2005年02月07日
美しさは忍耐
ファッション評論家のピー子が言うには、「ファッションは忍耐です」。美しく見せようと思うのなら、多少のことは我慢しなければならないという。
たとえば、毛皮のコートの下は薄手のブラウス、あるいは半袖のニット。寒いからといってカーディガンを着込むなどというのはダサい女のすることである。きれいなスカートをはいたときには細いピンヒールをあわせる。ヒールの低いごろんとした靴が「歩きやすいので」などと言おうものなら、おしゃれをする資格はありません、とばっさり斬られる。
見栄を張る年代を過ぎたわたしは、もこもこのセーターを重ね着し、ヒールのないモカシンシューズを愛している。美しさや見た目よりも、暖かくてらくちんなほうを選ぶ。もうその時点で、落第者なのだろう。
週末は、友だちの結婚式があった。結婚式などというものは、もう十年ぐらい縁がない。せめてフォーマルのときぐらいはらくちんさよりも見た目を重視せねばと気合いを入れる。冬の風が吹きすさぶなか、ぺらっぺらっのワンピースにコートをはおった。どうせクロークに預けるのだから、一枚セーターをはおっていこうかとも考えたが、ぐっとこらえた。
慣れないロングワンピースは、まあ、それなりに着こなせているような気はした。がんばれば、なんとかなるもんである。
どうにも耐えられないのが、靴。わたしが持っているパンプスはどれもつま先がスクウェアで、ヒールはごろんと太い。フォーマルには適さないものだというので、あわてて新しいパンプスを新調した。
履いてみるとたしかにきれいである。ごろんとした靴を履いていたわたしの足とは見間違うほどだ。ひゅんと尖った三角形のつま先のおかげで、なんだか足がすらっとスマートに見える。ヒールは頼りないほど細くて不安定だけれど、きゃしゃなカンジがとってもおしゃれ。靴ひとつでがらりと印象が変わる。なんだか、女になったぞ、という気もしてくる。
そして、やはり美しさは忍耐なのである。ぎゅっと三角の形に押し込まれたつま先が痛くて痛くてしかたない。せまっちい三角のなかで縮んだ中指が悲鳴をあげている。かかとは靴ずれでひりひりしている。それでも涼しい顔をして、背をのばして会場のなかを歩かねばならぬ。
結婚式と披露宴を終えて、二次会には出ずに帰ってきた。死にかけたつま先と、ずるむけのかかとが気になり、これ以上はとても笑顔でいられる自信がない。一緒に戻るメンバーに、「途中の池袋で一杯やっていきませんか」と誘われたけれど、「こ、このあと予定がありますので、し、しつれい~」と逃げるように帰ってきた。そのころには、この激しい痛みに耐えるぐらいなら、いっそ靴を脱ぎ捨て裸足で歩いてやろうかいな、とマジで思い詰めていたのだった。
美しくあることは、こうもつらいのか。電車で前の座席の足もとを見ると、ブーツを脱ぎ捨て春を先取りした若い子たちが、けっこうこのつま先三角細ピンヒールを履いていた。キミたちは痛くないのか、キミたちの中指はどうなっているんだ、かかとは、いったい。
by ichiko : カテゴリー:日々のあれこれ
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