2005年08月05日

歴史について

ちょっと調べたいことがあるので、日本史の本を読んでいる。

小中高と一貫して苦手な科目は歴史だった。○○事件とか○○令、○○の乱という出来事の詳細は理解できたのだけれども、それが前後とどのようにつながっているのか、一連の流れとして捉える力を持っていなかったので、わたしにとって歴史はいつもブツ切りの事件簿でしかなかった。日本の国ひとつでもそんな具合であるのに、あっちの国、こっちの国とあちこちに話が飛んでいく世界史においては、もうお手上げであった。

「でっかい模造紙を買ってもらうんだった」といまなら思う。大きな紙に、習った出来事を上から年代順に書いていく。○○年○○の乱○○天皇。どんどん書いていく。世界史が加わったら、右横に国名を追加して、あてはまる年代の箇所に出来事を書く。上から下に年代、横に国名がずらずら。とんでもなく大きな、それはイチコ特製の秘密歴史見取り図で、模造紙の上にでーんと立ってみれば、さまざまな出来事が脈々と連なっているのは一目瞭然、また、そのとき他の国がどうしていたのかをも見渡すことができる。わたしにとって、この「視覚として捉える」というのはとても大切なのである。図、として、認識しないと全体を捉えられないのだろう。あのころ、模造紙に書き出す手間と知恵があったなら、歴史はずいぶん楽しいものになったにちがいない。

さて、日本史の話に戻る。毎日が貸別荘にいるような、山におおわれた田舎の夏、セミの声を聞きながら部屋にこもってひとり歴史の本を開く。天孫降臨、いや、その前のイザナギ・イザナミから始まり、ようやく、鳴くよウグイス平安京までたどり着いた。あれほど嫌いだった日本史、あらためて読んでみるとなかなか面白い。へぇ、そんなことがあったのか、そんなふうにつながるのか、それでどうなるんだ。

悲しむべきは、記憶力の衰えた脳ミソであろう。あれほど真剣に読みすすみ、感動したのもつかの間、翌日になってしおりを挟んだページを開いてみるも、どうもその人名・出来事に覚えがない。たしかに読んだはずなのに、すっかり忘れている。学生のころは理解するまでに力を必要としたが、一度納得したものは脳ミソにしっかりと刻まれたものである。歳をとると理解は速いが忘れるのもあっという間のようである。

by ichiko : カテゴリー:日々のあれこれ

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