくて好き、って溺愛してるんじゃなかったの」

これについては、わたしは断じてちがうと抗議すべきだろう。機械なんだから、やっぱりしっかり動いてくれなくちゃ困る。壊れるところがかわいい、なんて思ったことは一度もない。忙しいときにガッシリ凍結されたら、たたき壊したくなる。そこまでMacに入れ込んではいないのだ。溺愛なんかしてないワ。ふふん、Macといったって所詮ただの道具さね。

でも、どうやらわたしは知らないうちに大変な病魔に冒されていたようである。別の友人のひとことで、はっきりとそれを悟ることになったのだ。

「Macを好んで使う人は、アメ車を愛する人と同じ感性なのかもしれない」

アメ車=エンジン不調、すぐ壊れる、修理代が高い、日本でのシェアはマイナー、というのが一般的なイメージだ。それでもとことんアメ車にこだわり、心から愛してやまない人たちの心理は、Macを溺愛する人に通じるものがあると言いたかったんだと思う。

ぎゃーーーっ、と叫びたくなった。なぜなら、1ヶ月前にわたしはそのエンジン不調、すぐ壊れる、修理代が高い、日本でのシェアはマイナー、というアメ車を買ったばかりなのだ。Macとアメ車、そんなところに共通点があったのか。

友だちがカマロに乗っている。超美人の彼女が颯爽と黒いカマロを運転するのは、見ていてもほれぼれする。3年ごとに新車に乗り換えるというが、同じ色・同じ形のカマロをもう3度目というこだわりようだ。アメ車を買うといったわたしに、彼女はこんなアドバイスをしてくれた。

「イチコ、アメ車に乗るには愛と寛大さが必要なのよ」

愛、についてはなんとなくわかるような気がする。が、車に乗るのに寛大さが必要とはどういうことなのか。「ま、寛大さってのは、いやがおうでも養われていくものだわよ」と彼女が付け加えたのもちょっと気になる。

彼女が教えてくれたところによれば、「小さな不具合にいちいちハラを立てるようではアメ車に乗る資格はないわね」ということだ。ソレは、「小さな不具合」がしょっちゅう出てくるということであり、ハラを立てていては切りがないというふうにも取れる。

彼女はいつも新車を買う。あるとき、納車して間もない頃、トランクに水がたまっていた。何度点検してもらっても原因はわからない。1ヶ月に1度は左右どちらかのブレーキランプが切れるというから、そのあたりから水が入って来ていたのかも、という。で、どうしたの?と聞くと、「どうもしないわ」と彼女。3年間、常にトランクの底には水が溜まっていた。あるときは、運転しているときにアクセルペダルの頭がぼろっとはずれ、近くのガソリンスタンドに駆け込み店員に見せて大笑いしたという。また、あるときには、窓に貼り付けタイプになっているバックミラーがぼろっと落ちた。

聞いてるばかりではつまらなくなってきたので、わたしはそのとき乗っていたロードスターの話をした。ロードスターは屋根が幌になっているから、洗車機に入れるとときどき窓から水がしみ込んできて、ぽたぽたと滴が落ちるんだよ。どう、すごいでしょ、と変なところで得意げになったが、彼女は顔色ひとつ変えなかった。「あら、アメ車なんか屋根があって新車なのに、水が漏れてきたよ」。

これはカナリの覚悟が必要だな、と思った。だいじょうぶだろうか、という不安もつのった。「それでもナゼか好きなのよ、そういうものなのよ」と彼女は言う。つい先日は、彼女の友だちのアメ車のマフラーが落っこちた、と笑っている。そう、彼女を見ていた気がついたが、「すべて笑いにかえる」ことができるかどうかが大きなポイントになるみたいだ。いまのところ、わたしのアメ車には特にコレといった不具合は、起こっていない。でもだいじょうぶ。「小さな不具合」なら、Macで経験ずみだ。たび重なる画面凍結にも笑って許せる態度が身についた。バックミラーが落ちようが、ブレーキペダルが転がろうが、窓から水がしたたり落ちようが、きっと許せるハズである。世の中のマイナーに属するのにも慣れている。

Macとアメ車は、ただの道具にすぎないものに愛着を持って接したい人だけが使えるのだと思う。外観や、中のデザイン、好みの使い勝手、そういうところにとことんこだわる人が愛するものなのだ。

そして、知らないうちに寛大さを育んでくれるありがたいモノタチでもある。

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■近 況
アメ車はとても良いです。ロードスターのときもそうだったけど、人生のなかに車という楽しみを持てたのは、シアワセだなと思った。マスタングに乗るようになって、洋服の傾向もまた変わった。創刊号が出せてうれしいです。これから末永くおつきあいくださればと思います。

[日刊デジタルクリエイターズ2000/09/12 690号掲載]

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