2007年02月19日
それならば祝わずに
店の照明がとうとつに消えたかと思うとスピーカーからハッピーバースディーの曲が流れ、店のスタッフが総動員で並んで歌を歌い、花火のついたケーキが運ばれる。
グアムのトニーローマでは、たった2時間のあいだに3回もハッピーバースディーが流れた。最初はお義理もあって「おめでとー」などといいながら遠くの席にいるまったくの他人に向かって拍手もしてやったが、二度目は花火の主をふりかえることもせずにベイビーリブステーキにかぶりついていた。
三度目はわがテーブルが主役となったらしい。わたしはその場にいなかったから、「らしい」というほかない。
「おい、うちもだれか誕生日のやつはいないのか」と男性陣のひとりが冗談で言ったときに、横にいた友人が「はーい、あたし二週間後でーす」と手をあげた。おお、それだそれ、キミ、祝ってあげるよ、ということになり、友人はうれしそうに笑っている。
まじ?まじでやってもらいたいの?とわたしは言ってしまった。
え?なんで?なんかまずい?
店ごと巻き込んで他人に祝ってもらってなにがうれしいわけ、と、わたしは言わなくてもいいことをしかし本音をめでたい席で口走ってしまったのである。
それが「ねたみ」ととられたのかどうなのか、「じゃあ、あなたも祝ってもらえばいいじゃない」と友人が言い、耳をそばだてていた男性陣がすかさず、えっいいちこちゃんも2月に誕生日なの、そうなの、え、そうだったの、と問いつめてきた。
わたしはすくっと立ち、「タバコすってきます、しつれい」と席を離れた。思わぬところで室内全面禁煙のナターシャ保護法が救いの手となる。
外にでて二本ばかりタバコを吸い、トイレに寄り、そろそろ終わったころかしらと時間を見計らって店内に戻った。わたしの分のケーキと思われるひとかけらが残されていたので、セレモニーはすんだらしい。
「みんなが変なふうに思っていたよ、ああいう態度はよくないよ」と友人が耳打ちした。「変でけっこう、それならそれでもかまわない」とわたしは答えた。
わたしは店で行われる誕生日のセレモニーが嫌いだ。わざわざ店の照明を消し、なんの縁もゆかりもない見知らぬひとの会話と食事の手を止めさせて、自分の誕生日を祝ってもらいたいという図々しさが理解できない。その主役がたとえばこどもであるなら、すこしは寛大な気持ちで拍手をしてあげてもいいとも思う。もうすこし幅をひろげて、趣向を凝らしたパーティーを催すほどの財力もないけれどちょっと特別な夜にしてみたいというハタチぐらいまでのギャルならば、やさしい目でみつめてあげてもいい。若いころは貧乏なものだ。
そんなことよりも、たぶんわたしのいちばんのひっかかりは、見も知らぬ他人に祝ってもらうことになんの意味があるのか、という点にあるのだと思う。
だから、40歳を過ぎてもなお、店の客を巻き込んでの誕生日セレモニーをやってほしいというひとがいるとは思いもしなかった。やりたい、というのであれば、やってもらうといい。わたしには関係ない。けれど、わたしはご免こうむりたいのだ。祝われるほうのひとりになるなんて冗談じゃない。
じつをいえばわたしだって、男性陣や友人たちに「変なやつ」とか「おとなげのない態度だ」と思われるのはイヤである。できれば好かれたい。けれど、そこに座りつづけてハッピーバースディーを聞くことに耐えているほうがもっとイヤだった。もっとつらいことなのだ。だからわたしは迷わずに席を立った。
「お座なりのお祝いなんていらねえや」とこころのなかで叫んだのである。
そして。
たぶん、神さまはそのひとことを聞き逃さなかった。
きのう、わたしは誕生日を迎えた。
編集作業の締切が迫っていた夫はいちにちじゅう家にこもっていた。わたしはひとりで自分のためのケーキを買いに出かけ、自分のための夕食のおかずを買った。プレゼントなんてあるわけがない。
友だちからもメル友からも一件の電話も一件のメールも来なかった。こんな誕生日は初めてだった。さすがのわたしも、へこんだ。ちょっと涙がでそうになった。口でいうほど、強くはなかったのだと思う。
「それならば祝わずに」
神さまは仕返しをしたのだ。
by ichiko : カテゴリー:日々のあれこれ
