2006年01月22日
削除の美学
文章を書き始めたころ、編集者からの修正のほとんどが、「トル」だった。一文ぐらいはまだマシなほうで、段落ごと赤い丸で囲まれ、トル!と書いてあったりする。「説明的な文章は醜い、書いてなくても理解できる、何度も同じことは書くな、くどいっ」。わたしの最大の欠点は、くどい、ことであるらしかった。
書いたほうとしては、「せっかく書いたのだから」という未練ばかりが先に立つ。どうにかして生かしたい、消したくないとあがいてみる。が、ものはためしと気持ちを入れ替え、編集者の言ったとおりに、全ての箇所を削除してみる。すると、どうだろう。最初からそこには何もなかったかのように、すんなりと読みすすんでしまう。消してしまったほうが、はるかに文章のとおりがいい。それ以来、この編集者には絶大なる信頼をおくようになった。そして、できるかぎり、すっきりといこう、という削除の美学をこころがけている。
さて、おととい書いた「呪っておやり」は約1,230字。これをボツになった新聞原稿の差し替え分として、850字に書き直してみる。およそ400字は消さなくてはならない。こっちを削る。おお、あっちもいらないではないか。そっちの段落をまるごと削除し、かわりにひとことふたことに置き換えてみる。消す、とにかく消す。言葉を選ぶ。これこそが、削除の快感。
あっという間に850字におさまる。なんだ、おとといの文章はそんなにも無駄にあふれていたってことじゃんか。
by ichiko : カテゴリー:日々のあれこれ
