2010年02月19日

おめでとうの元気飴

何年か前に、「不特定多数の人に祝ってもらってもうれしくない」
というようなことを書いたことがある。
レストランでハッピーバースデーをかけてもらい、
店中にいる人からおめでとうを言われないと気が済まない人とは
友だちになりたくない、とも言った。

それが災いしたのかどうか、
その年の誕生日はだれからもメッセージが来なかった。
メールも電話も、なにひとつこなかった。
さすがのわたしも、ずいぶんと寂しい思いをしたのを覚えている。

きのう、たくさんの人に誕生日を祝っていただいた。
twitterで「きょう、わたしの誕生日なの」とついーとした、というのもあるだろう。
フォローしている人が「誕生日なの」と言えば、
それはもう「おめでとう」と書かざるを得ないだろうというのは誰だってわかる。
なかば強制しているようなものかもしれない。

それでもいんじゃない、とことしのわたしは思うのだ。

どんな「おめでとう」にだって、祝福が込められている。
たとえそれがたまたま同じお店にいた人からのおめでとうであっても。
ましてや、会ったことがなくても毎日のようにやりとりを交わしているtwitterの相手であればなおさら。
おめでとう、と口にした瞬間、人は無意識にその相手のシアワセを願っている。
この年になって、やっとわたしはそのことに気がついた。

誕生日、たくさんの人からもらったオメデトウという言葉は、わたしの「元気飴」になる。
これから一年、つらいことやイヤなことがあったときには、
元気飴をとりだして、そっとひとつぶ口にいれる。
なめると元気になれるふしぎな飴。
だから、オメデトウって言ってもらったぶんだけ、
わたしは長くシアワセであり続けられるのだ。

by ichiko : カテゴリー:日々のあれこれ

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