2006年06月08日

台湾に住む人たち

台湾には、大きくわけて3種類の人たちが住んでいる。

最初からこの土地に住んでいた原住民、蒋介石の時代にやってきた外省人、そして本省人。本省人は、およそ400年ほど前、オランダが統治していた時代に対岸の福建省のあたりから舟に乗って渡ってきた、もとは大陸の人たちである。オランダに始まり、鄭成功、清、日本、蒋介石の国民党と、台湾には外来者による統治の歴史がある。

二度しか訪れたことのない国について、知った顔をしてあれこれ述べるのは浅はかであるかもしれないけれど、いまの印象を書いておきたいと思う。

■外省人と呼ばれる人たち
去年訪れたときには、一日観光ツアーがついていた。ホテルまで迎えに来たバスに乗り、ツアーガイドに案内されて台北の観光名所をまわる。

流ちょうに日本語を話す男のガイドは50代なかばぐらいであろうか、正しい日本語を話すわりには、「命令口調」の語尾が気になった。故宮博物館にて、「ちゃんとココに来ナサイ!コレを見ナサイ!説明を聞きナサイ!」と叫ぶ。来なさいじゃなくて、来てくださいだろうよ、と小さな声で文句を言った。

「中国人はスゴイネ、中国人だからこれだけスバラシイモノつくれる、日本人にはゼタイできないネ」。繊細な形に造り上げられた陶器の前で、彼は得意げにそう説明した。ああ、大陸の人なんだなぁ、とわかった。

行天宮では、置き去りにされた。お参りをしているあいだにガイドの姿は消え、同じツアーの人たちもいなくなり、そのうち向こうが探しに来るだろうと待てども待てどもだれも来なかった。もしやと思ってつぎの目的地まで行ってみると、ガイドは悪びれた様子もなく、「あなたたちもウラナイをやりなさい」と笑うのだった。

外省人と呼ばれる、大陸からやって来た人たちがいる。内戦で敗れた中華民国、つまり蒋介石の率いる国民党は大陸から逃げて台湾に渡った。そのときに一緒にやって来た人たちが外省人だ。長い間、全体の割合として2割にも満たない外省人が台湾の支配層として実権を握ってきた。

たぶん、日本人のことはあまり好きじゃないだろうな、どちらかというと嫌いなんだろうな、というのが伝わってくる。


■日本を愛する人たち
台湾総統府は平日の午前中にかぎって見学を許可している。総統府に入るなど滅多にない体験だと興奮する夫にしぶしぶとつきあう。裏門でパスポートを見せ、手続きをすませから、雨合羽の背に大きく「憲兵」と書かれた警備に案内されて門をくぐる。パスポート以外の全ての荷物を没収され、ポケットのなかに入っていたビニール袋も置いていけという厳しい警備だ。

案内の人についていくと、ずいぶん歳のいったおじいちゃんガイドに引き継がれ、4人の日本人と合流した。「ああ~、よく来たね、きみたちはいつまで台湾にいられるんだね、あさってもう一度来られないかね」とおじいちゃんは満面の笑みで迎える。わたしたちが着いたのはお昼近く、もう見学の説明はおしまいで、「ちゃんと日本のことを説明してあげたいのに」と悔しがっているのだ。あまりにもおじいちゃんの態度が自然で、まるで知り合いに会ったようにそう言ったので、きっと夫は前に仕事で会い、ここでばったり再会したのだな、とわたしは思った。が、初対面だった。

愛想のよさにつられるように、「おじいさんは本省人ですよね」と夫が聞いた。おじいちゃんの声のトーンが変わった。「本省人?なーにをいっている、わしは本省人なんかじゃないよ、わしは日本人だ」。日本人だ、と二度いってから、日本人として兵隊にもなったよ、そうしてよかったと思うておるよ、だって日本人だから、という。

日本の統治を経験したおじいちゃんは、台湾で生まれ台湾に住みながら日本人だといいきる。台湾には、4種類の人たちが住んでいるのかもしれない。

総統府は、日本の統治時代に近藤十郎が設計、7年の歳月をかけて作られた。赤いレンガのルネッサンス様式の建物は、蒋介石の時代には国民党の政府の総統府となり、現在は行政府、陸海空軍の最高司令部が置かれている。

