2006年01月20日
呪っておやり
マロンリジを訪ねた帰り、みーみーと鳴く声で足を止めた。みーみーみー。墓地につながる坂道からよたよたと下りてくる、見覚えのない子猫。妙なこともあるものだ。このあたりの野良ネコのルーツ、グレ子の腹は切った。まだ小さかった猫たちは栗園の女たちやその知り合いが手分けをして引き取った。野良猫は一掃されたはずなのだ。
子猫は、わたしの足もとをまわり、みーみーみーと鳴きながら小さな体をすり寄せてくる。面構えを確認するべくしゃがみ込んだとき、あまりの醜さにぎょっとした。両目から目ヤニがあふれ、左の目はつぶれている。ときおり、どぶどぶっと変な音を出すのは鼻水のせいだ。長くはないだろうな、と思った。鼻がきかなくなった猫は死ぬしかない。餌を見分けることができないからだ。しゃがんだ膝に前足を乗せ、なんとか抱いてもらおうとする。あきらかに、飼い主に捨てられた猫だった。
うちには3匹の猫が暮らしている。それぞれにいわくのついた生い立ちがあるけれど、3匹目などは野良生活がとことん肌に合わなかったらしく、自ら飼い猫を志願してきた、努力と根性の猫である。グレ子の孫にあたるそいつは、雨戸を開けるとすでに軒下に控えており、わたしを見上げて必死に鳴いた。毎日毎日ベランダの窓に貼り付いては、「いれてくれ、たすけてくれ、メシをくれ」と鳴き続けた。まるでこちらが虐待でもしているような気持ちになり、しぶしぶと家族として迎えてやることになったのだ。
いまでも、神の掟に背いたような思いがする。寒い冬を前に鼻水をたらし、餌をとる術も持たないあいつは死ぬはずだった。野良として生まれた以上、それが自然の摂理だ。強い者だけが生き残り、あとは死ぬ。そうすることで、野生は強い血だけをつないでいくのだ。死ぬべき命をひろいあげてしまったことに、なにかを乱してしまったような罪悪感がある。
だから、鼻タレ目ヤニの子猫も助けなかった。この寒空で死ぬのは、お前の運命だ。ああ死ぬんだろうなと思いながら、子猫を道に残したまま、走って家に入った。けれど、夜遅くになって、夫とわたしは懐中電灯を片手に、子猫を探してまわった。人間の傲慢で捨てられ、あした死に行くかもしれない命は、やはり人間の手で救ってやらねばならぬような気がしていた。広い栗園の草むらや物置小屋、墓地のトイレの中まで。どうしても見つけられなかったのに、翌朝ふたたび捜索に出向いた夫は、鼻タレ猫を抱えて帰ってきた。
病院で薬をもらい、目も鼻もだんだんよくなってきている。つぶれていた目はちゃんと開くようになったけれど、白濁は完治しないかもしれないと医者は言う。鼻タレ猫は無邪気に膝によじのぼっては、みーみーみーみー、いつでもまとわりついてくる。その白濁した小さな瞳を見つめ、「呪っておやり」とわたしは囁く。真冬の寒空に、病気のお前を捨てた飼い主を、呪っておやりなさいね、と囁いてみるのだ。
追記:
里親を捜しています。
by ichiko : カテゴリー:ねこと動物たち
