2007年09月23日
ましろな骨
姿形があるうちはやはり未練が残る。
亡骸になってしまったのだ、
魂はそこにはないのだ、
そう言い聞かせてみても
どうしたって目の奥から熱いものがわいてくる。
骨となって戻って来たのを見た瞬間に
静かにこころの中で幕が下りた。
あきらめがついたというか、
区切りがついたというか、
見届けたというか、
ひっそりと自分のなかだけで
あちら側に逝ってしまった故人に
やわらかに手を振った。
骨だけになるのは
いっそすがすがしい。
自分もああして最期はましろな骨になるのだ、
そう思ったら、
どこか安心して生きていけるのはなぜだろう。
※ ※
喪主である従弟は三十八歳だった。
通夜の席に現れた彼に
のりくん、と声をかけると、
本人よりも先に親戚がいっせいに振り向いた。
だれもが彼を葬儀屋の若者とばかり思いこみ、
従弟だとは気がつかなかったというのだ。
よくよく数えてみれば
会うのは三十年ぶりだった。
わたしだけかと思ったら、
親戚の人たちもずいぶんと長い間
従弟には会っていなかったそうだ。
葬儀に参列した親戚の中で、
従弟は最年少だった。
そんな中で喪主をつとめるのは
さぞや緊張し、気がはっていたことだろう。
喪主というのは、
いったい何度あいさつのことば、というのを
述べるのだろう。
通夜の後に、お清めの席の前に、
葬儀の後に、出棺の前に、
また食事の前に、
収骨の後に、
そして遺骨を抱えて。
いったい何度目のあいさつだったろうか、
あれはもう骨になってしまっているころだったろうか、
従弟はこんなことを言った。
父は母が倒れてから二十年の間、
ずっと看病をしていました。
それにはいろいろなご意見もおありかと思いますが、
僕はそういう生き方があってもいいのだと思います。
母は父の通夜にも葬儀にも参列できずに
いまも病院にいます。
もしかしたら家に閉じこもって看病をするだけの生活が
父の寿命を早めたことになったのかもしれません。
それでも僕はそういう父を尊敬しています。
三十年前。
彼はまだ八つのこぼんずだった。
会うのはいつも夏休みの秋田だった。
ゲームの勝ち負けをめぐって、
とっくみあいの喧嘩をしたこともあった。
三十年ぶり。
でもわたしはすぐにキミのことがわかったよ、
ひと目みて、のりくんだって、わかったよ。
by ichiko : カテゴリー:日々のあれこれ