そぼ降る雨のなか、おじいちゃんは回廊にかこまれた中庭に出て、「どうです、すばらしいでしょう、日本人はこんなにすばらしいものを作ったんですよ」と両手をひろげて建物を仰ぎ見る。どきりとした。中国人はスゴイネと大絶賛する人も苦手だが、日本人はすばらしい!と大声で言われることにも居心地の悪さがある。たぶん、おじいちゃんは、台湾についてあまりにも無知な日本人に対していつもいらだちを感じているのだろう。知ってほしい、その思いが「日本人はすばらしい」と叫ばせるのかもしれない。

日清戦争で勝ち、その後の戦争に負けるまで、日本は50年に渡って台湾を統治していた。統治、あるいは植民地ということばは無意識にわたしに罪の念を抱かせる。そう教えられてきたのだから、しかたがない。けれど、あらためて調べてみると、すくなくとも略奪・搾取・奴隷化というものはなかったようである。内地と同じような待遇で、道路や鉄道を整備し、学校や病院をつくり、米の品質改良をし、ダムや水路をつくって台湾を豊かな地に変えようとした。

元総統の李登輝氏も含め、その時代を経験した台湾の人たちはいまだに日本を愛してくれている。そして、台湾に生き、台湾のために活躍した日本の人たちのことをいまでも尊敬しつづけてくれている。

わたしたちは、あまりにも知らなさすぎるのかもしれない。


■いまどきの若い子たち
台湾に行くたびに、林(リン)さんという若い女性に会う。以前、夫が仕事で何度か訪れたときにコーディネーター・通訳としてお世話になった人であり、それを縁に友だちとしてお付き合いがつづいている。みやげもの屋で白菜の飾りがついたお守りをしげしげと見つめていたりすると、「白菜は純潔をあらわしているの、だからお嫁に行くときには縁起物として使われるんだよ」などと教えてくれたりする。

明るく、元気いっぱいのリンさんがいつも一緒にいてくれるせいか、わたしの台湾のイメージはとても陽気だ。毎日、雨に降られても、だ(笑)。リンさんといてラクなのは、「何人であるか」という強い概念を押しつけられないからである。中国人だからすばらしい、日本人はすばらしい、わたしは台湾人だから、という話の進め方をしない。

台湾の歴史も、中国の歴史も、日本との関係についても詳しく(もちろん、わたしなどよりもはるかに詳しく)勉強しているからこそ、いずれにも偏らない視点でものを見ることができるのではないかと思っている。知っている、というのは人に俯瞰の視点をもたらす効果があるような気がする。

台湾では、ツアーガイドは国家資格なのだそうだ。故宮博物館の展示品を説明できるようになるだけでも、かなりの勉強が必要なのだろうなと想像できる。その資格を持っているリンさんを見て、これが一般的な若者の考え方ととらえるのはまちがいなのだろう。

マッサージシャンプーを経験してみたくて、美容院に行ったことがある。なにごとかを話しかけられたが北京語がわからず、考えた末にたどたどしい英語で日本人だといってみたところ、美容師の顔がほころんだ。まだ20代と思われる若い男の美容師は、同じようにたどたどしい英語を駆使して会話を試みる。そのうれしそうな、純粋な笑顔が気持ちよく、美容院にいるあいだじゅう、ふたりのたどたどしい英語が飛び交った。もうひとり、そのやりとりをちらちらと盗み見ている美容師がいた。彼もまた日本に憧れているということで、途中から話の輪に加わってきたのだけれど、とても恥ずかしがり屋でなかなかわたしの目を見ようとしない。彼らの教科書では、日本の統治時代のことを教えていないはずである。なにも知らない。知ったときに、どう思うだろうか、そのときにもわたしたちを好きでいてくれるだろうか。

総統府を見学したときに、政府の役人らしき若者がふたり、そして軍服を着た警備がひとり、ひたひたと後をついてきた。見学時間が終わる間際に到着したわたしは、ほかの展示品も見たいと思い、見学グループとは別な方向に歩き出したところ、さっと無言で3人に取り囲まれた。なかなか厳しい。

ここの若者は生え抜きのエリートだから、英語は通じるだろう。日本についてどう思っていますか。What do you think of Japan? 政府に仕える人はどんな思いを抱いているのだろう、何度も聞きたくなったけれど、ついに聞けなかった。

by ichiko : カテゴリー:旅に出た

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