2006年10月30日
レポート用紙とボールペン
本棚を整理していたら、買ったままのレポート用紙が何冊か出てきた。いつ、なんのために買ったのかさえ思い出せない。園芸やら旅の古い雑誌におされるように、ひっそりと本棚のなかにいた。
レポート用紙をひらいて、横に引かれた罫線を眺めていたら、するすると時が戻っていった。
ノートからレポート用紙に変わったのは、中学2年のときだった。それまでずっと、先生が黒板に書いたものを写し取るのはノートと決まっていた。数学、国語、公民と科目ごとにそれぞれのノートがあった。
だれかが、ちょっと先をいくのが好きな、おとなびた子が、レポート用紙をひろげて黒板を書き取っていた。右から左にページをめくるのではなく、書き進みながらさっと上にめくっていく手つきがお洒落に見えた。
高校になるとほとんどの生徒がレポート用紙を使うようになっていた。勉強一本のくそ真面目な子がノートを机いっぱいに広げているのを見ると、妙に幼く思えたものだ。
それでも、現国や古文、漢文などは横書きのノートを90度ひっくり返して上下に開き、縦書きにして使っていても平気なのだから、思春期の心理とは身勝手なものだ。数学や日本史、生物のレポート用紙は、ときおりぴりっと一枚破かれて、授業中にあちこちの机を介して友だちの手に届く手紙にもなった。
短大に進むと、レポート用紙は影もかたちもなくなり、ルーズリーフなるものがとってかわった。中央に丸いリングがついている一冊のバインダーに、全ての教科がおさまっている。学生鞄とおさらばし、ふつうのバッグのなかにオシャレにおさめるにはバインダーなのだった。前期のページははずし、必要なページだけ持ち歩ける、というのも便利だった。言語学はピンク、英文学史は淡いブルー、などと用紙の色を変える楽しさもあった。
革命的な変化は、ボールペンだった。高校まではシャープペンシルと消しゴムがふつうだったのに、なぜか短大ではみんなボールペンでメモを取った。ノートがそうだったように、シャープペンシルがきゅうにやぼったく思えた。講義室でちんぷんかんぷんのなんとか史なるものを聴きながら、いままさに自分が流行のまっただ中にいるような気分でボールペンを走らせていた。
気恥ずかしい思い出ではあるけれど、レポート用紙やボールペンひとつで世界が変わったように思えたあのころが、ちょっと愛おしくもあります。
by ichiko : カテゴリー:日々のあれこれ
