2005年08月26日
傲慢といふもの
軽井沢での二日目、コンペの組み合わせはくじ引きで決まり、わたしはオバハンふたりと回ることになった。そのうちのひとりが、いままで出会ったこともないような、とんでもなく自己中心的な迷惑オバハンだった。
ゴルフは、マナーを重んじるスポーツだ。スムーズに、そして一緒にまわっているメンバー全員が気持ちよくプレーできるように、いろいろな決まりごとがある。ひとりでプレーしているようであっても、実はそうではない。ゴルフをする人は、技術的に下手な人を責めたり、バカにするようなことは決してしない。けれども、マナーを知らない人にはとても厳しく、口には出さないけれども心のなかでは軽蔑しているのではないかと思う。
オバハンは、自分のボールを探せず、こちらで見つけてあげてもお礼のひとこともなく、「あたしのボールってどこ?そこってラフ?あと何ヤードあるの?」と聞いてきた。ヤード表示の見方を教えてあげても、「ちょっと、そこって何ヤード?」とやっぱり聞く(自分で行って見てこい!)。「カートは運転したくないから」と言い捨て、取り残されたカートまでわたしはいちいち走って戻る(わたしはキャディか?)。斜面のラフに入ったボールを手でつかみ、なんの断りもなくフェアウェイに放り投げ、涼しい顔で打つ(コンペなんだよ~、コンペっ!)。あきらかにカラ振りだったのに、まるで素振りだったように見せるために続けて3回ほどあわててスイングする(ゴルフはカラ振りも1としてカウントする)。遠い人から打つ、という順番を把握できない。グリーンでほかの人のラインを踏みまくる。
それらはいっさい見なかったことにしてもいい。自分のことで精一杯なのだろうと思う。どうにも我慢できないのは「愚痴」なのだ。誰だって調子の悪い日がある。うまくいかない時がある。チョロやシャンクが出たって、誰も笑わない。けれども、どーしてもオバハンは納得がいかないらしく、「あー、もう、やだやだっ」「なんだっつーのよ」「こんなゴルフじゃ、やったってダメだわ」などと、ずーとずーと言い続けている。これではいっしょにプレーしているほうはたまらない。こちらまで、いや~~な気持ちになってくる。ネガティブな愚痴がもそもそと降り積もってくるのだ。
オバハンはゴルファーとしては、もっともやってはいけないことをしてしまった。これがゴルフでなかったなら、わたしはとっくにブチ切れて、オバハンと戦っていただろうと思う。それをせず、とにかく冷静に一日を乗り切ろうとがんばったのは、もうひとりのオバハンは淡々と自分のプレーをしていたからだ。ときどき呆れたような顔をしながらも、相手のペースには巻き込まれなかった。ああ、わたしはメンタルの部分でもまだまだ初心者なんだなぁと思えてきたのだ。
一夜あけて、この日のことをずいぶんと考えた。なにか、すとんと気持ちよく落ちるものがない。つまっている。なんだろう。
自己中心的で、傲慢だったのは、本当にあのオバハンだったんだろうか。
会社勤めもせず、子どももいないわたしには、上司や同僚とのしがらみや子どもを介しての強制的な付き合いというものがない。自治会の年輩者のなかにちょっと苦手な人がいたり、代理店の担当者とそりがあわないときもあるけれど、それはうまく逃げ切れる範囲だ。いつのまにか、自分の好きな人、気の合う人としかつきあわなくなっている。それはとても心地よく、楽ちんだ。そういう選択もあっていいと思う。気のあう人たちとしか人間関係を「作らない」というのは自分の意思であるけれども、もしも「作れない」のであるならばわたしに問題があるような気がする。オバハンをあれこれいうよりも、自分自身が傲慢になっているからではないか。
オバハンにしてみれば、ゴルフが下手というだけでも負い目があったはずである。それに加えて、自分の子どもと同じような年齢の女にルールやらマナーを教えてもらうことになり、さぞや面白くなかっただろうな。もうイヤになっちゃった、っていう愚痴はゴルフだけじゃなくて、その状況も含めて情けなくなっていたのかもしれない。
ちょっと悪いことをしちゃったな、と思う。あの日のわたしはケンカ腰ではなかったけれど、ものすごく冷たい態度で接していた。怒らずに対処するだけで精一杯だった。親ほどの年齢、年上の人というだけでも、わたしはもっと謙虚でなければならなかったのだ。できるなら、相手の気持ちを察して、敬意の心を持つべきだったよな、と思う。マナーを忘れていたのは、わたしのほうだったのかも。
by ichiko : カテゴリー:さまよえるゴルフ
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