2006年03月09日
梅の記憶
墓前で願いごとをするなどもってのほか、そもそも頼みを聞いてもらえるほどの供養もしてないくせに、とその道にかけては詳しい方々がおっしゃっているのを聞いて、ひっくり返りそうになった。わたしは墓前で、あるいはこころのなかでほとけさまにたんまりと願いごとをするだけでなく、愚痴やら文句までも聞いてもらっており、勢いがあまってほとけさまに脅しをかけているときがある。
きょうは義父の命日。冬に、鼻タレ目ヤニの仔猫をみつけた坂道をぽくぽくとのぼり、墓に出る。あれやこれやと面倒を抱えているけれども、みんなこうして元気でやっております、だからおとうさんも安らかに暮らしてちょ。わたしにしては信じられないほどシンプルで、ひかえめなお祈りになった。
15年前のお葬式の日は、季節はずれのみぞれが降り、お焼香の人たちを迎えるために開け放った縁側から、冷たい風が吹き込んできた。お経を読み終えたお坊さんが、「梅の花咲く春なのに なぜにあなたは逝く」という句のようなものを詠んでくれたおかげで、梅の花が咲くころには、ちゃんと義父を思い出す。
なぜに、あなたは。
あらゆるものが芽生える季節に、どうしてあなただけ逝ってしまうのだろう。
近所に、広い庭が梅の木で埋めつくされたお宅がある。わたしがここに引っ越して間もないころ、その家のおじさんと話をする機会があり、自分の父親ほど年齢の離れた、見知らぬおじさんとどんな話をすればいいのかわからず、戸惑ったことがある。とっさに梅の木が浮かんだ。あれだけの数になりますと、みごたえがありますね、梅の花というのはじつにうつくしいものですね、と必死な思いで話をしたわりには、ありきたりの平凡な表現しかできなくてなさけない気がしたものだ。
それでも気持ちは伝わったようで、「んだべ、みごとだんべ、すごいだんべ」とおじさんは誇らしげにいいながら、にこにこと笑ってくれたのだった。
そういってから何年もしないうちに、おじさんは消えた。梅の木が見える庭先で首をつり、おじさんは逝った。
山のなかの梅はほんとうにうつくしい。買い物にいく途中の国道の脇に、ひっそりとした林のなかに、だれかしらの庭先に、まるで霞がかかったように紅や白の花がもくもくとたなびいている。
梅の花が咲くころ、「なぜにあなたは」ということばとともに義父を思い出し、それといっしょにやっぱり「みごとだんべ」と笑った近所のおじさんを思い出す。
梅にまつわる記憶は、ふたつの死へとつながっている。
by ichiko : カテゴリー:山の暮らしぶり
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