2009年09月25日
ことしの夏と、母のつぶやき
札幌にいるわたしの母の願いは、
わたしと一緒に住む、ことであるらしい。
うすうす感じてはいたが、ことしの夏に帰省したときに
それはもはや「うすうす」ではなく、
はっきりとずっしりとぐさりとわたしの胸に突き立てられた。
あのね、わたしの友だちはね、みーんな娘と暮らしているのよ、
と母は言った。
○○さんでしょ、××さんでしょ、ちゃーんと娘が親の面倒を見てるの。
ま、一緒に住まないまでもさ、△さんところみたいに、すぐ近くに娘がいてね、
なにかといえば、ぴゅーっと娘が飛んで来て、なんでもやってくれるの。
はあ、そうですか。
と、わたしは曖昧にうなずいた。
そういえば、兄のところもそうである。
兄は、結婚したときから嫁さんの母親と暮らしているではないか。
母はそんなことを言うひとではなかった。
一年ほど前あたりから、脊柱狭窄症なんたらという病気であることがわかり、
歩くことがつらくなり、出かけることもできなくなり、
髪をとかすのさえつらくなり、日々の生活もままならなくなった母。
家事などいっさいやったことのない昭和ひとけた生まれの父がご飯をつくり、
茶碗を洗い、掃除機をかけ、母の髪をとかしてやってるというのが
実際にそれを目にしたあとでも
なんだか信じがたい。
ちょっと前までは三人でグアムやら沖縄まで旅行に行き、
わたしが札幌に帰省したときには車で遠くの温泉まで出かけ、
一日中、三人でパークゴルフをして遊んだ。
札幌に帰るとわたしはお客様扱いで、
いつもいつも母のおいしい手料理に迎えられ、
温かい風呂が用意され、清潔なシーツの布団が敷かれていた。
そんな日はもう二度と来ないのだ。
ことしの夏、それが現実であることをようやく理解して、
わたしは泣き出しそうになった。
あの家に帰れば、わたしはいつだって子どもでいられたのだ。
ずっと子どもでいられるはずなんてないのに。
もう子どもじゃ、だめなのね。
ことしの夏。
わたしは実家で父と母のために何度か料理を作った。
トイレの掃除をし、台所を磨き上げ、洗面室もすみずみまで磨いた。
帰る前日には居間の窓拭きもした。
黒いカビが生えた流し台を磨きながら、
きれい好きでいつもぴかぴかにしていた母を思い出して、
どうしようもないほど切なくなった。
おそろしいことに、実家の窓を拭いたのは
それが初めてだということ。
ほんとに、なにもしない子だった。
出かけるのを怖がる母を説得して、
日帰りの温泉にも連れて行ってあげた。
大きな湯船はあったまるねえ、あったまるねえ、
こんなにあったまるのは一年ぶりかねえと
満足そうにほほえむ母を見て、
娘はまたぐっと泣きたくなるのをこらえる。
もしかして、それは母の作戦なのかもしれぬ、とも思ったりする。
母は言う。
やっぱり娘よねえ、娘じゃなくちゃあねえ、
どうして埼玉なんて遠いところにいるのかねえ。
「一緒に暮らす」というのはつまり、
わたしが札幌の家に行って、父や母の面倒を見る、ということである。
母だって、もちろん、そんなことはとうていムリ、とわかっているのである。
わたしがあちらに行くことなどはできない、というのはわかっている。
それでも言ってしまう、というあたりが、
どうしようもなく、切ないんである。
あと何年、父や母と会話ができるのだろう。
そう思ったとき、
一緒に暮らせないまでも、せめてひんぱんに帰ってあげよう、と
決めた。
月に一度といいたいが、当面は二ヶ月に一度は帰り、
食事を作り、台所を磨き、母を温泉に入れてあげよう。
父とお酒もいっしょに飲んであげよう。
こころのなかでそう決めたのに、
あれから二ヶ月たち、まだ帰っていない。
帰りたいけれど帰れない。
日々の生活に明け暮れて、時間だけが過ぎてゆくのです。
by ichiko : カテゴリー:夫、身内について
