2006年01月21日
雪とトラ夫とカエルの腹と
ジャケットの上からマフラーをぐるぐる巻きにし、頭にはフリースの帽子をかぶる。あしもとは、雪にも強いスパイクのついた登山靴。こんな重装備で出かける先は、近所のタバコ屋である。どう頼み込んでも、わたしの車にはスタッドレスをはかせる気はないと夫がいうので、雪が降るとしばらくは車が使えない。
ぽくぽくと国道を歩く。雪に覆われた杉のお山も悪くない。今朝、妙な静かさで目を覚ましたら、窓の外は真っ白だった。庭のキンモクセイも、栗園の枯れ葉も遠い杉の山も、みんな白く雪に埋もれている。雪が降る日は無音になる。あらゆる音が、あのふわふわの雪に吸い込まれて、世界はしんと静かになるのだ。
上り坂になっている大きなカーブを曲がったところで、近所の人と思われるおばさんに出会った。おばさんが抱えている白い発泡スチロールの箱から、大きな長いもが突き出ていた。掘り出したいもを、だれかに持っていくところなのだろうか。
すれちがいざまに、さっと箱の中に目を走らせ、息が止まった。箱にはトラ夫がいた。長いもに見えたのは、トラ夫の足だった。硬くなって横たわっている茶トラの猫は、あきらかに死んでいた。「とらおっ」。振り返ると、おばさんはまるで逃げるみたいにせかせかと足早に山道をのぼっていった。
トラ夫は顔も体も大きくて、見るからにかわいげのないオス猫だった。忘れたころにふらりとあらわれてはベランダの前をゆうゆうと通り過ぎ、うちの猫たちをあわてさせた。トントンと窓を叩く音で振り返った、むっちりと横にひろがる顔といかにも面倒くさそうな目がふてぶてしかった。それでも、夏の暑い日に木陰ではねるように歩くトラ夫を目にすると、なんだかうれしいものなのだ。
そうか、トラ夫は死んでしまったのか。拾われる命もあれば、雪の日に消えてしまう命もある。神さまはいろんなものをみせてくれるものなんだねぇい、と思いながら、ああでもそれはとてもあたりまえのことであり、これが日常というものなのだなとこころの中で書き換えてみたりするのだった。
買ったタバコをジーンズのポケットにおしこみ、ふたたび国道をぽくぽくと歩く。なにやら白いものが落ちている。しゃがみこんでよく見てみると、カエルであった。つんつんとつついてみるが、やはりカエルも硬くなっており、びょーんと後ろ足をのばしたままのかっこうで、白い腹をみせてひっくり返っている。こんな雪の日にカエルはいったいどうして国道などにいるのか。穴ぐらなり草むらでじっと身を潜めていればいいものを。どうしても雪のなかを外出しなければならない理由があったのか。力尽きて、凍え死んだのか。あるいは元気いっぱいで飛んでいたところを、運悪くだれかに踏みつぶされたのか。
雪の日には、ふだんはあまりお目にかからない出来事に遭遇する。世界は謎であふれている。
by ichiko : カテゴリー:ねこと動物たち
