2006年02月01日

呪いの力おそるべし

連休あけにひろってきた捨て猫は、いまもうちにいる。ほかの飼い猫にうつるといけないので、病気が完治するまでは二階の夫の仕事部屋に隔離してある。どうしているかなとのぞきに行くと、子猫はきまって夫の股間あたりにうずくまっている。仕事をしながら、夫はいつも股ぐらに子猫を抱え込んでいる。

近所の人から妙な話を聞いた。ちょうど一週間ぐらい前に、墓園の管理事務所に「飼い主」だと名乗る人があらわれたのだという。三連休の最終日、マロンリジを訪ねた帰りに猫にみーと呼び止められた。栗園の食事処のわきにある坂道からころげおちるように走ってきた子猫。その坂の向こうには墓地がある。やはり、こいつは捨てられたのだった。飼い主であった人は、一度は捨ててしまったけれど、いまはその子猫を見つけ出して引き取りたい、探している、と言って連絡先を置いていったそうだ。

捨てたんだぞ、と夫は語気を強める。凍えるような冬の日に、子猫を捨てたんだぞ。病気の子猫だぞ、捨てたんだぞ。その腹立たしさはわたしも同じだ。病気の子猫を真冬の寒空に放り出すのは、その首をひねって殺すのとなにも変わりがない。首をひねる度胸がないから、自分の見えないところに捨てちまったのである。なのに、いまさらなにをいいやがる。

いまさらなにを、と思ういっぽうで、こころのどこかで救われている自分もいる。迎えに来た、という事実にわたしは救われる。絶望のふちから救われる。いちどは捨ててしまったのに、恥をしのんで、罵声を浴びせられるのも覚悟で、「いませんか」と探しに来る。どんな気持ちだったろう。どんな思いで来たのだろう。きっと、捨てるときと同じぐらいに、その手は震えていたのではあるまいか。

どうして迎えに来たんだろうね、どうして捨てたんだろうね。病気の猫なんか放り出せ、でなけりゃオマエを追い出すぞって暴力夫に脅かされたのかも、でもそんな男よりも猫のほうが大切だって気がついちゃったのかも、子どもが生まれたから猫は捨てたかったのかも、でも命はどれも同じだって思い直してくれたのかも、かも、かも。

「毎晩、うなされたのかもしれん」と夫がいう。え?うなされるの? そうさ、呪っておやりっていったから、こいつがほんとうに呪ったんだよ。毎晩、鼻タレ目ヤニの子猫の悪夢にうなされて、目覚めが悪くてしかたないからしぶしぶと探しに来たんだよ、きっと。


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だれもいないときには、夫の抜け殻のうえでガマンする。

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腹をみせるのが好きさ。
こんなかわいい顔をして、オマエはほんとうに呪ったのかい。

by ichiko : カテゴリー:ねこと動物たち

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